世界の窓を取り替える ――編集ダイアリー2020年7月4日


 テレビを買い替えようかどうか悩んでいる。

 我が家のテレビはブラウン管だ。
 もう20年以上の年季が入った文化財的存在だ。
 やはり昔の電気製品は丈夫である。老朽化による危険性はともかくとして。

 ことのきっかけは、父がテレビとソファの間にあるローテーブルに座り、目と鼻の先でテレビを見ているのを見た時だった。

 今年78歳になった父は、50歳を過ぎたころ緑内障になった。ちょうど今のわたしと同じ頃だろうか。
 会社で草野球チームを作っていて、ある晴れた試合の日、取ろうとしたフライのボールが見えなくなって、目の異変に気づいた。
 病院に行き、「緑内障」と診断された。すでに視野の多くを失っていて、進行を止めることしかできないと言われたそうだ。
 あきらめきれない父は、足利にある高名な眼科医のもとで手術をしたらしいのだが、やはりもう手遅れだったらしい。それから二十数年、毎日目薬を差して進行を遅らせながら、無事に仕事も勤め上げた。
 今の楽しみは散歩と食事と猫の世話、そしてテレビである。

 テレビにかじりつく父を見て、緑内障が悪化したのかと思い、尋ねてみた。
「テレビも見えなくなってきたの?」
 わたしが聞くと父は首を横に振りこう言う。
「このテレビ、最近暗くなった」

 半信半疑で画面に見入ると確かに暗い。外からの日差しで見えないわけではなく、黒く潰れたように見えるのだ。
 コントラストがはっきりするようなシーンでは、色のにじみも以前よりずいぶんと増したような気がする。
 そういえば、わたしがテレビを見るのはだいたい深夜。
 照明をかなり落とした状態で画面を見ているので、あまり気にならなかったのかもしれない。

「テレビを取り替えよう」
 父はぼそっと言った。
 しかし、その場ではわたしは首を縦に振らなかった。

 テレビもある程度きちんとしたものを買おうとすれば10万円以上はする。
 せっかくなら父と妻ともチャンネル権争いなど起きないよう、同時に複数録画できるような機能は欲しい。
 さらに岩合さんのネコ歩きが全部撮りためておけるくらいの記録容量も必要だ。

 ついでに猫で思い出したとすれば、薄型テレビに猫は乗れないだろうなあという気がかりもある。

 今はなかなか財布のひもを緩めることはできない時期だ。
 ほとんどテレビを見る機会がないわたしにとっては、現状でも見られればそれでよいという思いもある。

 でも、高齢の父にとって、テレビは世界との接点なのかもしれないと思うと、やはり今が買い替え時なのかもしれない。
 老朽化による火災などの不安もぬぐい切れない。

 特別給付金に手を出そうか。

 

 


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