続ける先にあるもの ――編集ダイアリー2020年4月23日


 志村けんが亡くなってもうすぐ1か月になる。
「ザ・ドリフターズ」全盛期の子どもたちにとって、テレビの中の人気者と言えば彼の右に出る人はいないはずだ。

 土曜日、お昼過ぎに学校から戻ると、その日はもう夜が待ち遠しい。
「まんが日本昔ばなし」を観て「クイズダービー」、そしてお待ちかねの「8時だョ!全員集合」。
(ちなみに我が家はその後「Gメン75」へと続き、チャンネルを変えて「ウィークエンダー」を観るのが習わしだった)

 当時、「ザ・ドリフターズ」は子どもたちの人気者ではあったけれど、世の親たちからはかなり反感を買っていたのはわたしにも分かっていた。
 食べ物を粗末にする、すぐ人の頭を叩く、乱暴な言葉を使う……。
 わたし自身、確かに違和感を覚えたこともあった。

 そんなとき現れたのが〝黒船〟「オレたちひょうきん族」だった。
学校でも人気が二分され、月曜日の朝は学校のあちこちで、全員集合とひょうきん族のどっちが面白いかが話題になった。
 当初「全員集合」派であったわたしは、「ひょうきん族」派に翻ることなど許しがたいことで、わたし自身がそんな裏切り者になるようなことなど絶対に起きるはずはないと、固く信じていた。

 だが、「ひょうきん族」は間違いなくその信者を増やしていった。
 あれだけドリフに心酔していた友人が、いとも簡単にひょうきん族の世界に魅了されていった。
 わたしの母や妹が明石家さんまやビートたけしのことを気に入り出し、チャンネルを交互に切り替えながら見ることが増えた。
 ほかの家族が「ひょうきん族」を見てゲラゲラと笑う姿にわたしは嫌悪感を抱きながら、心の奥底ではそれに隷属したいという感情が芽ばえていた。

 そして、ついに月曜日の学校でもほぼ「ひょうきん族」の話題しか上らなくなり、一度も「全員集合」にチャンネルを合わせない日がやってきた。
 それはいつだったのだろう。

 すっかり変節したわたしは、もうドリフを顧みなくなった。
 わたしの中でドリフへの魅力が去り、「過去の楽しい思い出」でしかなくなった。そんな感情を抱いた瞬間をよく覚えている。

 それからおよそ35年。わたしは笑いの好みも変わり、テレビを見る気も機会もめっきりと減り、当時の志村けんより10歳以上も年を重ねてしまった。
 そんなときに突然受け取った彼の訃報。

 死を惜しむ声があふれるなか、彼の軌跡をたどる文章を読み、作品を観てある思いが湧きおこった。
 彼は、「ずっと同じ場所で待っていた」のだと。

 彼は熟達したコメディアンであると同時に、未熟なコメディアンでもあるという自覚が人一倍あったのではないだろうか。
 だからこそ、若い頃に自らがほれ込んだコントのスタイルを守りながら悩み、究めることに人生を費やす――真面目な探求者としての姿が、勝手にわたしの頭のなかに浮かび上がった。

 自分が信じた道をひたすら究め続ける。
 その先には滑稽な笑いを超えた崇高な世界がある。志村けんはそれをよく知っていたのだろうと思う。


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