相手の時間を生きる ――編集ダイアリー2018年3月19日


最近、原稿を書いたり、チェックをしたりするときには家にいることが多くなった。

会社を作って今年で満4年を迎えるが、これまではサラリーマンと同じように自分の事務所やお客さんの事務所に出かけ、そこで仕事をすることが多かったのだが、それをあえて減らすことにした。

とにかく移動時間がもったいない。都内までは往復3時間近くかかる。
以前のような通勤ラッシュの電車に乗ることはなくなったので、ゆっくり座って来られるのだが、どういうわけか、わたしは電車で読書に没頭したり、メモを広げてアイデアを練ったり、考えたりするような生産的なことが全くできないのだ。

でも、いちばんの理由は、家族との時間をもっと増やしたいと思うようになったからだ。

我が家は、わたしの父と妻、そして猫2匹が一つ屋根の下で暮らしている。
共働きの妻は、会社勤務20年超。営業職へと異動になり、早朝都心へ出て21時ころまで帰ってこない。
今年76歳になる父は、仕事を引退し、いくつかの病気も経験したが元気だ。洗濯や食事など家の家事を手伝ってもらいながら、ゴルフをしたり仲間と出かけたりして悠々自適の暮らしをしている。

猫たちは今年で10歳になるオス猫2匹。
夏の終わりのある夕立の日に、我が家にやってきた。その年のゴールデンウィークに、所沢の公園でカラスに襲われている5匹の猫を知り合いの編集者の友人がレスキューし、いつもくっついて離れない2匹のオスの兄弟を譲り受けたのだ。
譲り受けた帰り道、雷がゴロゴロ鳴り、大粒の雨が車のボディをたたく音に「ニャーニャー」とおびえていたのを思い出す。

家族との時間を大切にしようと思うようになったのは、実はこの猫たちのおかげなのだ。

彼らは、わたしが今日は一日家にいると分かると、まあ、ずっとわたしの視線の中に入れ替わり立ち替わり入ってくる。で、
「かまってほしい」
とせがむのだ。
PCのキーボードの上に寝そべる。わたしの足元で取っ組み合いを始める。わたしの腕をかむ。
やっと落ち着いたかと、何気にテーブルの向こうに目を遣ると、わたしをずっと見つめる熱視線。

最後は死にそうな声を上げて、わたしの気を引こうとする。
困った奴らだ。仕事ができない。だんだん家にいるのが苦痛になり始めた。

あるとき嫌気がさして、彼らに言われるままに体をなでてやる。無駄な時間だと思いながら。
「ゴロゴロゴロ」
と言いながら、猫たちはじいっと目をつぶり、気持ちよさそうに寝転がる。
ふと、猫は生まれて1年で20歳ほど年を取り、そのあとは1年ごとに人間の4~5歳ほど年を取るということを思い出した。
<こいつらにあとどれくらいこうしてあげられるのだろう>

わたしが無駄に費やしていると思っているこの5分は、彼らにとってはとても貴重で充実した時間なのかもしれないと思った瞬間、わたしはいかに味気ない、つまらない人生を送っているのだろう、と気づいた。

相手の時間を生きる。それは自分の時間をよりよく生きることでもある。
大切なことを教えてくれたのは、人ではなくて猫だった。

今日も我が家の窓辺には猫。いっしょに眺める外の景色は、いよいよ色鮮やかになってきた。

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