19.たこ焼きとじゃがいも ~1年後の十三で~


 

 

 大阪は十三の芝居小屋「木川劇場」の隣にある「小泉商店」というたこ焼き屋さんが好きだ。
 この劇場に行ったら絶対食べる。例えお腹がいっぱいでも食べる。
 というと「どんなにすごいたこ焼き屋なんだ!」と思われそうだが、大層なことは全くない。
 どこどこの出汁を使って、こんなこだわりのタコを入れて、焼く際はこんな焼き方で、というような店ではない。おかあさんがひとりでやっておられる。
 注文すると、舟に入れてくれて、持ち帰る際は上から紙をくるりと巻いてくれるのもうれしい。

 

 

 この芝居小屋が以前ストリップ劇場でもあった頃からずーっとあるらしい。
 ということで、以前、たこ焼きを買った際に、我が酒場巡りの相方・斎藤さんは直球で質問した。
「『ミナミの帝王』のロケが来た時って覚えてますか?!」
 残念ながらおかあさんは「そういや、やっとったねえ」と、あまり詳しく覚えてはいなかった。
 でもそんな頃から、もっと前から、ずーっとここで、焼いてこられたのだなあ、と思うと感慨深く、ちょっとじぃんとしてしまう。

 

 

 4月のよく晴れたこの日は「すぐに食べますー」と申告して、屋台の横で立ち呑みならぬ立ち食いをした。
 劇場前では「送り出し」と呼ばれる終演後の出演者がお客さんをお見送りする時間が続いている。横目で見ながら頬張った。

 

 

 苦労人のお父ちゃん座長と、息子である18歳の人気若座長の劇団だった。
 イケメンに目がない斎藤さんは息子を観たくて、おっちゃんに目がない私はお父ちゃんが観たくて、この劇場で観るのはちょうど1年ぶり。
 旅芝居・大衆演劇の劇団はひと月ごとに全国の劇場や温泉センターをまわって公演する。
 1年経ってこの劇場に「帰ってきた」という訳なのだが、父と子、その1年の大きさを思わされた、見せられた。

 17歳から18歳への1年って、きっと、めちゃ大きい。声も見た目も随分変わる。
「わあ、もうめっちゃ大人や」「お父ちゃんに似てきたかも?!」「えー」
 一方、お父ちゃんは舞台姿に必死さが増したようにも見えた。
 そんな帰り道のたこ焼きは、焼きたてぴかぴかのときは息子みたいで、時間が経ってしんなりした時はお父ちゃんみたい、なんて食べながらちょっと笑ってしまいもして。

 さて、十三に来たからには、この劇場に来たからには、寄って帰らねばならない店がある。
 これもちょうど1年前、同じ劇場で同じ劇団を観た帰りに、立ち寄った。
 阪急十三駅東口からすぐ、「イマナカ酒店」というお店である。

 

 

 偶然通りかかったこの店に「行っちゃいます?」「行っちゃいましょう!」と飛び込んだら、素敵すぎる常連のおっちゃんたちとわいのわいの大盛り上がりをした。
 ……というのは、この連載の第14回にも書いた通り。

「1年ぶりやしなあ」「あのおっちゃんら、居るかなあ」

「ちょくちょく十三呑みはしてたけど、寄れてなかったですもんねえ」

「1年っておっきいですよねえ」

 17歳から18歳への1年も大きいが、おっちゃん(じいちゃん?)たちの1年も、きっと大きい。
 たった一度だけ酒場で出会っただけの、名前も知らないおっちゃんたちを気にかけるのは、さすがにお人よしすぎ? でもコロナの影響で初めての酒場や酒場での知らないお客さんたちとの交流が減り、あんなに盛り上がったのはうれしく記憶にもあたらしくて、2人のことはいつも頭の片隅にあった。
 落語家の桂枝雀師匠に似た、ダイエットとしてスポーツに打ち込んでいるおっちゃんと、ちょっとイケおじ風、雑誌LEONの表紙を飾れそうな、映画監督の黒澤明風のおっちゃん。
 会えるかな。元気かな。会えないかも。
 いや、そもそも1年前会えたがもう奇跡のようなことなんやろうなあ。

