オンラインには手を出すな! ――編集ダイアリー2020年4月30日


今日の夕暮れは春の穏やかな風が吹いて心地いい。
赤く染まり始めた西の空を見ながら、「飲みに行きたいナ」と心から思う。

こんな時だから無理なのは分かっている。
でも心の中には、いつしかの、窓の向こうに元気のいい店員と、賑やかな呑兵衛たちが一堂に会する、酒場の街明りの風景が広がっているのだ。

わたしと同じような人が多いのだろう。
禁欲的な思いを紛らわそうとしたいのか、最近、「オンライン飲み」ばやりだ。
実際、わたしにも誘いの手が迫ってきた。
そのうちの一つ、デザイナー兼、活版とリソグラフ印刷屋でもおなじみ「中野商店」の中野さんと「LINE飲み」をした。

感想……寂寥感(せきりょうかん)。

この空虚な空気感。
当然酒を飲むから、気持ちもよくなる。
いちおう相手もいる。
でも、席は自分の机だし、相手は人間ではない……いや、中野さんのことを言っているのではない。
ただのスマホではないか!

酒を飲む行為とは、「スキンシップ」である。
目の前にいる生の相手の表情や仕草、話し方から、
「悩みでもあるのかな」とか、「こいつ企んでるな」とか、「今日はすぐ帰ろ……」などと兆しを読み取り、コミュニケーションという人間の素晴らしい能力が発揮され、明日の人間形成(?)を生むのである。
まあ、ときどき、この素晴らしい能力が「果てしないバカ」を生むこともあるが。

一人酒でも同様だ。スキンシップの相手は人間とは限らない。酒場のある街の空気、店の空気だって大切な要素なのだ。ひとり、黙々と酒を飲んでいても、肴に困ることはない。

オンライン飲みには、同じ場所の空気を吸い、時には自らも空気となるという、重要な前提が欠けているのである。

だって、例えば「ZOOM」なんてWeb会議ツールではないか。
もっと正しい使い方があるはずだ、と勘違いした誰かが言い始めるに違いない。
一つ、近い将来を予測しよう。

「はいはい、皆さん、幹事進行役の●●です。えー、本日のZOOM飲みですが、昼過ぎにアップしたレジュメに沿ってですね、楽しく飲みたいと思います。
ご自慢のバーチャル背景の準備はバッチリでしょうか!
あと、途中退席の場合は初恋の話をしていただくというルールを急きょ設けさせていただきますよー。
では、よろしいでしょうか。
まずは、募集していた本日のテーマにしたがって、廣岡さんから……」

頼むからもう、やめてくれ!!!!

 

 

酒を飲むということは「対話」だ。
飲むにふさわしい場所があり、自分がそこに存在し、目の前に存在を確かめられる相手がいるから楽しいし、料理や酒も美味しいんじゃないだろうか。

でもこんな状況じゃ、オンラインくらいしか仲間と飲めないって?
なら、飲まなくてもいいのである。
こういうときこそ、飲まないという選択があってもいいと思うのだ。

それでも飲みたくなったら、一つ屋根の下、大切な家族とささやかに飲めばいい。
でも、いちばんは一人でつつましく飲むことなのかもしれない。
今は自分との「対話」である。

ウイスキーのロックグラス片手に、ずっと読めなかった本のページを繰ってみたり、連絡のできていない恩師や知人に手紙を書いてみたり、これからの自分をまじめに考えてみたり……。

しかし、である。
偉そうにこんなこと書きながらも、オンライン飲みの誘いがあるとつい心が浮き立つのは、呑兵衛の悲しい性だなあ……。


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