夏がいつもより早く来た。
2022年は史上最速の梅雨明けだったらしく猛暑日が続いている。お昼に弁当を買いに会社を出て信号待ちする間にだって汗が流れてくる。今日も暑いな。でも夏が好きだ。幼いころの記憶、夏休みの高揚感を彷彿とする夏が好きだ。
休日の朝。早く目が覚めたからすぐ着替えて当てずっぽうで電車に乗った。
でも今日は品川から京急線に乗ろうと思った。
なんとなく京急線には憧れがあって、それは今までほとんど利用してこなかった路線だったし、また僕が海も山もない文京区なんかに生まれついたからなのかも知れない。まあ、文京区には坂道がたくさんあって神田川が流れているけど。
ぐいっと突き出た三浦半島の先へ先へと列車が進むにつれ、海の奥へ奥へと潜っていくような感覚が京急沿線にはあると思う。
そんな海底の薄闇に吸い込まれていくような気分をちょっと味わいながら、ちょうど良さそうな途中の駅を降りて歩いてみたかったんだ。
それに京急線の駅名は面白い。
新馬場(しんばんば)、青物横丁(あおものよこちょう)、鮫洲(さめず)、梅屋敷(うめやしき)、雑色(ぞうしき)、六郷土手(ろくごうどて)、八丁畷(はっちょうなわて)、生麦(なまむぎ)、屏風浦(びょうぶがうら)、追浜(おっぱま)、安針塚(あんじんづか)、逸見(へみ)、YRP野比(ワイアールピーのび)、三浦海岸。そして終点の三崎口(みさきぐち)なんかもすごくいい。
その駅名を冠するに至った経緯とか、謂れだとかを知りたくなる。そういう響きを持っていると思う。
ふとスマホで時間を確認すると、品川から乗り込んで40分くらい経っていた。
問題はどこで降りるかだ。特急なんかが止まらない静かな駅がいいかなと思ったから金沢八景駅で普通列車に乗り換えた。
流れる車窓の景色は灰色よりも緑色が多くなっていて、青空は眩しくて光が車内にも降り注いでいる。山を縫うトンネルを列車はタタッタタッ! と軽快な音を立ててくぐり抜けた。
次の駅で降りよう。
安針塚駅を降りて辺りをぐるっと見回してみる。駅前の京急ストアと交番、切り立つ山際に建てられた一軒家たち、日傘をさして影の中を歩こうとする婦人。真っ白い帽子とセーラー服に身を包んだ屈強な男の広い肩幅から日焼けした腕が伸びていた。この辺りに海上自衛隊の施設でもあるのかな。
それから、昔の僕が見えた。40年前の僕が。
◆
僕が小学生の頃の夏休みには、新幹線に乗って山口県のおばあちゃんの家に遊びに行った。
待ちに待った夏休みの一大イベント母の里帰りの付き添い。1年ぶりに顔を合わせる山口のおばあちゃん。会って最初は照れてモジモジしてしまって、いろいろと遠慮してしまう僕ら兄弟。
「みーんなが来るの、おばあちゃん、首をなごーうして待っちょったんよ!」
と嬉しそうに、玄関に立つ僕らの顔を見回しながら話しかけてくれるおばあちゃん。
「えっ! おばあちゃん首が伸びちゃったの!? 大丈夫?」
と真顔で聞き返す僕。
「アーハハ! そのくらい楽しみにしとったっちゃーね。暑かったじゃろう、さあさ、上がんなさい」
眩しい夏の日差しの中で、年長の従兄弟たちに混じって虫取りや川遊びをした。本当はやっちゃいけない鉄橋渡りをした(安全確認のため皆で耳を線路に押しあててから渡った)。海でカブトガニの甲羅を発見して裏庭に埋めて隠した。夜になったら手持ち花火をした。蚊取り線香の渦巻きの途中にマッチを仕掛けてじーっと待って、そのうち火種が近づくとマッチの先がボッ! と燃えた。寝床について電気を消して一人ずつ怖い話をするんだけど、すぐに全員寝てた。夜中は怖くて誰かを起こしてトイレに行った。
◆
目の前にある安針塚駅前の風景が、そんな昔の僕の記憶を呼び覚ましてくれた。
いやしかし朝から暑い。令和4年の夏の日差しを浴びながら、安針塚駅前を散策してみよう。
郵便ポストと自販機が並ぶ小さな建物があった。半間ほどのシヤッターがあるからここは売店かも知れない。まだ九時前だから開店してないだけなのかも。それにしても良い佇まいだ。
パトロール中の交番はガランとしていた。
「危険 近寄らない 触らない 令和4年3月24日 横須賀市役所道路維持課」
ガードレールがひしゃげている。窪地の向こう側から何らかのエネルギーが押し曲げたようだ。アキラが覚醒しちゃったのかな?