 と、いろんなきもちが頭の中を目まぐるしく駆け巡ったのは一瞬で、2人して酒屋の入り口を「えいやっ」とくぐって角打ちスペースに目をやる。
 なんとまあ平日夕方なのに大入り満員、その真ん中のテーブルには……。

「あー!」「おった!」

 ちょっと広めの角打ち、カウンターだけではなく簡単なスタンディング用のテーブル席が幾つかある店内の、1年前と同じ席に、2人が居た、呑んでいた。
 横のテーブルの男女数人の会社員っぽい集団に相も変わらず喋りかけていた。

 ファッションも、言動も、呑んでる宝焼酎ハイボールも、笑顔も一緒だった。

 御店主に一番奥のテーブルに案内された私たちは移動しながらも喜びが隠せない。
「おっちゃん、ひさしぶり!」「覚えてる? また来たで」
 師匠と監督は「おぼえてるおぼえてる」「おー!!」と返してくれたが、えええ、どうなんかなあ? でも、お隣さんと会話中だものね、と、それ以上はあまり追及せずに絡まずに様子をみることにした。

 たこ焼きをつついて「エンジンかかった」から、よし、呑もう、食べよう。
 瓶ビール1本と、食べ物はお店で炊いてるおでん、もとい、関東煮(関西ではおでんは関東煮(かんとだき)、第9回参照)に決める。

 

 

 こういうお店の関東煮は味がしみていて、もとい、関西弁で言うと「味がしゅんでて」美味しいねんよなあ。手書きの字からしてもう味がしゅんでいるもん。
 2人して欲張ってあれやこれやと注文をした。じゃがいもも1人1個ずつね。
 カウンターの向こうの御店主が2人前をお皿に盛ってくれる。
 でも次々といろんなテーブルやカウンターから注文が飛んでくるからなかなかに忙しそう。
 と、いうことでおでん鍋の真横、カウンターで呑んでいた知らないお客さんが御店主からお皿を受け取り、私たちに渡してくれた。ちいさな酒場のこういう「共同作業」と気遣いの精神、好きやねん。と、思っていたらそのお客さんは大きなじゃがいも2個もごろごろ乗っている見た目と重さ(?)にびっくりしたみたい。ぽつりと「おお、すごいな」とつぶやきながらお皿を渡してくれたから笑ってしまった。

 師匠と監督はまだお隣さんと話している。
「おー!!」って言ってくれたけれど、けれど。
「ほんまに覚えてくれてるんかなあ」「やさしいから合わせてくれてたんかなあ」
 じゃがいもをつつきながら、2人、どちらがともなく、ぽつり。

 おっちゃんらは毎日同じ時間にこの店で呑んでいるわけで。
 それが日常。日々の一部。家の延長。てか、もはや家?!
 そうして私たちを含む、今日の男女の集団やいろんなひとを、お店や御店主同様にもてなして、時にご馳走したり、なんてことのない会話をしたり、楽しい雰囲気をつくり、楽しみ、あたらしいお客さんやいろんなお客さんに〝扉をひらいて〟きた訳で。

 日々まいにち、って、長い、おおきい。
 なーんて、大袈裟に言うことでなく、それが彼らの日常なのだろう。
 ってことすら、きっと、おっちゃんたちは考えたりもせぇへんのかも。
 だからこそ、なんだかじぃんときてしまったりもして。
 ガヤガヤな夕方の角打ち、あつあつのじゃがいもを頬張りながらじぃん。

 でも無粋なことに、私はこの後、用事があった。
 長居をしたいけれど30分と呑んでいられない。
 お店も大盛況だし、うん、また、来るとしよう。
 次回はもうちょっと間をあけずに。
 ということで、関東煮を食べきって「お会計おねがいしますー」
 声をはりあげたら、御店主が「えっ」という顔をした。おっしゃった。

