横浜の下町界隈は、夏の季節がよく似合う。
近くに海を感じながら、山の手へ向かう長くて急な上り坂を登り切った少し先にKさんの家はあった。
以前から、ずっと気になっていたKさんに意を決して「Tabistory.jp」の連載をお願いした。
あきらめた方がいいかと思っていたころ、ぜひ会いたいとメールで返事をもらったのだった。
メールに書かれた住所を頼りにたどり着いた家は、高い切り通しの際に建つ、緑に囲まれた景色のよさそうな一軒家だった。
駐車場の奥にある階段を下りると、全開にした窓からのぞく昼下がりの涼しげな部屋が、とても好ましく思えた。
「ごめんください」
開け放された玄関から何度か声をかけて、ようやく反応があった。
階段を下りる足音とともに現れたKさん。その姿は昔とあまり変わらないようで安心した。
銀座のバーを閉めたのが昨年の2月だから1年以上ぶりの対面である。
玄関を過ぎて北側の庭に案内されると、最近完成した「ハックルベリーの小屋」をイメージして作ったというあずまやが現れた。見覚えのあるような木のテーブル。店から持ってきたビロード張りの長椅子に案内された。
気がつくと向かいの荷物の上に猫の「はな」が気持ちよさそうに寝ている。さらに視線を伸ばすと、みなとみらいのビルの群れが、少し疲れたようにかすんでそびえていた。
「なぜ俺に連載を頼もうと思った?」そう聞かれて、
「これまでKさんが書いた文章にどこか惹かれていました」
自然と悩むことなく口をついて出た。むしろそれだけ伝えられさえすればいいと思った。
年明けにお母様の最期を看取り、最近は遺品整理をしながら過ごしていたとのことだった。
まさにそのことを報告するメールの中にしたためてあった「自分を歩くという仕事を続けてきた」という言葉に感じるものがあって、寄稿をお願いしようと決心したのだった。
とても印象的だったのは、自分の思いを語るときに言葉を選ぶKさんの真摯な姿だった。
そしてこれまでKさんときちんと話をしたことがなかったことに今さらながらに気づいたのだった。連れられて時々訪れたバーのマスターと、客のわたし、その程度の関係だったのだ。
Kさんは「正法眼蔵」との出会いを契機に、哲学的な思索を続けていることをわたしは知った。
なんの話をしていた時だったろうか。
「自分とは他人の関係性の中でこそ意識される。自分を意識するほど、自分が言葉を重ねるほど、それはほんとうに自分なのか」
Kさんの不意の言葉に何も答えを持たないわたしははっとさせられた。
そしてどこか自分の本づくりの姿勢を問われているような、そんな思いがした。
話の佳境を過ぎ、Kさんは本気とも冗談ともつかない表情で言った。
「こんなめんどくさいことばっかり考えてるよ」
自分とは何者か――人間が誕生してから、未だに解き明かすことのできないこの問いに苦悩する者の素直な言葉を聞き、まさに自分がやろうとしているすべてのことも、実はこの問いに立ち向かうためにあるのかもしれないと思うと、自らの無力さと、ほんの一瞬の存在にすぎないことを知り、深いため息が出てしまう。
それでも、こういう生き方を求めざるを得ないわたしたちとは、なんと不思議で魅力的な存在なのだろうか。心からそう思う。