二十四節気の「啓蟄」の日もとうに過ぎ、もうすぐ「春分」なのだが、コロさんもわたしも冬衣のままだ。
「今年の冬は寒かったね」
「ラニーニャの影響だって」
青空のもとに白く縁どられた八ヶ岳を眺めながら、中央自動車道を進む。あと2週間もすれば、東京では桜が開花するとは信じられない、ぴりっとした寒さだった。
途中、八ヶ岳PAで休憩をする。おや、木で出来たたくさんのシカたちのお出迎え。これから向かう温泉にぴったり。わたしたちが本日向かうのは、「鹿教湯(かけゆ)温泉」。シカと縁の深い湯治場なのだった。
お宿に入る前に、まずは腹ごしらえ。鹿教湯温泉入口付近にある、国道沿いのお蕎麦屋さん「奈賀井」。一度ふらりと入って以来、ここのお蕎麦に魅了されて、幾度目かの訪問になる。
「うーん、発芽粗挽そばにしようかな」とコロさん。
「わたしは、韃靼そば……あ、挽きぐるみそばも!」
こんなに頼んで大丈夫だろうかという不安もどこへやら、蕎麦はスルスルと胃袋に納められ、蕎麦湯も堪能して、あとは冬のタヌキのように立派なおなかをした二人の生き物が至福の吐息をつくのみであった。
現在、規模様々の22軒のお宿がある鹿教湯温泉は、国民保養温泉地として指定されている。リハビリテーションのための施設や病院もあり、静かな山間地域なのだが、不思議な活気を感じる場である。
「ごめんくださーい」。つるや旅館の裏口に到着。広いロビーの横には、長いスロープ。
館内を車椅子で移動できるようになっているほか、ご高齢の方も安心できるように段差が極力少ないなど、バリアフリー設計に工夫が凝らされた造りになっている。感じのいい女性スタッフに、お風呂から近い渓流沿いのお部屋を案内される。もう何度かお世話になっているお宿なので、詳しい説明は不要。お茶をいれて、広縁でまずは一服。
窓の外では、木々が春の準備を始めている。一見ガランとした景色のように見えるけれど、目を凝らすと枝先に小さな芽。固くておとなしそうな芽の中に、春に向けて爆発的なエネルギーが蓄えられているんだろうな。植物、おそるべし……。
と、すばしこい灰色の生きものが、さーっと木の幹を移動するのが見えた。「キツツキだ!」昨年の沢渡温泉で出会ったアオゲラよりずっと小さい、コゲラ。「虫探しかな」。
コゲラの動きに見とれていると、突如目の前に現れたのはカケス。あれ? 何かくわえている?どんぐりのように見える。カケスはちらりとこちらを見たあと、鮮やかな弧を描いて飛び立っていった。
窓の外の小さな劇場見物はいったん終了し、お風呂へそれぞれ向かう。コロさんはお気に入りの貸し切りの家族湯へ、わたしは下の階の薬師の湯(女湯)へ。
つるや旅館は、大きなお風呂が5つ(男女別の薬師の湯、文殊の女湯、文殊の湯内風呂と野天湯)、貸し切りの小さなお風呂が2つあり、すべてが源泉かけ流しで、飲泉もできる。弱アルカリ性の穏やかで滑らかなお湯だ。備え付けのコップで湯口からゆっくりお湯を飲むと、かすかに苦味が感じられる。ここのお湯は、神経痛やリウマチ、運動機能障害等によく効き、飲めば胃腸が元気になるという。ぬるめのお湯に長めに浸かっていると、心身のこわばりがどんどんほどけて、この世に悪いことなんて何もないような気持ちになっていくのだった。
お風呂からあがり、湯上り処のサンルームでぼんやりしていると、コロさんがさっぱりとした顔をしてやってきた。
「明るいうちに散歩いこう」
「いこういこう」
そう、鹿教湯温泉は「歩く温泉地」でもあるのだ。歩きやすい服装にスニーカーのご高齢の方々が、それぞれのペースで歩く姿をあちこちで見かける。
リハビリセンターに入所されている方たちは、療法士さんといっしょに楽しそうに歩いている。遊歩道も整備されているので、安全にウオーキングができる。そして四季折々の風景や野鳥たちに見守られているという安らかさ。
至る所に、無言のシカたちがそっと寄り添う。
「そういえば秋に来たときに、コロさん、シカの声を聴いたんだよね?」
「うん、フィーっていう笛のような声だったなあ」。 散歩の後は、お部屋での夕ご飯。茶碗蒸し、天ぷら、焼き魚、野菜とお魚のお鍋や煮物等を、お酒とともにテレビのニュースを見ながらゆっくりいただく。
「今夜こそは、ムササビに会いたいね」(つるや旅館では運がいいと野生のムササビに会える宿なのだ)など言いながら、心地よくてうとうとしてしまう。はっと気づいたらもう深夜だった。誰もいないお風呂に出かけ、見えないムササビの姿や聞こえないシカの声に思いを馳せる。今この瞬間にも、彼等には彼等の暮らしがあり、命があることを想う。 目覚めると、もう午前7時を過ぎていた。文殊堂の鐘の音が聞こえたような気がした。
コロさんはすでに起きて、広縁で窓の外を眺めている。
「ムクさん、もう皆起きて散歩してるよ」と、コロさんが指さす先には、対岸の遊歩道にすでに十数名の高齢の方々がにぎやかに散策をしているのだった。
「朝湯して、食前のウオーキングなのかな」
「鹿教湯では、歩くことが湯治の大事なメニューなんだよ、きっと」 朝ご飯は食事処でとるのだが、周りを見渡してもほぼ皆完食だ。よく食べ、よく歩き、よく眠ることは、ヒトという生きものにとって基本のキなのかも。健やかであることがとても有難いことを、人生の先輩たちはよくご存知なのだろうな。「よく呑み」、、ばかりがダントツ1等賞の自分は、ちょっと穴に入りたくなる。 「せっかく長野まで来ているのだし」と、少しまた遠出。寄り道しながら、佐久方面へ向かう。まだ風景は茶色のグラデーションなのに、春がすぐそばまで来ていることをみんな知っている。木も草たちも野鳥も、ヒトたちも。道路をトラクターがのんびりと走る。
細い山道に入り、少し散歩。「おやおや、またシカ!?」。雄雌つがいのシカの像がそこにはあった。その下の筒から流れ出る水は、妙に温かい。「これ、温泉じゃないの?」
そこは春日温泉の源泉公園なのだった。「鹿教湯からシカさんがついてきているのかも」と言いながら、誰もいない小さな公園で空を仰ぐ。
「春日といえば、春日大社の神さまのお遣いはシカだったね」
「春鹿っていう日本酒もあるし」
「?!」
鹿の声は、秋の季語とされるけど、春の鹿は、文字通りに春の季語。
「思ひわすれ思ひ出す日ぞ春の鹿」(千代尼の句)。春霞の向こうにそっと草をはむ、千年前のシカが、幻のように浮かんで見えた。