日めくりか好きだ ――編集ダイアリー2020年5月21日


今日もすっかり仕事で遅くなってしまった。
早く請負先の仕事を引継ぎたいのだが、後任となかなか出勤日が揃わず、結局来月へ持ち越しになってしまった。

客の事務所を行ったり来たりして、自分の事務所に戻り、さて、ようやく帰ろうという段になって、ふと日めくりが目に留まる。

そして悩みが始まった。
明日のためにめくっておくか、それともそのままにしておくか……。

日めくりというものを社会人になるまでわたしは実際に触れたことがなかった。
初めて見たのは社会人として最初に勤めた取次の関連会社だった。

その会社は取引先の用紙問屋から毎年大きな日めくりをもらっていて、事務所の皆が見やすいところに掲げてあった。

毎朝、早く出社した社員が始業前にそれをめくり、日を新たにする。
当番が決まっていたわけではないが、自分が早く出社した時には決まってめくるようになった。

最初はたぶんなんの感慨もなかったはずだと思う。
でもそのうち、めくることで気持ちがシャキッとする心地よさに浸る自分に気づいた。
紙の端をもって、左右のどちらかにさっと手を引く。
紙が破ける心地よい音とともに、古きものは引き離され、新たな姿が現れる。
それがことのほかわたしには好ましいことのようでじつに気持ちがよかったのだ。

それから17年、当時の会社を辞めてから日めくりと出会うことはなかった。でもずっと日めくりがほしいと思っていた。
しかし、「日めくりはもらうもの」という思い上がった悪い考えが身についていたせいか、たかが2千円弱のカレンダーに身銭を切ろうとは全く思わなかった。

そして今年、満を辞して日めくりが我が社にやってきた。
買った? いや、やっぱりもらいものだ。

めくり始めてもうすぐ半年を迎えようとしている。
昔のようにめくるのはたしかに心地よいのだけれど、ひとつだけ心変わりしたことがある。
「めくるのがもったいない」

日めくりにそんな未練を感じるのはなぜだろう。
めくるという行為に残り少なくなる自らの日々を重ねているのだろうか。
それとも、一瞬にして過ぎ去った昔日の思い出をせめて日めくりに見出してしばし感傷に耽りたいのか。

今宵も悩みは尽きない。


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