今日の気分はバスドライバー 02 理由


 

 

 なぜ、15年ぶりにバスの乗務員になろうと思ったのか……。

 いろいろ考えてみるが、ひとことで説明するのは思いのほか難しい。
 台所事情だといえば簡単ではあるが、それもどこか後付けだ。

 やっぱり運転が楽しい。これだけは間違いない。
 だって、15年前に運転席を降りてから今まで、ずっと未練と後悔を抱いていたのだ。
 だから出版社で働きながら、一時は週末にしゃぶしゃぶ店の送迎用のマイクロバスのハンドルを握っていたこともあるが、ついぞわたしの思いは満たされなかったのである。

 でも今回、それ以上にわたしを乗務員へと駆り立てたのは、「違う立場で世の中を見る」という視点を持ちたかったという思いもあった。

 長く出版関連の業界にいるうち、わたしは世の中を高い所から俯瞰的に見るようになってしまっていたと思う。
 どこか「エラそう」に「他人ごと」なのだ。
 会社を興した時は「アウトサイダーな出版社」を標榜してもみたが、結局のところスタンスなど何も変わっていやしなかったのだ。
 でも、本やWebマガジンの発行を通して、さまざまな世界で暮らす人たちと関わるようになってから、もっと微視的に物事を見続けて、そこで起きていることをていねいに伝えることが小さな出版社の役割なのだと考えるようになった。そのために「わたし自身の視点」にこだわるたいせつさを意識するようになったのだ。

 そんなとき、ある書き手や編集者なら、興味を持った世界を近い場所から参与観察するという方法をとるかもしれない。
 でも、それでは根っこの部分が変わらないような気がした。
 なにか脱ぎ捨てなければいけないものを感じて、そんなことを考えあぐねて行きついたのがバスの乗務員だったのだと思う。
 でも、かといってなにもバス業界のことばかりを書きたいと思っているのではない。

 17年前、路線バスの乗務員になって気づかされたのは乗客一人ひとりの人生だった。
 実にさまざまな人がいる。
 強い人、弱い人、穏やかな人、激しい人。
 明るい人、暗い人。
 その裏には、人知れない境遇や暮らしがきっとある。
 そんな人たちをわたしは朝見届けて、夜迎える。

 いままで客として乗り合わせた時にはそんなことを考えたことすらなかった。
 だが、乗務員と乗客という、稀薄ではあるが継続的な不特定多数の人びととの関係を通して見えてくるものがあった。
 そこではじめてほんとうの世の中が見えたような思いがしたのだった。

 今の自分の立場を脱ぎ捨て、再びバスの乗務員となり、運転席とつながった自分が見る世の中はいったいどんなふうに映るのだろう。
 そんなことを考え始めたら、いてもたってもいられなくなってきた――お金も欲しいが、自分自身に一石を投じる何かがしたい。
 こちらの方がより正直な気持ちだろうか。

 しかし、である。
 そもそも、バスの運転士と別の仕事を掛け持ちするような贅沢を許してくれる環境はほとんどないのが実情だ。
 以前の勤務先もそうだったが、交番表(乗務員の勤務シフト)を組むのは何よりたいへんだ。乗務員の労働・休息時間や休日を考慮しながら、パズルのピースを組み合わせるように作られる。ある程度の規模の会社なら、きっと今もどこかで頭を抱えている担当者がいる。
 もちろん、交番を組むソフトウェアはあるが、最後は人海戦術でのやりくりがどうしても必要になるのだ。

 だから、アルバイトのように従業員の都合で出たり休んだりするような統制が利かない人材を採用するのは混乱を招くだけで嫌がられる。また、仕事明けにきちんと休息を取っているのか分からないようなたくさんの仕事を掛け持ちするような人物も、事故防止の観点から雇用はなかなかしづらいのだ。

 実際、応募先を探す段階で数社に問い合わせをしてみたが、
「正社員でなければ採用は不可」
「週5日の定時社員なら可」
という感じで、けんもほろろのところもあれば、川崎と鶴見を中心に運行する民間路線バス会社のように、
「今は受け入れる体制が整っていないが、今後アルバイト採用を本格的に行うようなことがあればぜひ連絡させてください」と、採用に含みを持つ会社もあった。

 半ばあきらめかけて、自宅から遠いのでいちばん候補の後ろに挙がっていた会社に電話をしてみた。
 それが現在の勤め先である。
 「アルバイトも条件次第」ということだった。意外だった。
 わたしは色めき立った。

 面接の日、会社を訪問し、質疑応答から始まるかと思いきや、
「先にバスを運転してもらいましょう」
ということになった。ドキドキである。

 15年ぶりに「点呼場」というものに足を踏み入れた。点呼場とは、乗務員が運行管理者を前に、勤務内容と健康状態、安全運行への配慮や旅客対応など、出庫・入庫時に互いに確認と報告を行う場所のことを指す。
 おそるおそる事務所を見渡しながら雰囲気を探る。不意に、
「おう、新人さん? 頑張ってな」
と明るく年配の乗務員に声を掛けられ、緊張が解けた。

 今はこんなに仰々しく検査するのか……と、アルコール検知器と表情を記録するカメラをまじまじと眺めながら無事にチェックも終わり、車庫へと向かう。
 いつも身近に見ているバスだけれど、今日ばかりはとてつもなく大きく見える。
 バスの扉は今ではメインスイッチと連動しているのか、などと変なところに関心しつつ、運転席に腰かけた。

 17年前の思い出がよみがる。
 はじめて路線バスの運転席に座ったあの日も、自分がそこに座っているのがどうにも信じられなかった。
 こんな大きな車両を自分で操れるとは!

 ギアをセカンドに入れて車庫を出る。おそるおそるスロープを降り、公道に出て、信号を2つ曲がったころには、すでに昔の感覚がよみがえり始めていた。
 東扇島からトンネルを越え、市営ふ頭を1周して車庫に戻る手前で試された坂道発進は見事に失敗したが。

 事務所に戻り面接。
 わたしにとって最近の面接と言えば融資の話ばかりなのだが、それ以上に緊張した……。
 過去に同業他社で働いた経験があるから、運転士としての心構えを持って仕事に向き合えることはきちんとアピールできたように思う。
 健康管理と就業形態に関する質問でも、勤務する日も週2回なら同じ曜日と決め、出版社業との配分をきっちり分けて生活のリズムを作れるような、ある程度固定した勤務を念頭に採用の検討をお願いしたのだった。
 もちろん、自分の会社のことも経営状態もすべて説明した。そして、今の仕事にずっとやりがいを感じていること、バスの仕事に魅力と未練を感じていることも。

 そして3日後、待ちに待った採用内定の連絡が来たのだった。
 喜びと期待と不安が入り混じる春の訪れだった。


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