隧道の影と光に誘われるままに歩いている。
兄と妹の壁画があった。
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なトラス構造の基礎を持っている
私はそういう鉄塔です
鉄塔ってカッコいいな。
こういう階段があちこちにあって、それぞれ上ってみたいけど日が暮れちゃうから我慢する。
そんなエリアだから当然こんな看板だってある。
『落 石 注 意』
確かに小石がときどき落ちている。
とってもお茶目な方がお住まいなんだと思う。
シンプルな三角公園だ。
振り返ってみるとまあまあの距離を緩やかに上ってきた感じがなんとなく判る。ここまで駅から約850mほど。
しかし突如かなり急な階段が現れて、ここから険しい山登りの気配。
通り抜けできるのかできないのか。ストリートビューではこの先は表示されない。
かなりの山道だぞ。
物置小屋とかときどき住居もあったりするけど人の気配がない。
自分の足音と鳥の鳴き声が聞こえるぐらいだ。そういえばセミの鳴き声はしない。暑さが始まったばかりでまだ早いのだろう。
熊手が「帰れ」と言っているような気がする。
このまま進んで平気なんだろうか。
ちょっとここはスイッチバック式の登りになっていた。
草が生い茂って辺りが見渡せない。とにかく進むしかない。
見上げると鉄塔の足元だった。
さっきの変電所からつながっているのだろう。それにしても堂々としてカッコいいな。
「はい。私はそういう鉄塔です」
かなり年季が入っているがしっかりした造りの階段だ。いつ頃の階段だろうなどと眺めていると、何やら聞きなれない音が聞こえてきた。
ザザザ……ギ……ギギギ……ギギ……ボコ……ボコッ……
何の音なんだろう。誰かが何かの作業でもしているのか。いや、人の気配はない。音はどこから発生しているのだろう。
辺りを見回して聞き耳を立てる。
どうも広範囲にいろんな方向から聞こえてくるように感じられる。
キュ……ギュー……ボゴンッ……
なんなんだ。この音は。なんか動物でもいるのか。
怖くないぞ、僕は、怖くなんかないぞ。
ん……?
よく見ると辺りは竹やぶで、さっきから聞こえていた音は風に揺れる竹と竹がぶつかり合ったり擦れたりする音だった。なんだ、竹か。脅かしやがって。
そういえば昔の僕は怖くなるとドラえもんの歌とか歌って怖さを紛らわしてたっけ。
しかしこの細道どこまで続くんだろう。
スマホで現在地を確認しようとしても何故かうまく現在地が表示されない。ドラえもん歌おうかな。
おっ! 開けたか。
おーっ!道路だ! やっと細道から抜けた!
道路とかガードレールがこんなに頼もしく感じられたのは初めてかも。
けっこうディープな道のりだった。そして正直淋しかった。
(この記事を書きながらググってビビってしまった。「安針塚」と入力すると、候補に「安針塚 心霊」という恐怖ワードが現れたのだ。横須賀の海軍航空隊とか基地のイメージはなんとなくは持っていたが、別に怖さを求めて歩いていた訳では全くなかったので意表を突かれたというか、寝耳に冷や水だった…)
人がいる! 助かった!
無人島から何年かぶりに通りかかった船に両手を振るような気持ちになった。おおーーーい!! こーんにちはーーー! という気持ちだったけど、まあ通常どおり普通の挨拶をするとその女性は言った。
「どうぞ、見てってね」
そこは新鮮野菜の直売所だった。
珍しい野菜が並んでる。値段もお手頃だ。ここのところ野菜が高いから嬉しくなった。でもこの先まだ歩くだろうから重たくなってもしょうがない。何か一つだけ買っていこうかな。
「あのー、ジャガイモください」
「ジャガイモはね、メークインとアンデスレッドと北あかりと男爵があるの」
いろいろあるんだ、どうしようかな、「えっと、カレー作るんですけど」
「じゃ、メークインかな。型崩れしにくいしね」
なるほどと感心していると、「わたし野菜ソムリエなの」そう言って女性は認定書を見せてくれた。
確かに今すぐにでも収穫に向かうようなお姿だった。顔を覆う花柄の日焼け止め帽子、動きやすい上下の衣服に赤い長靴を履いておられる。
「はい、メークイン1袋は百円ね」
安い! と財布を開けるが小銭がない。
仕方なく千円札を出すと、「今お釣りないのよ~」と。マジすか~野菜ソムリエ~。
じゃあ千円分買います。という事になってあれこれあまり重くならないように千円分購入。
メークイン、カラフルにんじん、長ネギ、手作り梅干し、夏みかんマーマレード、ペットボトルのお茶。あと、ニンニクが珍しかった。
だいたいのニンニクは六片くらいに分球していて一塊になっているけど、これは一片種ニンニクといって分球していない、ただ一個の塊になっている。ちょうどドラクエのスライムみたいな形状だ。
この辺りは十三峠と呼ばれているらしい。無計画に歩いてきたのでどっちに進むべきか野菜ソムリエに尋ねると、
「ここまで来たら、塚山の公園いくでしょ」
と、ガイドマップをくれた。
礼を伝えて、教わった方向へ歩きだす。
買い求めたペットボトルのお茶を飲む。ずいぶん喉が渇いていたらしく一気に半分以上飲んでしまった。実際ここまで自販機なんか無かったから助かった。
海だ!
