桜が咲いて、街は思いがけなく色気を帯びて賑やかになる。
コブシの花も競うように真っ白な花を咲かせてわずかな時を謳歌している。
そうすると、街ゆくわたしの心まで浮き立ってくるのが不思議だ。季節の彩りの変化に喜怒哀楽を感じさせる、生まれ持った何かが人間の中にはあるのだろうか。
そして、華やいだ気持ちとは裏腹に感傷的にもなる。なぜだろう。
そんなとき、大きなニュースが入ってきた。
青天の霹靂(へきれき)とはこういうことを言うだろう。代が替わって永遠に存在し続ける店だと、何の根拠もなくわたしは信じていたのだ。
3月8日、閉店の報に触れて急ぎ訪れた。小雨が幸いして11時の開店と同時に席に着くことができた。
なんとなくいつもと様子がちがうなあ、と思っていたら、食べ放題だった大根のつぼ漬けがなくなっていた。しじみ汁の器は少し大きくなった気がする。
それよりもいちばんの変わり様は、店の親父さんたちの雰囲気だ。なんとなく皆優しい感じではないか……。
サラリーマンになりたての頃、初めて上司に連れられて来て知った、学生と本の街にあるとんかつの店。
その上司は安くておいしい、たくさんの名店を知っていて、この店もそんな自慢の一軒だったのだ。
「どうだ!」と言わんばかりの表情を今でも思い出す。
そういえば、上司が死んだのもちょうど1年前の今ごろだったな。
わたしはピリピリした雰囲気の中で食べるこの店のとんかつかが大好きだった。
大きなのれんをくぐり、木の引き戸を開ける。L字形カウンターの白木が目にも清々しい。少しクッションが厚めの、ずっしりとした木の丸椅子がずらりと並ぶ。14人が腰かければ満席だ。
カウンターの後ろには、順番待ちのベンチも据え付けられていて、8人ほどが座れる。混んでいるときはさらに8名ほどが店内で立って待つことができる。スムーズに客が回転するようになっている。
待っている先頭の客は、食べ終えた客が出たら、席が空いたカウンターに速やかに移動しないとすぐに催促される。
ときどき、ぼーっとしている人がいて、
「あの人催促された」
なんて心の中で思っていると、ベンチで待っているわたしにも、
「席詰めてください」
などと注意を受ける。油断ができない。
だから、カウンターに腰かけても安心できない。
間をおかずにお茶がカウンターに出されるのたが、自ら素早くテーブルに置かないと、
「下ろしてください」
と、注意される。携帯電話持ってダラダラした感じの人には、
「携帯電話しまってください」
と、これまた注意の対象になる。
客に文句ばかり言ってと思う方もいるとは思うが、すべては安くてうまくておいしい昼ごはんをすぐに食べたい学生、サラリーマンのための割り切りなのだ。価格もこの20年間、わたしの知る限り3回ほどしか値上げしていないのではないだろうか。それでも現在とんかつ定食は800円、ひれかつ定食は1000円なのだ!
感慨にふける間もまく、わたしのとんかつとご飯がカウンターに載る。
早めに来てよかった。開店直後は肉のサイズか少し大きい。たぶん少ない部位なのだろう、お得感がある。
ちなみに、この店ではとんかつ(ロース)とひれかつの2つのメニューだけで、サイドオーダーはおしんこだけだ。しかも、ひれかつは13:00以降しか注文ができない。
だから、13時までは店に入っても注文を聞かれることはない。勝手にとんかつが出てくる。余計な口出しは無用である。
13時を過ぎると、店に入るやいなや、かつを揚げる親父さんから、
「とんかつですか?」
と早口で聞かれるようになる。とんかつなら、
「はい」
でいい。ひれかつなら、
「ひれかつで」
という必要がある。ときどき初めてのお客さんが、一瞬、聞き取れなかったり、意味が分からなくてぽかんとしていると、周りもドキドキである。
さてさて、さっそくわたしは自分のとんかつ皿に、大さじ3杯の練りがらしを乗せる。
そして中濃ソースをキャベツと肉にたっぷりかけ、箸を割る。
いけない! からしを一気に肉に付けすぎた。あまりの辛さにむせて吹き出しそうになる。だが、ここでは耐えて、何事もなかったかのようにやり過ごして食べなければならない。決して店内の静寂を破ってはいけないのである。
涙目で一気に味噌汁をすすり、キャベツを口いっぱいにほおばって辛さを和らげる。
それで過去にいちど、失敗してキャベツを噴き出したことがあったが……。
ようやく落ち着いて店の様子を眺める余裕ができる。
お店には2人のオヤジさんと兄ちゃん、お母さんがいる。
かつを揚げるセンターの親父さん、キャベツの皿への盛り付け、ソースや割りばしの補給などの給仕をするもう一人の親父さん。お茶、ご飯、みそ汁担当の兄ちゃんと、洗い物担当のお母さん。
以前、昼に見かけた兄ちゃんは最近見かけなくなったが、どうも遅番でかつを揚げているらしい。
家族なのか、ただの従業員同士なのか。その関係はけっきょく分からずじまいだが、声ひとつ出さず繰り出される見事な連携プレーがもう見られなくなると思うと悲しい。
今日はどことなく店の皆が若干優しく感じるのは、わたしが勝手に感傷的になっているだけなのだろうか。それとも彼らもやっぱり一抹の寂しさを感じているからなのか……。
最後のかつ一切れと、ご飯を一粒残さず食べ、おまけに汁のしじみの身も全部いただき、お茶を飲みながらわたしは考えた。
「今月あと何回来られるだろうか……」
お金を払い外に出た。ものすごい数の人が並んでいる。
みんなこの店の味と雰囲気を思い出として心に刻んでおきたいんだな、そう思った。
わたしたちは、それを写真に撮ったり、文章で表したりして、自分なりの方法でその思いや存在をどこかに残そうとする。
わたしが紙の本の出版を細々とでも続けたいと思った理由も、時代のほんのわずかだけでも切り抜いて、
「こんな暮らし、生き方があったんだ」
ということを未来への伝言として、なによりも形として残るようにしたかったからだ。
それは著者、自分、人びとが、そこに生きていたという証拠を残す、現在考えうる最良の方法なのだ。
でも、1冊の本が時代を超えて残ることはとても難しいことなのかもしれない。
それでもわたしは今日も、頭の引き出しから数少ない語彙を必死に探して今を切り抜こうと悪戦苦闘している。
一週間後、再び店を訪れ、それでも名残惜しくて閉店の前の日もいもやへ向かった。
あえて13時少し前に店に着いて30分ほど並ぶ。今日は生まれて初めてそして最後の「ひれかつ定食」を食べるために。
店の親父さんに今日、ようやく
「ひれかつで!」
と言えた……。
「とんかつですか?」
と聞かれて、反射的に
「はい!」
と言い続けてしまった20年。今日はご飯も大盛りに。おしんこも付けよう。
初めて味わうひれかつ定食は、とんかつよりもボリュームがあって、肉汁がしっかりと詰まっていた。
やっぱり今日もからしでむせた。それすらいとおしく、感慨深かった。
3月31日、店は60年の歴史に幕を下ろした。
落ち込んだ時、ここぞという時に、元気をつけてくれた店。
感謝の思いを込めて、わたしなりにここに記しておきたいと思う。
しかし、桜の花の盛りはあまりにも急ぎ足だ。特に今年は。
桜の花びらが、風にひらりと舞ったかと思うと、静かに優しく地面に落ちていった。
はかなくて切ない思いのする理由が少しだけ分かったような気がした。