崖は登る ――編集ダイアリー2020年5月22日


 もうすぐ6月だというのに、熱燗がおいしい。
 きっと。

 今年はわたしが主催する「桜を見る会」も中止になったし、ゴールデンウィーク恒例のひとり旅も行かずじまいで季節感を感じない閉鎖的な日々を過ごしてきた。
 気がつけば自宅と職場の行き来と、仕事での立ち寄り先以外へはまったく寄り道をしなくなってしまった。

 はじめは、外出自粛で気が狂うかもしれないと思ったのだが、今、わたしはとりあえず冷静さを保っている。
 でも、周りの風景はすっかり色あせてしまっている。

 こんな時、
「めっちゃ〝あつ森〟にハマってます!!」
「Netflixを見続けてしまった~」
「ゆっくりと読書を楽しんでいます……」
と言える人をわたしは心からうらやましいと思う。
 こんな抑圧された暮らしの中で、自らの様式をチェンジして楽しむ術を見出せるなんて、室内飼いの猫と同じくらい優れた適応力があるではないか。

「あんたは戌年だから犬みたいにいつもチョロチョロしている」と周りに言われ続けてきた。
 わたしは生まれつき吹き溜まるのことができない生物なのだと思う。
 でも、犬ってそんなにチョロチョロしてる? してないよね? 犬に失礼な話である。
 そしてわたしは猫派だけど。

 話を戻す。
 昔から学校帰りは「道草を食う」ことに決めていた。
 ほぼ、まっすぐ帰らない。もったいないではないか。
 いろんな冒険を楽しんだが、いちばんは、小学校の帰りにふと近所の「駒林神社」に立ち寄り、神主に見つからないように難攻不落と思われていた険しい崖を死ぬ気で1時間ほどかけて登りきり、悟りの境地で自宅に帰ったことだろうか。

 今思えば小学生の一時期、崖を見るといつも張り付いていた。
 なぜだろう。崖がわたしを待っていた? わたしも崖を待っていた?
 否、そこに崖があるから……No reason.

 しかし、いま、わたしの前には崖が、ない。
 崖のように見える何かがない。
 これは一大事だ。

 コロナウイルスは自分にとっては登るべき崖ではない――崖は登るものだとばかり考えているバカ――ことにいささか驚きもするが、命知らずにとっては何かの兆しと見たい。

 崖の上から落ちる心配をするのは愚かなことだが、
 登れる崖を登らないのはもっと愚かだ。
 ……No reason.
 


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