一歩、一歩と足を運ぶ。
新緑に満ちた川沿いの公園は、眩いばかりの生命力を放っている。容赦なく陽に照らされた身体はじっとりと汗ばみ、肌着のシャツはぴたりと背中に密着する。蒸し暑い季節だ。
刻々と流れる時間に文句を言うことなど誰もできやしない。みんな、同じように生きている。
それでも歩み続ける。
人通りの少ない脇道を抜けると、文明の匂いが充満する大通りへと出る。
あと少し。
暑さに堪えきれず、自動販売機は冷えた微糖の缶コーヒーを吐き出す。
やっと着いた。
周囲に緊張を悟られないようそっと門を踏み切ると、独特の騒音が押し寄せてきた。久しぶりのキャンパスは活気で溢れ返っていて、僕なんかにかまう暇はなさそうだ。
早足で教室へ向かうもの、ベンチで寝転び仮眠をとるもの、友人と軽口を叩き合うもの。みんな、それぞれに意味があってここにいる。懐かしい感覚。しかし、どこか遠くへいってしまったような感覚。
一年半ぶりに通いはじめた大学には、友人と呼べる存在は殆どいなくなってしまった。ひとりで歩き、ひとりで座り、ひとりで帰る。ほとんど決まりきったルーティンワーク。他愛もない言葉を交わすことすらできない。ただの昼休みでも、今の僕にはとてつもなく長い時間のように感じられる。
べつにひとりが嫌いなわけじゃない。ただ、それを意識するたび、自ら下した決断の意味を考えずにはいられない。
2015年4月18日、世界放浪を謳って一年間の旅に出発した。まだ見ぬ世界を手当たり次第に体感したい。その先になにか見えるものがあるはずだ。そんな純粋で、向こう見ずなエネルギーが僕の身体には漲っていた。
出発点である香港から中国に入り、陸をつたってタイに辿り着いた。それまでは、わりと一定のペースで順調に進んでいた。しかしタイでの出来事が僕にある種の迷いを生じさせ、それがこれからの旅を形作る大きなきっかけとなった。
ゲストハウスで仲良くなった同じ年頃のバックパッカーに、タイの離島で一緒にスキューバダイビングの免許を取得しようという誘いを受けた。自分がダイビングをするなんてそれまでに考えたこともなかったし、いかにも唐突な勧誘だったので、旅の予定が崩れることを危惧する防衛本能からはじめは断った。
しかし相手は諦めなかった。猛烈にアタックされているうちに、ダイビングをするのもなんだか魅力的だなあと考えはじめている自分に気がついた。
こいつはどうしたものか。けれどどれだけ考えても、答えは出なかった。そこで僕はいま一度、この旅をはじめた原点に立ち直ることにした。
ただ、未知なるものを求めて飛び出した。世界中を適当に移動しさえすれば、労せずとも未知のほうから僕に駆け寄ってくるものと考えていただけで、もとから明確に「どこどこに行こう」というのはごく僅かしかなかった。
それならばその場で興味の湧いたところにふらっと寄ってみるのもいいではないか。
ましてやわざわざ忙しない時の流れから抜け出してきたのに、旅に出てなお予定に追われ続けるなんて、まっぴらごめんだ。
僕はなにも世界を一周するためにここにきたのではない。そこに未知があることさえわかれば、もはや場所という概念は必要ないのだ。ここはひとつ、流れに逆らわず身を任せてみよう。
こうして僕は、ちょっとだけ寄り道をしてみることにした。結局これがきっかけで僕は寄り道スパイラルに陥り、インドまで陸路で行ってしまうことになろうとは、この時点ではだれが予想しただろうか。
海という見えない国境に囲まれている日本で育った僕には、陸路で国境を越えるというのが新鮮で心地よかった。
国境沿いの町から検問所の門をくぐる。出国のスタンプを押され、なんの変哲もない橋をてくてくと渡りきると、異国の文字で記された看板に歓迎される。どう見ても、ついさっきまでいたところとさほど変わらぬ景色である。しかし、そこに流れる空気は全く異質のものなのだ。
いったい、国境とはなんなんだ。それは、強制力を伴った明確な区切り。それは、だれかが決めただけの曖昧な線。
地に足をつけて歩み続けることで僕はすこしずつ、けれども確実に移り変わる文化や風土に触れてきた。世界にはいろんな基準があることが、肌で感じられた。そしてその先に「この世界はたしかに繋がっているんだ」というたしかな実感があった。
気がつけば、香港からインドへいくまでに8か月を費やしていた。旅に残された期間はあと2か月弱と迫っていたため、僕はこの旅で一番楽しみにしていた南米大陸へ行くことを諦め、いっそのことアジアに骨を埋めてやろうと決めた。
そこからマレーシアのボルネオ島、インドネシア、フィリピンを巡った。その後デング熱、肝炎と大病を患うことになるのだが、これはのちほど詳しく話すことにする。
僕は安易に「旅は素晴らしい」とは言いたくない。
旅をすることは己の無力さに打ちひしがれることでもあるし、孤独と対峙することである。一歩道を踏み違えれば、そのまま現実に戻ってこられなくなる危険性すら兼ね備えている。
実際に僕はつい最近まで、非常に危ない状態に陥っていた。旅の終盤、フィリピンで肝炎に感染していることが発覚し、予定を早めての帰国となった。急遽成田行きの航空券をキャンセルし、行き先を実家のある関西へと変更し、ボロボロの雑巾のような状態で家族に出迎えられ、そのままの足で入院生活を余儀なくされた。
