そうだ、マカオにいこう!(3)


 当初から軍資金は3万円と決めていた。カジノにしては大した金額ではないが、予80万円の貧乏旅では大金に違いない。ぼくはこの3万円がなくなった時点で切り上げなければ、破産してしまうのだ。

 カジノでは、同じゲームでも台ごとにミニマムベット(最低賭け金)は異なる。大富豪から一般人まで、金銭感覚の異なる人間たちがそれぞれ遊べるというシステムだ。ミニマムベットの高い台では3万円など湯水のように消えてしまうので、ぼくはミニマムベットが最も低い台を探した。

 どうやらこの日のミニマムベットは最低でも100HK(約1500円)のようだった。その台の中でも最も多くの客で活気付いている台に近付き、しばらく様子を眺めていた。この台は大と小がおよそ順当に、交互に出ていた。

 ひと通り見終えると、ごった返す客の合間を縫って最前列に割り込み、ディーラーに3万円分の札束をすっと差し出す。すると札束はチップになって返ってくる。チップも金額によって異なるのだが、無駄遣いしないために、すべてのチップを1枚100HKDのものに替えてもらう。これで戦闘準備は整った。

 ぼくは場の流れに従って、前回出た大とは異なる、小にひょいと1枚賭けてみた。すると記念すべき初戦は予想が的中し、小が出た。チップが2枚になって返ってくる。次はその2枚をそのまま大に賭けた。するとそれも的中し、4枚になって返ってきた。ほんの数分の間にチップ一枚が4枚に増えたのだ。金額を換算すると5千円ほど勝ったことになる。うほほ。

 たったの数分で5千円勝つということは、時給換算すると10万円ほどになる。なんて割のいいバイトなんだろう。そう考えてしまうと、日頃こつこつ働いているのが馬鹿らしく思えるし、なんだか緊張してくる。

 ダメだ。こんな貧乏臭い思考ではカジノで勝つことなんてできまい。ぼくは手の中にあるチップを、ビックリマンシールだと思い込むことにした。大金を賭けているということを自覚してしまうと、緊張感から、本来の鋭い感覚が鈍ってしまうような感じがするからだ。

 と、ここで相当頭の切れるぼくは、一つの戦略を思いついていた。
 しばらくゲームを観察し、この戦略ならまあまあな高確率で勝てるのではないかという予想がついてきた。
 その戦略は以下の通りだ。

 ①手元に8枚のチップを用意する。
 ②はじめは必ず1枚から賭ける。
 ③1枚が8枚に増えるまで倍プッシュを続ける。
 ④1枚が8枚に増えた時点で倍プッシュをやめ、再び1枚から賭ける。(もし途中で負けてしまった場合も再び1枚から賭ける。)
 ⑤用意した8枚が無くなった場合、新たな8枚を準備する。

 という、至ってシンプルなもの。

 このゲームの勝率は限りなく五分五分に近いので、3連勝する確率は単純計算でいうと8分の1だ。だとすれば、8回勝負したうちの1回は3連勝できるという算段になる。

 チップ8枚を1セットとすると、ぼくの持ちチップ数は20枚ほどなので、2か3セットはプレイできることになる。これならば運が悪くても何回か巻き返すチャンスは訪れるだろうし、なかなか悪くないやり方だと思った。よし、これでいこう。

 ということで、次は勝った4枚をそのまま一気に小に賭ける。ここで勝つと8枚に増えるわけだが、たとえ負けたとしても、実質的には、はじめに賭けた1枚しか失っていないことになる。ここは迷わず、倍プッシュだ!

 そんなことを考え、サイコロが転がりまわる乾いた音を聴きながら、ディーラーがゆっくりと蓋を開けるのを待つ。結果は大だった。惜しくも外れてしまった。さきほど連勝して獲得した4枚のチップは、まるで小馬鹿にしているかのような、無表情なディーラーにサッと回収されてしまった。

 思わず悔しさがこみ上げそうだったが、焦ってはいけない。まだまだ勝負ははじまったばかりである。地道にこつこつと勝ちを重ねていくのだ。

 ぼくは深く心に誓い、時間にして約2時間ほど、戦略に忠実に従いながらプレイしていた。バラつきこそあるがほぼ確率通り、定期的に3連勝のタイミングはやってきていた。手元のビックリマンシールは減ったかと思えば元の数に戻るという繰り返しだった。

 しかし、あるときから3連勝がパッタリなくなった。ついさっきまで一進一退の攻防戦を繰り広げていたビックリマン戦士たちはあっという間に数を減らし、そろそろ出るだろうと呑気にやっているうちに、あっという間に残り1枚となってしまった。

「最後の1枚、ここで負けたらもうお終いか。結局元手を上回ることもなく、大してドラマもないつまらない勝負だったな。けど2時間も遊べたんだからまあよしとするか」なんてぐじぐじと考えていると、最後に闘ったビックリマン戦士は、なんの足掻きもせず負けてしまった。

 冷徹非情なディーラーにぼくのチップが回収されてゆく様をぼんやりと眺めていた。途端、ぼくの体は妖しいネオンライトの光線を全身に浴び、何百という忙しない騒音が混じり合った、混沌とした空間に包み込まれていたことに気が付いた。ついさっきまでこの興奮の渦中にいたのに、終わった途端に仲間外れにされてしまったような寂しさを感じた。

 ふう。これで、終わりか。

 しかし果たして、こんな終わり方があっていいものだろうか。こんな毒にも薬にもならない、しょうもない終わり方をするのならば、せめて1回くらいドーンと勝負すればよかった。なんだかふつふつと憤りがこみ上げてくる。しかし、ないものはない。

 ぼくはとりあえず冷静になるために、一服しようと喫煙所に足を運んではいたが、すでに腹の底では揺らぐことのない決意が固まっていた。

 このまま終わるわけなかろう。

(4)に続く


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