釣りの前に


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 釣りは父に教えてもらった。

 釣りが好きな父親について行って横で釣りを覚えた。釣る場所は近所のため池がほとんどであったが、旅行に行けば海や川で釣りをした。
 父、祖父、私と親子三代に渡って糸を垂らしたこともある。自分が子どもを持ってわかったが、それはさぞかし父にとってうれしい光景であったろう。

 小学校高学年の頃、ブラックバス釣りがブームになった。エサではなく「ルアー」という魚に似せたニセモノを使う全く新しい釣りである。父はへらぶな釣りばかりでこの釣りはしなかった。私は小遣いでルアーを買って、近所の池へ友だちと毎日釣りに行った。
 成長し、行動範囲が広がるにつれて、自転車で遠くの池に行った。違う校区の池に行くことはヤンキーに絡まれるかもしれないというリスクを伴う危険な行為であった。しかし、虎穴に入らずんば虎児を得ず。大きなブラックバスが釣れたこともあった。私ではなく友だちが。電車に乗って琵琶湖に行くこともあった。

 大学生になって音楽やアートにかぶれて、釣りへの興味がなくなって、それっきり、やめてしまった。

 大学を卒業し、就職した。激務に追われて二十代はあっという間に過ぎた。
 三十代半ばに、仕事のスタイルが変わって、地方での仕事が多くなった。出張といえば東京がほとんどだったが、東北、北陸、九州と飛び回っていた。まるで全盛期が過ぎたストリッパーのように地方にばかり行った。
 月の半分が出張のこともあった。酒が飲めず、食にもあまり興味がない私は地方で手持ち無沙汰だった。夜、ビジネスホテルに籠もっていると、寂しさの塊が襲ってきた。
 私はせっかく遠くまで来ているのに何をしているんだろう。
 
  一日幸せでいたければ酒を飲みなさい。
  一週間幸せでいたければ結婚しなさい。
  一生幸せでいたければ釣りをしなさい。

 熊本の旅館の渡り廊下に、支配人が釣ったであろうイワナの魚拓とともにその格言が飾ってあった。
 酒は飲めない、結婚はした。そうだ、私は幸せになるために釣りをしなくてならない。

 まず、海のルアー釣りを始めよう。地方は海がきれいだ。釣り人が少ないからよく釣れる。そこでしか釣れない魚もある。海ではまったくルアー釣りをしたことがない。三十代になってまったく新しいことにチャレンジすることに心は踊った。
 やってみて当たり前の事実を発見した。池と違って海にはたくさんの魚種がいた。釣り方が魚種によって全然違った。しかも、釣ったら食べることもできた。海釣りの魅力の引き出しの多さに、私はどっぷりとはまってしまった。

 釣りながら、いつか釣りについての文章を書いてみたいと思っていた。それは、ヘミングウェイ 、開高健、ブローディガンが、釣りと文学との距離の近さを教えてくれたからである。
 釣りに行くことができないコロナウィルスの緊急事態宣言下で文章を書き、釣りに行けない気持ちを紛らわせていた。(海にコロナウィルス はいないことはわかっていた。しかし、県境をまたぐことは躊躇われた。車を止めて漁港のおっさんに嫌な顔をされることはわかっていた)。

 それをここで公開する。釣った魚種ごとに、それにまつわる出来事を文章にした。釣りをしたことがない人でも楽しんでもらえるよう、工夫をしたつもりである。
 釣りは楽しい。釣れたらもちろん、たとえ、釣れなくても。もし読んでおもしろくなければ、それは釣りがおもしろくないわけではなく、私の文章の不出来からであるので、一度は釣りに行ってほしい。だからといって、私を釣りに誘わないでほしい。

 釣りは独りになるちょうどよい時間を私に与えてくれるのである。
 


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