木々の茂みばかりだった視界が開けると海が現れた。思わず足を止めて尾根の向こうの横須賀の海を眺める。
ここまで自分の足で登って来て良かった。何年振りか久しぶりの海。しかも見晴らしは最高だ。
よし、さらに歩こう。
初めて目にするモノたちを愛でながら、誰も歩いていない道を自分のペースで歩くのは楽しい。そういえば昔から僕は団体行動が苦手だったなあ。
県立塚山公園の文字があるからいつの間にか公園の中を歩いていたらしい。ここは桜の名所のようだ。
この鹿島台という小さな高台からの眺望を楽しんでいるのは僕とアゲハ蝶だけだった。
「三浦按針夫妻墓」と書かれた説明札があった。補足を含めて以下、三浦按針さんについてザッとまとめてみる。
◆ ◆ ◆
この公園には二基の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が建てられている。塔は三浦按針(みうらあんじん)と、その妻お雪の供養塔だ。
三浦按針は、ウィリアム・アダムスという名の英国人だった。
1564年にロンドン郊外で生まれたアダムス。少年時代は船大工として働き、やがて英国海軍に入隊。海軍では航海長や船長をつとめ、侵攻するスペイン無敵艦隊から祖国を防衛したアルマダの海戦にも参加した。
その後のアダムスは、オランダの東洋探検船隊に加わり日本を目指すこととなる。
アダムスはリーフデ号の航海長として他4隻の船と共に出航するが、航海は苦難の連続だった。寄港先で伝染病に罹り、異国の襲撃を受け、台風に遭い、5隻の船団のうちリーフデ号だけが豊後国(大分県)に漂着する。
出港時には110人いた乗組員も、生き残った船員は24人だった。その中には、東京・八重洲の地名の由来となるヤン・ヨーステンの姿もあった。
時は西暦1600年4月29日。アダムスたちがやってきた日本は、半年後に関ヶ原合戦が起きる混とんとした時代だった。
徳川家康はアダムスを高く評価する。
政治・外交顧問として重く用い、江戸日本橋に屋敷を与え、この地に二百万石の領地を与え、旗本「三浦按針」として召し抱えたのだった。西洋人初のサムライの誕生だ。
姓は、この三浦の地を領地としたこと、名は、「水先案内人」のことを当時は按針と称していたことに由来している。
◆ ◆ ◆
といった経緯で、江戸初期の日本の為に尽力することとなったアダムスだが、家康の死後は不遇な晩年を過ごしたようだ。
そんな歴史の人物を今日は図らずも知ってしまったわけだが、これも一つの出会いと言えるだろう。
でも一つ素朴な疑問が残る。三浦按針と安針塚駅の【按】と【安】が微妙に違う。これは調べても謎のままだった。
結構歩いたし、ちょっと休憩しよう。
イノシシ出るの!?
お手洗いの掲示板を見てびっくりした。
港の見える丘の展望デッキがあった。
ここもいいなあ。天気がいいと房総半島まで見えるらしい。
塚山公園を後にしたけど、看板を見ると安針塚駅も逸見駅もどっちも約10分か。じゃあ逸見駅へ向かおう。
僕はこういう狭い道が好きなんだ。
ここからは下るばかり。
わーい、メダカだ、オタマジャクシだ、ミナミヌマエビだ……!
元気そうな水生生物がいっぱいいるぞ。
『ゾウリムシ、オオミジンコ、ホウネンエビ…お尋ねください』か、
うーん。気になるけど先を急ごう。
トンネルだ。
西逸見吉倉隧道と書いてある。
トンネルのすぐそこに椅子がある。なぜだろう?
ちょうど通りかかったご婦人に聞いてみたら、
「ほらトンネルって夏は涼しくて、冬は暖かいからじゃないかしら?」
と笑顔で答えてくれた。
そうか、確かにトンネルの中って風が吹き抜けてて涼しいな。あの椅子に腰かけて休憩がてら涼む方がおられるのだろうな。
しかし暑いな。
ふーっ。
これは。
これだ。
ふーっ。
逸見駅前のアーケードがよかった。
逸見駅だ。
さて、京急に乗って帰ろう。
帰ったら野菜ソムリエさんとこで買った野菜でカレー作るとするか。