それまでの僕は、たしかにエネルギーが漲っていた。
帰国したらとある学校を受験し、ジャーナリズムについて深く学ぼうと計画していた。けれども闘病のせいで願書の提出期限に間に合わず、ついには受験することすら叶わなかった。そこに追い討ちをかけるように病状もかなり悪化し、僕の精神は一気に不安に苛まれてしまった。病気はしばらくして快方に向かい、退院することはできたのだが、病状が安定するまでは自宅療養を強いられた。
有り余ったエネルギーを解放することができないことに対する反動は想像以上に大きなもので、東京に戻るときにはすでに、完膚なき無気力人間ができあがっていた。
まさに「ショーシャンクの空」に出てくる終身刑の囚人のような気分だった。何十年もの時を塀の中で暮らしてきた者には、もはや娑婆での生き方はわからない。
突然釈放を言い渡され娑婆に戻された老人は、思い悩んだ末に自殺してしまうのだ。
そうして僕は完全に自信を失っていた。しかもそんな自分を情けないと思っていたので、帰国を祝福してくれる友人たちにもどこか申し訳なく、胸を張ってただいまと言うことができなかった。
東京に戻ってから大学に復学するまでの数か月間は悪夢のようだった。周囲にはできる限り明るく振舞っていたが、自分の存在理由が本当にわからず、常にゆるやかな死と隣り合わせの状態にあった。
そんな僕の状態をなんとなく察し、「なんだか丸くなったね」と落胆されていることもわかっていたし、なによりも悔しかった。それでもその悔しさをバネに行動する気力は湧いてこなかった。
なんとか最悪の状況からもがき、抜け出しはじめたのは、再び大学に通いはじめてからだった。無理矢理にでも頭と体を動かすことで気を紛らわし、いくぶんかは楽になった。少しずつでもいいから昔の自分を取り戻そうという気になれたのは、自分にとって大きな前進だった。
そしてしばらく経ったとき、大学入学当初に付き合っていたひとと話す機会があった。彼女に会うのはおよそ3年半ぶりのことだったので、はたしていまの彼女にいまの自分はどう映るのだろうかという期待と不安が入り混じっていた。
駅の改札で待ち合わせ、自然とぎこちない笑いが生まれた。はじめはすこし照れくさく、けれども徐々に昔の感覚を取り戻しながら、話は進んでいった。
「いまはなにかしてるの?」
唐突に投げかけられた質問。
僕はすこし考えてから「なにもしていない」と答えた。
それが彼女を落胆させる答えであることは充分承知したうえで、そう答えるしかなかった。
予想通り、彼女の表情は曇った。
「以前のあなたは何事にも意欲的に取り組んでいたし、そんなあなたを尊敬していたけれど、いまのあなたは丸くなってしまったね」
そんなことは自分でもわかっていた。わかりきっていた。けれどもそれを認めたくないばかり「まだ学校に慣れないから」だとか「バイトに精を出している」といった言い訳を必死に探し、弁明しようと考えを巡らせている自分に気がついた。
それからは押し寄せてくる悔しさと情けなさに耐えながら、ぐっと口許を固く閉ざすことしかできなかった。
行動しなければ、なにもはじまらない。そんな当たり前のことは痛いほどわかっているし、これまではなんなくできていた。むしろやりすぎていたくらいだ。けれどいまではそんな積み重ねを無意識のうちに躊躇い、敬遠してしまっている自分を思い知らされた。
このときを境に僕は、どうしようもなく弱い自分と正面から向き合いはじめた。彼女にとってはなんともないことだったかもしれないが、自分を取り戻すきっかけを与えてくれたことを、僕は心の底から感謝している。
長すぎた休息だったように思う。けれど、もしかしたらあの時の自分には必要な挫折だったのかもしれない。とにかくいまは、そんなことを考えている余裕はない。自分の信じる道を、ひたすら歩み続けるしかないのだ。
話がずれてしまった。
旅にはいろんな危険が潜んでいるが、それ以上に大きな効用がある。それは、世界にはいろんな基準があるということを肌で感じられることだ。
ひとの心というのは、とても環境に左右されやすい。知らぬ間に自分の置かれている環境の常識だとかルールだとかに囚われてしまって、気がついたときにはすでに身動きがとれなくなっているかもしれない。
エアコンのフィルターに埃が溜まってしまうと、冷房が効かなくなるのと同じだ。そんなときは、フィルターの埃を念入りに洗い落としてみればいい。すると故障したと思っていたエアコンはごうごうと動き出し、うそのように部屋をキンキンに冷やすだろう。
いろんな基準を知ると、それまで固執していたことなどどうでもよくなるし、無駄なものが削ぎ落とされたぶん、自分が本当に求めていることが浮き彫りになってくる感覚がある。それは良くも悪くも、これからの人生に少なからぬ影響を与えるだろう。
今回の旅が大作「世界放浪」のうちの第一部「アジア編」という形になろうとは、出発したときには僕自身、思いもよらないことだった。
世界はまるで、未知が湧き続けるマンホールである。一度蓋を開けてしまうとその底知れなさに思わず絶望してしまいそうにもなるが、僕はそこから決して目を背けることなく、これから自分にできることを地道にやっていこうと決めた。
いつの日か、僕はまた必ず旅に出る。未知への探究心と、それに対する熱い想いを失わぬように。自戒の意を込めてここに記す。