7、空気になって、ドボンと漬けて ~ウィズコロナでも〝はだかんぼ〟~


 5月の半ば、テレビをつけると大阪府知事がちょっと笑いながら言うていた。
「〝二度漬けあかん〟は大阪の文化ですからね。〝二度漬けあかん〟が復活されることを夢見ながら感染防止対策をお願いしたい」
 大阪名物・串カツのソース共有NGについてである。

 通天閣下「新世界」と呼ばれる一帯にひしめく串カツ屋では、ソースは「かける」ではなく「漬ける」。
 揚げたての串カツに瓶ソースをかけるのではない。銀箱にひたひたに入れられたソースの池に串カツをドボンと漬ける。
 この際のルールが「二度漬けあかん」だ。
 ソースの銀箱は共有のため、一度齧ったものをもう一度つけると不衛生だという理由である。

関東の人によく「串揚げ」って言われる でも串カツ。肉だけじゃなく野菜もチーズも皆「串カツ」

関東の人によく「串揚げ」って言われる
でも串カツ。肉だけじゃなく野菜もチーズも皆「串カツ」

 しかし……コロナウイルスの影響でこの「漬ける」が変わってきた。
 二度しなくても、ソース自体を共有することが、感染拡大につながる可能性がある。だから大手串カツチェーンを中心にソースを銀箱で提供し「漬ける」スタイルをやめ、ちいさなソース瓶からソースを「かける」スタイルに切り替える店が増えているらしい。
「どうしてもという方には箱でお出ししますけどねえ」と人気店の店主がコメントをしていた。
 思わずテレビに向かってツッコんだ。「そんなん串カツちゃうやん!」コロナめ!

 まだまだコロナはあけていない。
 アフターコロナ? ウィズコロナ?
 様々なワードが飛び交っているし、学者によると本格的な収束には2年……え、10年かかるという人も居るらしい。
 想像しただけで気が遠くなる。
「でももうそろそろ限界!」
「もうそろそろ、うん、ええやん! 大丈夫やん!」
ってな世界になっている気もする。

 この原稿を書いている6月中旬、コロナはだいぶ落ち着いてきている……ような雰囲気だ。
 なんだかもう「終わった過去」みたいにすら思える。
 でもでもコロナの影響で社会や世界はちょっと変わった。
 街の店たちにはビニールシートが暖簾のようにかかっているし、人と人との距離は「ディスタンス」だなんて言葉と共に数メートルあけるし、外出時は皆マスク着用。

 それらももう見慣れてきて当たり前になりつつあるけど、あきらかに世界は変わっていて。
ふとした時に「みんなマスクしてる。なんか不思議やな」って冷静に思うことはあるけれど、でも変わった世界は思ったほど居心地が悪くはない。
 未来は一体どうなるのだろう。ウイルスはいつなくなるのだろう。なくならないねやろなあ。

 適当なようで実はものすごく神経質な私は、春から常に携帯用アルコール除菌スプレーを持ち歩いている。財布携帯鍵アルコール。
 しかし手の除菌用アルコールも不可欠だが、心を洗浄し〝はだかんぼ〟にしてくれる呑むアルコールも欲しい!

 私と斎藤さんの月1回の梯子酒の旅、通称〝はだかんぼツアー〟も3月半ばからの自粛を経てこの度めでたく復活をした!
 正直、再開してよいものか考えてしまいはした。
 けれど3月半ばに滋賀県彦根へ大人の遠足をして、え、3か月も会うてへん?!
 斎藤さんの大阪への帰省はまだやはり様子見で見送られていたのだが、今回は私の方から提案をした。
「大阪・西成呑みが早くしたいけど! でも! とりあえず、リスタートの〝遠足〟をしましょう!」
 行きたい場所があったのだ。

 それは私たちの〝秘密の食堂〟。
 第4回で紹介した「肉天」こと、ちいさくカットされ味付けされた豚肉の天ぷらが食べられる、とある地方の大衆食堂だ。
 自粛あけのツアーはどうしてもあの大衆食堂の肉天で一杯やりたかった。
 背中の曲がったマスター……通称「山崎先生」の様子も気になっていた。

〝インスタ映え〟とは全く無縁

〝インスタ映え〟とは全く無縁

 あ、「山崎先生」は私たちが勝手につけたあだ名である。
 ちょっと猫背気味にカウンターにもたれかかって立っている姿。
 そして、私たちがアテがずらりと並んだ冷蔵ケースから、大好物の「チーズちくわ」を出すと、サササササ!
 猫背のまま、すごい勢いで走ってきて皿を奪い、電子レンジでチン! その走り方!
 私たちが共に大好きな吉田戦車の漫画「伝染るんです。」に出てくるキャラクターのひとりに似すぎているのだ。
 漫画の中の先生は性別も年齢も不明。
 いや、そもそも人間かどうかも不明だが、
 食堂の先生は高齢だ。60過ぎ? え? もっといってる?
 厨房をひとりで切り盛りするおかあちゃん(奥さん)も同じく高齢だ。

 決して栄えているとはいい辛いとある地方の、看板も大きくは出していない大衆食堂とその夫婦。
 この度のコロナウイルスの影響を受け、なくなったりはしないか? しんどくなってはいないか?
 だってテイクアウトやお弁当なんてやらない出来ないような店である。
 私はもう半年くらいご無沙汰だったのだが、斎藤さんはコロナの影響がひどくなる前に数回足を運んだらしい。
 なんと! 春には改装し和式トイレが洋式トイレになっていたと言う。
 なのに! コロナで4月中頃から5月と店を閉めざるをえなくなって……。
 ねえ、大丈夫?! 山崎先生?! 元気ですか?!