「いや、そっち、●●さんから『おねえさんたちにビール1本やったって』って言われてるねん」

 ●●さんという名前は知らなかった。
 けれど、あちらをみると、師匠と監督がニコニコしてる。
「いいからいいから呑んで帰りやー」1年前と同じ笑顔で。
 ああ、去年はこれで9%のコーラサワーの缶を呑んでご機嫌でけらけら笑いながら帰ったのだった。
 時間内から1本は呑みきられへんし、でも断るのはお気持ちを無駄にするしなあ。
 ってことで、斎藤さんが瞬時に決めてくれた。

「缶ビールを〝半分こ〟しましょう」
 御店主に瓶じゃなく缶1本だけをお願いして、コップでわけて、ぐっ。

「缶ビールもらいましたー」「ごちそうさまー」
「え、そんな遠慮しぃな」「ちゃうねんもう帰らなやねん。また来ますー」

 ささっとお会計を済ませながら喋り、混んできたお店で立ち呑み中のお客さんたちの間をすり抜けるようにして師匠と監督の元へ。
 お礼を言ってから帰ろうと思ったのだが、斎藤さんは師匠のお腹をぽんと触った。
「おっちゃんめっちゃ胸板厚くなってるやん」
 1年前に「ダイエットのためにスポーツジムに通って泳いでる」と語っていた師匠の体は更に引き締まっていたのだ。一方、3回の結婚歴を誇っていた監督はワルなイケおじ感に更に磨きがかかっていた。

 斎藤さんはさらに言う、得意のぶっこみだ。
「わたしのこと、覚えてる?」「覚えてるがな、●●ちゃんや」
 わー!! なんて2人して叫ぶと、やっぱりあのニコニコ顔が返ってくる。
 私も続いて言った。「おっちゃん、まだ泳いでるん?」
 師匠はちょっと誇らしげな顔で言った。「いや、今は筋トレ。スクワットや」
 今この場でしかねない勢いだ。監督は笑ってる。
「さっすがー」「今からでもプロレス出れるでー」
 なんてしょうもないことを言ったのに2人は「またおいでや」と言葉をかけてくれた。

 明日も、明後日も、来年も、ずっと健康で、ご機嫌で、同じ場所で呑んでいてほしい。
 そして、また早いうちに再会をしたい。
 なんて、たった350mlの半分のビールが効いたんやろか。
 日々毎日同じ時間に店に来て、体を気にしながら鍛えながら、呑んで、また鍛えて、また呑んで。いろんなお客さんとしゃべって、って、生き生き楽しく生きる秘訣やなあ。
そしてこのような酒場と人々との出会いもまた、私たちがご機嫌に呑み、日々生きられる出会いである。

 

 

 1年後の十三は、なんてことのないたこ焼きや味がしゅんだじゃがいもみたいな味だった。
「またひとつHomeが出来ましたねえ」
「ほくほくですね」

 というこの原稿を書いたのは5月のことで、この原稿の終わりは「ほくほく」だった、はずだった。
 今こうして書き足すことになるなんて思いもしなかった。
 6月の終わりに、この劇場は休館を発表。突然の発表だった。
 事実上の閉館となってしまうのか、また幕が開くのかはわからない。
 さまざまなことを言う人がいるが、わからない。
 なくなるから、なくなる前に、会えるときに会っておこうや行っておこうという言い方や考え方はわたしはあまり好きではない。でも、当たり前のことは、当たり前ではない。

 1年ぶりと日々まいにち、当たり前のような当たり前でないことやさまざまな人の顔が頭に浮かぶ。今日、今、は、まさに、今なのだ。
 1年後とは言わず、また、ふらっと会いに行こう、たこ焼きに、じゃがいもに、そして、あなたにも、だ。


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