昔から誰かが言っている。 ――編集ダイアリー2020年4月26日


 非常事態宣言が出されてから、2週間が過ぎた。
 外出といえば、複業先のバス営業所への車通勤の往復と乗務、湯島にある旅と思索社の事務所と、その階下の版元さん、あとは買い物程度になってしまった。

 先日、久しぶりに乗った愛用のぽんこつ自転車の後輪タイヤが、走行中ものすごい破裂音とともにはじけ飛んだ。
 わたしの体重増が原因ではなくて、真冬にパンパンに空気を入れ過ぎたために最近の気温上昇でタイヤが膨張したのが原因だ、と分析している。

 小さなパンク穴をふさぐ程度ならいつも自分で直してしまうのだが、今回はチューブとひび割れたタイヤも交換しなくてはならない。しかも後輪なので作業も面倒くさい。
 朝、やむなく徒歩で自転車を押しながら綱島駅の近くにある自転車店に持って行ったのだが、営業時間短縮で開店前。
 仕方ないので東横線の高架下の駐輪場に預けて、3日ほどほったらかしておいた。
 さすがに駐輪場の料金が気になりだして(300円!)、店の開店時間に合わせて持ち込み、修理をお願いした。

 翌日、湯島への出勤前に自転車店に再び立ち寄る。戻ってきた自転車のタイヤはよみがえり、ブレーキの利きもよくなり、さび色に染まりカサカサしていたチェーンやスプロケットにもていねいに油が差してあった。
 夕方まで駐輪場に自転車を預ける。いつも停める場所を探すのに苦労していたのが嘘のようだ。
 近年、幅を利かせてきた子どもを乗せる補助席付き電動自転車専用の駐輪場には、数えるほどしか停まっていなかった。
 子どもを保育園に預けながら働く親は、今はもっと大変かもしれないな……そんなことをふと思う。

 横になってぐっすりできそうなくらい(先日、横になっているオジサンがいて憧れをいだいた)空いている電車に行き帰りとも揺られ、湯島で昨夜のおかずを詰めた弁当を食べ、ラジオを聞き、午睡を取り、綱島駅に戻る。

 自転車にまたがり、再び鶴見川の土手の上へと出る。
 この時期なら、「青春!」と叫ばんばかりの弾んだ声を上げる高校生の集団やら、缶チューハイを片手に立ち尽くすオジサンとか、走っているのか歩いているのか分からないようなランナー服でキメたオバチャン、そして人目をはばからずに気持ちよさそうに路上のど真ん中でウンチをするワンコと、それを拾う清掃係が、狭い歩道の上でそれぞれの世界を満喫しているのだが、もう今は誰もいない。

 

 


 夕焼けと、星がひときわきれいだ。
 引き締まった夕暮れのひんやりした空気を吸い込みながら、ペダルをこぐと目の前にいつものマンションが見えてきた。
 もともとは青学のラグビー場があった所だ。世帯向けの大きなマンションだが、夜になっても窓の明かりが灯らない部屋がたくさんあるのが不思議だった。

 でも、いまはどうだ。このきらめき。
 暗い窓があるのは、家庭の事情。たぶん電気を止められているのだと思う。
 コロナウイルス禍(鍋ではない)は今後、家族の関係にどのような影響を及ぼすことになるのだろうか……。

 

 

 いろいろなことを頭にめぐらせながら、人けのない土手で息を立てながら自転車のペダルをこぐ。
 静まり返った真っ暗になに飲み込まれそうに感じて、ふと、わたしも自然の一部でしかないと思い当たる。
 「今を大切に生きること」
 自分にできることはこれしかない。急に目の前の人生が輝きだした。
 
 昔、誰かが言ってたっけ。
「いつやるの? 今でしょ?」


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