 6月半ば。とある土曜日のお昼過ぎ。
 食堂の最寄り駅で待ち合わせをした。
 顔を見合わすなり「わー!」。
 でも「元気だった?」などの再会の挨拶なんて出ないのが我々らしい。
「朝からモックン(※本木雅弘)のこと考えてました」
「モックン、いいですよね」
 再会の感動よりもなぜかモックン。
 自粛中に観たテレビ番組で2人して今更モックンファンになったのだ。
 ちなみに斎藤さんが子どもの頃飼っていた犬の名前はフックンとヤックン、モックンはハムスターの名前だったらしい。
「なんでモックンだけハムスターなん?」
「理由は覚えていないんですよね~」
 ガラガラガラと引き戸をひらくと「うわー!」
 いくつかのおっちゃんグループが、それぞれ机に瓶ビールを何本も並べて宴会をしていた。土曜のお昼過ぎ、居酒屋じゃないで、ここ、食堂やで。

後ろ姿盗撮してすみません!

後ろ姿盗撮してすみません!

 山崎先生は「いらっしゃい!」といつものように迎えてくれた。
 特別な言葉も反応もなくいつものように。なんの変わりもなく先生だった。
 でもね、「はいはいはい、ビールやったね?」と訊いてくれた。
 しかし続けて、「えっと。キリンでしたっけ?」
 私はなんだか感動した。
 ああ、銘柄は覚えてくれてへん、けど、「いつもここでビール」ということは覚えてくれてるんや。
 それだけのことがなんだか嬉しくて、思わず「はい」と答えてしまう。
 すかさず斎藤さんが「え、momoしゃん、アサヒでしょ~」
 これだけのことが染みて、染みて。

 まずは大好きな肉天を注文したら、さあ、ケースに大好物のあのアテを取りに行こう!
「あるー!! ちくわー!」
 小皿を手にとった瞬間! ササササ!!
「はい、チンしますチンします」
 すごい勢いで先生が皿をかっさらっていった。
 そう、これ! これ! と2人で爆笑。
 実はちょっと待ったのだ。先生が走ってくるのを。
〝お決まり〟〝お約束〟ってこんなに楽しいものやってんなあ。
 でも走ってきてチンしても実はチーズはとろけないのも知ってるねん。
「これ、とろけないスティックチーズをちくわの中につっこんだだけですよね」
「でもぴったんこにちくわの中に入ってますよね」

なぜかチーズちくわだけお皿がオシャレ

なぜかチーズちくわだけお皿がオシャレ

 外は大雨。ああ、梅雨。瓶ビールをさしつさされつの昼下がり。
 ええんかな。いや、あかんのかも。あかんわなあ。
 向かい合ってお酌なんてディスタンスとは真逆である。
 考える。けど、わからない。
 わかることは「これまでと一緒やけどちょっと違うのかも」ということだ。
 戻った? でも戻れない?
 でも変わった中でも変わらないものはきっとたくさんちゃんとある。

 私たちはこの食堂が大好きだ。
 いや、好きなんて考えたこともない。
 生きている中での自分の一部みたいな感じなのだ。
 定期的に訪れ、謎のお土産交換から始まり、なんてことのない話を延々し、さあ次はどこに梯子しよう、と、考える前にふらふらと店を出る、行き当たりばったり。
 正直、どのメニューも格段おいしい訳じゃない。
 正直、お店の内装や様子が特別オシャレだったりインスタ映えする訳でもない。

 私的にポイントが高いのはBGMが全く流れておらず無音なところだが、冷蔵ケースに並んでいるおかずも特に凝っている訳でもないし、ケース以外のメニューも全然がんばってなんかない。
 カレーは昔ながらのカレー粉を片栗粉でのばしただけ、お洒落さゼロの昭和のご家庭のカレーだし、中華そばはマジで「少年アシベ」のワンさんが持ってきてくれそうなTHE中華そば。

中の肉は肉天の肉

中の肉は肉天の肉

ラーメンちゃうで、中華そばやで

ラーメンちゃうで、中華そばやで

 メニュー看板の謎の「とふなべ」はいつまで経っても豆腐鍋とは書かれず、夏場の冷ややっこはたぶんとふなべ用の木綿豆腐そのまま分厚く硬い。
 近くにはちょっとお洒落なイタリアンもあるし、昭和風コンセプトで作られた居酒屋横丁もある、お洒落なケーキ屋さんもスパイスカレーもある。
 でも、なぜか、ここがいい。他もいいけど、ここがいい。

