カーシェアリング小さな旅 ~産業立国の原風景を探して


 東京から京浜東北線に乗っておよそ30分弱。午後8時、帰宅する人々で賑わう神奈川県の北の玄関口、川崎駅。
 改札口を出て、東口を北の方へ少し歩くと、大型立体駐車場「タイムズステーション川崎」が見えてきた。

 

 

 今や市民権をしっかり得た感のある「カーシェアリング」。これまでのレンタカーなどとは異なり、短い時間の単位で車両を借りることができるサービスだ。
 各社によってサービス内容は多少異なるが、今日利用する「タイムズ カープラス」では、燃料・保険料込みで15分206円から借りることができる(利用料に充当できる月額基本料金1,030円が別途必要)。
 利用方法も簡単で、一度会員申し込みをすれば、PCやスマホを使って、ほぼ全国を網羅するステーションで待機する車両の予約ができる。もちろん、予約の空きがあればすぐに利用が可能だ。乗車時も係員の立ち合いなどはなく、会員カードを車のウインドウの読み取り装置にタッチするだけでドアロックが解除され、利用できる仕組みになっている。

 よく、カーシェアリング車両が数台待機しているコインパーキングの「タイムズ」を見かけるが、この建物は全体がタイムズの立体駐車場施設になっていて規模が大きい。カーシェアリング用車両も11台用意されているので、好みの車両を選んで利用することができる。

 
 記念すべき第1回の小さな旅の相棒は、「トヨタ プリウス」。普段は乗ることの出来ない車両に乗れるのもカーシェアリングの魅力。初めてのハイブリッド車の操作にやや戸惑いながらも、無事ステーションを出発。

 

 

 本日の旅の目的は、「産業立国日本の原風景を楽しむ」のがテーマ。カーシェアリングの予約時にあらかじめ設定しておいた通り、ナビは駅の繁華街を抜けて、国道409号線を東へ進むよう促した。車の量は少ない。月が出ているのだろうか。薄明るい空にどんより立ち込めたグレー色の雲がウィンドウ越しに広がっている。

 商店や家屋は少しずつ視界から消えてゆき、並走していた乗用車は右へ左へと分かれ、わたしの車のまわりはトラックとバスばかりになっていた。
 気がつけばここはすでに工場地帯。道路沿いにある大きな工場の入口の守衛所だけが、蛍光灯の明かりついた部屋をぽつんと照らし出す。

 

 

 国道をそれて右折し、現役の貨物線の踏み切りを越え、工場と工場の間のまっすぐな一本道を進んでいく。
 運転席の左側に、たくさんの電球で飾られた塊が目に入ってきた。照らし出された要塞のような建物のあちらこちらから、もうもうと水蒸気を立てているのが見える。そして奥の方にあるひときわ高い煙突からは、火炎が決まった周期で噴き出ている。
 

 

 

 車を停め、カメラを手に携えて外に出る。車内では気づかなかった、薬品のような臭いと、地鳴りのように低く鳴り響く工場の騒音に、免疫のないわたしは少し恐怖を覚えた。

 

 

 そびえ立つ煙突から吹き上がる炎、巨大な冷却塔から沸き立つ水蒸気、うなり音を上げる配管の束。
 工場全体がまるで生きもののように振る舞う姿に、自分ではどうしようもない、手に負えない感情がこみ上げてくる。しかし、機械のためだけに存在する空間の合理的な美しさ。人さえも受け入れない、自然と対極的な風景美がそこに広がっていた。

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 いくつかのポイントで写真を撮って車内に戻る。狭い空間に包み込まれる感覚と、わずかな静寂に緊張がほぐれるのを実感する。現場で働く人びとは、常に緊張と隣り合わせなのだと思う。
 今来た道を戻り、さらに409号線を東へと進むと、突如高速の入り口に。ナビの道案内を終了していたわたしは一瞬戸惑ってしまう。が、そのまま首都高速湾岸線に乗って、「東扇島」に行ってみようと思い立つ。
 車は川崎航路トンネルに入る。浮島町を離れ、東扇島へ。この島は横浜寄りの扇島とともに、東京湾へ出島のように横に長く伸びる埋め立て地。火力発電所と物流センターが中心の島だ。
 高速を降りると、左手に凱旋門のような建物が見えてきた。すぐそばのコンビニで車を止め、地図を確認すると「川崎マリエン」と書いてある。コンビニの隣にある施設の入口から車を乗り入れる。

 

 

 ここは正式な名称を「川崎市港湾振興会館」と言うらしい。埋め立て地を活用したコミュニティ施設のようだ。テニスコートやバーべキュー施設などがあり、凱旋門のような形をした交流棟の展望室からは東京湾や工業地帯を望むことができるらしい。
 私が訪問したのは午後9時過ぎ。最終入場は8時半なので、わずかに営業時間に間に合わなかった。今回はあきらめることにしよう。

 駐車場を出て、島内を一周して帰ろうと車を走らせていると、島の東端に大きな公園があることに気づいた。「東扇島東公園」と書いてある。周回道路を離れて、公園の方へ車を走らせる。
 途中まで来ると、バリケードが設置され、港湾関係者しか入れないようになっている。そのすぐ脇には公園の駐車場がある。公園は広場になっているようだが、暗くてよく分からない。ただ、方向からすると公園の先は京浜運河になっていて、その向こうには工場地帯が見えるはずなのだ。

 車を降りて、公園の中を運河の方へ向かって、道なき草の上を歩いて行く。緑地の整備をした直後なのだろうか、若草の青臭い匂いが辺りに充満している。まだ暗さになれない目で地面を見ながら注意深く歩いて行く。
 少し歩いてきて、やった! とほくそ笑んだ。目の前に広がる工業地帯。その中心に、炎を上げるあの煙突がなにかの象徴のようにそびえていた。

 

 

 誰もいない運河のほとりでひとり、対岸の工場群を飽きるまで眺めている――。
 この景色も日本の農村風景と同じく、戦後の日本を支えたもう一つの原風景なのだ。
 おだやかな運河に揺れる炎とさまざまな色を放つ工場の灯。一瞬、その上に横たわる工場群が陽炎に浮かぶ砂上の楼閣のように見えた。

 

 

 公園の運河寄りの突堤には、足下に照明を設置した遊歩道として整備されていて歩きやすい。駐車場に向けて戻るときも、きちんとアスファルトの通路が整備されていることに気づいた。もちろん、はじめにきちんと案内図を見なかった私が悪い。

 まもなく短いドライブも終わり。出発地に向けて帰路につく。タイムズの車両に標準装備されているナビは、返却地の案内もワンタッチでできる。あとは指示に従って走りさえすれば良いので気が楽だ。

 

 

 川崎港海底トンネルをくぐり抜ける。深く潜っていく感じだ。思ったより距離がある。この島は人が暮らす場所から隔絶されたところなのだと強く意識する。
 トンネルを抜けて、車の車窓はまた少しずつ人の気配を感じる街並みに戻っていく。それを見てほっとする。人間はやはり無機質な、機械だけの風景の中では暮らしていけないのかもしれない。

 

 

 無事、車を返却。およそ2時間の旅だった。
 運転から解放され、つい、癒やしの一杯を体が欲する。
 すぐ近くの立ち飲み屋「元祖立ち飲み屋」で、ささやかに、静かにひとり、酒を飲む。これもカーシェアリングならではの贅沢に違いない。

 いい塩梅に酔いが回ったところで、店を出る。
 カーシェアリングのあとの一杯がやめられなくなりそうな、そんな予感がした。


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