大阪から福井まで特急サンダーバードで2時間、その後、2時間に1本の越美北線という単線に乗り換えて、山を3つほど越えて、このままどこに連れて行かれるのかと思っていると、突然平野が開けてくる。
そこは福井県大野市。人口3万4千人の美しい盆地である。ここに仕事で通うようになった。
ここには海はない。あるのは美しい山と清らかな川と巨大なダム。ここではイワナやヤマメが釣れる。川で釣りをするしかない。
市内の中心部を流れる真名川沿いの道を走ってポイントを探していると、橋の近くに大きなたまりがあった。車も止めやすいのでそこで糸を垂らすことにした。
スプーンを下流に向かって投げる。スプーンはゆったりと流れに逆らって戻ってくる。
スプーンというのは名前の通り、スプーンのような金属片だ。その昔、ヨーロッパの湖のほとりで食事をしていた貴婦人が湖にスプーンを落としてしまった。それに魚が食いついたことから、スプーンに針をつけて釣り道具にしたことが始まりである。
私は今、ティースプーンの柄を取り、表面にギザギザの模様を入れたような、釣り用のスプーンを投げている。こんな金属片を魚は食うのか、こんなものが千円近くするのか、スプーンを百円均一で買って加工した方がよかったのではないか。つまり、全く釣れる気がしないのである。とりあえず、来たばかりで帰るのも癪なので惰性で投げ続けた。
川の真ん中に投げる。何も来ない。場所を変えて対岸の岸沿いに投げてみた。飛びすぎて対岸に生える草に引っかかった。強引に引っ張ると切れた。暗くなってきたので帰った。
またしばらくして川釣りをする時間が増えた。翌日は場所を変えた。真名川と九頭竜川が合流し、大きなたまりになっていた。2つの川が合流するから魚の量も二倍に違いない。トラウト用の竿を新調し、スプーンを5枚買い、この日に臨んだ。
リールを竿にセットし、車に立てかけて糸をガイドに通し、スプーンを糸先にくくりつけた。準備はできた。さあ川へ向かおう。車のドアを閉めた瞬間に、ドアの行く先に竿があることに気づいた。開いた状態の後部座席のドアに竿を立てかけていたのだ。スローモーションでドアが閉まっていく。
おれ、どうしてこんなところに竿を立てかけたんだろう。いつも地面に置いて仕掛けを作っているのに。この竿買ったばかりなのに。あ、竿を傷つけたくないからと地面に置かずに車に立てかけたんだった。ああ、いつものようにやればよかった。でも、竿は弾力性があるからドアの衝撃を吸収したりなんかして。
ドアはバタンと閉まった。竿先を巻き込んで。ドアを開けた。竿を確かめた。先が折れていた。竿はこれしかなかった。折れた部分を外し、20cmほど短くなった竿で釣りをした。棒を振っているようだ。竿が全くしならない。スプーンが飛ばない。飛んで5メートルほどだ。そんな距離では狙いたいポイントまで飛ばせない。運良く魚が食いつきはしないかと思ったが魚は全く寄ってこない。開始10分で釣りをやめた。
新しい釣竿を買った。もう絶対に車に竿は立てかけない。地面に釣竿を置いてスプーンをセットした。初めに行った真名川の橋の近くのたまりへ行った。そこはいつもよりずいぶん浅かった。雨が最近降っていないからだろう。水量によってこんなに風景が変わる。いつものポイントもポイントではなくなるのだ。となると、この前は釣れなかったポイントは今日釣れるかもしれない。
川の真ん中に砂洲がある。前は水中にあったが今は水面に出ている。砂州の下流に投げ込んだ。スプーンを巻く。何か魚が追ってくる。でかい。かなりでかい。追ってくるが食わない。スピードを緩める。プイッと顔を背けて戻っていった。もう一度同じ場所に投げた。また追ってくる。しかし、また食わない。また投げた。また追ってきた。少しついてきて、プイッとどこかへいってしまった。また投げた。もう何も見えなかった。何度も投げた。同じ結果だった。私はとても緊張していた。胸がバクバクと高鳴っていた。しかし、投げるたびに期待は失望へと変わっていく。ああ、もう来ないのか、あれは釣れないのか。あの魚は何なんだ。
砂州の大物はあきらめた。岸沿いにスプーンを投げた。カンっと金属片を弾いたようなアタリがあった。急いで巻く。重みを感じる。少し動いている。何かが掛かっている。どんどん巻いてみる。魚が寄ってきた。銀色の細長い魚だ。コイやフナにしては細長い。小さな鱗がびっしりとついている。
ウグイだった。サイズは15cmほど。針を外そうとスプーンに手を取ると、目と口が離れた間延びした顔をこっちへ向けた。食べても小骨が多く、川釣りの一番の外道とされている。そんな小さなウグイだったが喜びは格別だった。こんな金属片で釣ることができたのだ。