 店の奥の通称〝レジェンド席〟には、〝浪花のモーツァルト〟ことキダ・タロー先生によく似たおっちゃんがいつも一人で呑んでいて、呑み終えたキリンビールの空き瓶を机上に並べている。
 かと思えば、いつ見ても割り箸をマドラーがわりに冷酒をかき混ぜて呑む謎のおっちゃんもいる。

プロフェッショナル 呑んべえの流儀

プロフェッショナル 呑んべえの流儀

 酒を出すのに山崎先生は酔っ払いが嫌いだ。
 あまりに酔う客がいると、話の聞き相手をしながらも「うんうんうん」「はいはいはい」と得意の生返事。
 そんな様子を見ながら私と斎藤さんはなんてことのないアテでわいわいやる。
 これまでも。そして、これからもやりたい。

 斎藤さんが言う。
「コロナのせいでずっとおうちにおったんですけど。
「めっちゃ呑んだなー」って日は友達とシャンパン2本とストロングゼロ6本あけまして。
 さすがに翌日朝はつらかったあ」
 家でシャンパンって。やはり斎藤さんはパリピである。

 しかし実は私も自粛中一日だけやらかした(笑)
 コロナもちょっと落ち着いてないけど落ちついたかなぁな5月の末のこと。
 私は一日だけ外に呑みに出た。
 尊敬する人にお誘いを受けたので悩みながらも出たのである。
 夕方6時に約束をして、ずっと舞台と音楽と人間の話しながら2人でワインを2本。
 お互い「こんな話したんひさしぶりやわ」それでも程度があるやろ!(笑)

 話題のオンライン呑みもやってみた。でも、楽しいけど、なんか違う。
 そういや斎藤さんとはオンライン呑みはしなかった。
 しようとどちらから持ち掛けることすらなかった。
 自粛があけたらあの店に行こうこの店で食べよう、幾度もLineで話しはしたが、オンラインでどうこうなんて考えもしなかった。
 そうして、あけて、肉天とチーズちくわである。

 肉天はなんだか小さくなっていた。
 山崎先生はなんだか愛想がよくなっていた。
 私たちもこの店のレジェンド陣に少しずつ近づいているんやろか?
 いや、この店の「空気」に、自然といるという、空気のような存在になれているんやろか?
 縁があって行くようになったとある地方のちいさな食堂。
 コロナがあけてもどっこい生きていて。
 これから先もきっと大丈夫……なように私たちも足を運びたい。

 店のために、とか、「守る」とか、思うけど、
 そんな大それたことじゃなく、行きたいから好きだから足を運ぶ。
 うん、行きたい好きだも改めて思いもしないほど自分の中の一部だから。
 空気になって、一緒になって同じ空気を感じ、課金(笑)して。
 また〝はだかんぼ〟で楽しみたい。
 下町の大衆酒場はまるでおうち? お布団?
 今までそんな例えで書いてきたけれど、いや、空気?!(笑)

 うん、私たちにとってなんだかもう空気、
 自分たちの生きている上での体や生活の一部になっている。
 だから、これから人や物に触れるそのこと自体が気遣いの要る世界になっていくのなら、私たちもまた空気のようになって、好きなものや人、大事な場所を包みたい。
 包み、包まれ、共に生きたい。うん、コロナは空気感染せえへんし!

 さて、食堂のあとは串カツ屋へ足を運んだ。
 大阪の串カツ屋さんでなく、地方の串カツ屋さんだからだろうか。
 ソースは銀箱のままだった。
 いいことなのか、むむむなことなのか。
 うーん、どちらなのかはわからない。
 でも、ドボン!
 うずらもチーズも紅しょうがもドボン! ドボン!
 美味かった!

○と□と○ うずら卵、紅しょうが、モッツァレラ

○と□と○ うずら卵、紅しょうが、モッツァレラ

 まだまだ様々なことが油断ならないし、この日のツアーも「また来月」と早めに解散。
 うん、そう、これまでは長時間梯子していたけれど、これからの〝はだかんぼツアー〟は様子を見ぃ見ぃ、アホ2人もアホなりに考え考え、参りましょう。

 ドボンと漬けた串カツを堪能し、ビニールシートでなく暖簾をくぐり外に出ると、見上げた提灯には「珍」の文字。
 ほろ酔いだからか、思わず笑った。

珍の灯りは希望の灯り

珍の灯りは希望の灯り

 あたらしき「珍」なる世界はもしかしたらちょっと、いや、きっと優しい世界になるかもしれへん。
 人と人の物理的距離は遠くなっても、なるからこそ、気持ちの距離は近くなる、と信じたいし、信じられそう。
 不便不自由な世界、気を配る世界だからこそ、人や世界がちょっと優しくなる? やんねえ?

 帰りの電車内で私は斎藤さんがくれたお土産袋をあけてみた。
 お菓子と共に入っていたのは布マスク。
 それも! なんか! 派手なやつ!(笑)
 ウィズコロナの〝はだかんぼツアー〟、第二章の始まりやなあ!

戦国BASARA? 覆面レスラー? うん、お楽しみはこれからだ!

戦国BASARA? 覆面レスラー? うん、お楽しみはこれからだ!


同じ連載記事