SNSのメリットに目をつぶる自分がいる ――編集ダイアリー2020年5月25日


 昨夜は2時すぎに家に戻り、3時にベッドにもぐりこむことができた。
 最近は目覚ましを使わなくとも、必ず9時過ぎには目が覚める。わたしにとっては何をするにもちょうどいい時間帯だ。

 道路を一つ挟んで、おそらく在宅勤務中の若い夫婦宅の、バルコニーで遊ぶ幼い子どもの元気で楽しい声を聞いていると、朝から愉快な気持ちになる。

 ここ数日「誹謗中傷」という言葉が、ずっと頭の中にへばりついていて離れない。
 想像を絶するひどい言葉で大切な命が失われたというニュースを読み、なぜこんなことが起きてしまったのだろうかと考えている。

 今までは陰口程度だった個人の不満は、SNSではダイレクトに相手に伝えることができるようになった。匿名で投稿できるという手軽さがそれをさらに助長している。
 そして、ある投稿者の前後の文脈をくみ取れないまま、実は誹謗中傷の流れに対して「いいね」を押してしまっている自分がいるかもしれないと思うと、深いため息が出る。

 直接的な誹謗中傷だけでなく、間接的に関わってしまっている可能性を考えると、だれもが加害者にも被害者になりうることが分かる。
 テクノロジーが人間の想像を超えて進化する時代に、心のやり場はこれまでの生身の人のつながりとは関係なく無限に広がっていく。

 このSNS上の問題は単に「人を傷つけるようなことは書かない」という、そんなに単純な話ではない。けっきょく学校でのいじめや職場でのハラスメントとまったく一緒だということにいきつくのだ。

 ならば、このいじめに加担しないためにわたしたちはどうすればいいのか。
 声を上げて相手に抗議するべきなのか。
 SNS自体をやめるべきなのか。
 
 SNSが力を持つ世の中で、そのメリットのためだけに目をつぶり使い続けるのがいいのかどうか。
 かかわり方を変えるべきなのか。
 わたしはそんなことをはじめて考えている。

 

 


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