自らの惰性的な行動を戒めるダイアリーを数日前に書いた。
でも、これほど楽なものはなくて、ふと目が覚め、ただただベッドに横たわっているのも惰性だと思いながらも、どこがいけないんだ? と思うところもあるけれど、ひとまずはベッドから起きてコーヒーを入れ、トーストにピーナッツバターをたっぷり塗って朝食を済ませ、洗濯機を回して、コーヒー片手に2階の書斎の机に向かう。
でも、これも惰性だったりする。
続けることが惰性的ではなく、その行動が惰性的かそうではないか。
わたしの日々の暮らしを思い返してみると、ほぼ惰性的。
ここでふと、惰性という言葉の反対語が気になり、辞書で調べる。
「惰性」という言葉の反意語は……なかった。
「惰性」を調べると、辞書にはこうある。
①〔物〕物体が同一の状態を保とうとする性質。(同)慣性
②前からのくせ。習慣。――的 惰性に任せるようす。
『角川国語辞典 新版』より
いろいろ調べていくと、「惰性的」という言葉の反意語らしきものが「精力的」であることが分かる。
ちなみに「精力的」を調べてみると、当然「精力」という単語にたどり着く。
「精力」を同じく調べると、
仕事をなしとげるちから。心身の元気。――絶倫 精力がなみはずれてすぐれているようす。
(同前引用)
朝、セットしたアラーム音で目を覚まし、大きな伸びをした後、自分自身に「おはよう! 新しい自分!」と声を掛ける。
ベッドから勢いよく飛び出てすぐに洗濯機を回しながらシャワーを浴び、鏡に映るさわやかな自分にとびきりの笑顔を作る。
シャワーの後は、青汁を一杯。トースト片手にコーヒーを飲み干し、傍らの猫にウインクをくれてやり、書斎でさっそうとキーボードを叩く。その音はどこかミュージシャンのようにリズミカルだ……(続く)
結論、わたしにとっては、精力的とは惰性的の反義語ではない。きっと。
はたして「惰性」という言葉は物事が変わらず続いていくことの状態を単に表しているだけ言葉なのだと知る。
要は問題はずっと続いていることを自分の中でどのように捕らえているかという、心の問題なのだと今さらながらに理解する。
自分を変えるポジティブな行動も、習慣になればネガティブになりうる。
ポジティブが習慣になれば、ネガティブの新たな一面もまた理解されてくる。
白黒で簡単に決められないところは人間の柔軟な思考力のなせる業か。
それをどう生かすかどうかは自分次第。
これだけのことを考えてみたならば、少なくとも今日は惰性的に生きてはいないな、と思うことにしよう……。