明日を恐れず書いてます ――編集ダイアリー2020年5月30日


 毎日必ずこのダイアリーだけは書き続けると自分と約束して、果たして10日が過ぎた。
 なんという奇跡だろう!

 昔からその日の出来事をしたためるということにおいて、わたしはことごとく自らその約束を放棄し、闇に葬り去ってきたのである。

 日記、絵日記、業務日報……ありとあらゆるものは、5日ほどで見向きもしなくなる。
 最後は、わたしの中の何かが生まれつき欠けているのだから仕方がない……と思って生きてきたのだ。

 こんなにも早く偉そうに報告していいものだろうかとはもちろん思うのだが、10日も続いて人生の新記録をうちたてたとなれば、それだけで自分をほめてやりたいのである。

 どうして続いているのだろう。そしてどうしてこれまで続かなかったのだろう。
 いろいろ考えてみると、「形から入る」という、わたしの悪い癖にあったように思う。

 例えば、若い頃、日記を書く暮らしとは――早めに家に帰り、暖かな食事を摂り、読書で心を落ち着かせ、最後は星の瞬く窓辺に置かれた机のランプの下で今日一日を振り返って自分を見つめ、別れを告げる――などというありえない理想を追い求めていたような気がするのだ。
 日記を書くために自分で勝手に理想とする環境がそもそもない。そこから整えようとするからすぐにつまづいてしまう。
 会社を設立してからも、自ら発信するということが旅と思索社の思いを伝える大切な手段だとは分かっていたが、結局はこのパターンから抜け出せていなかったのである。

 実はついこないだまで、同じようなことをやっていた。
 昼食後と書く時間を決めて、会社の机上のパソコンに向かう。
 なんとなくテーマを決めて書き出してみるのだが、やがて全く話が進まなくなる。結局、途中で投げ出してまた新しいテーマで文書を書く。書いては捨て、書いては捨てるというよくあるパターン。
 書き上げてみれば、仕事をすべて後回しにして半日も悪戦苦闘していた……そんな状態だった。

 このままだと、これまでと同様にたぶん続かなかっただろう。
 でもコロナ禍で仕事を整理したことによって、危機感とともに自分との向き合い方も変化していたのだと思う。
「どんな状況にも左右されず安定して文章を書き続ける」
 今までのわたしにはなかったメンタルの鍛錬にチャレンジしようという意識が芽生えたのだった。

 そうすると、いままでのぬるま湯的な書き方がとても許せなく思えてくる。
 細切れの時間を使ってテーマや文章を考え始める。風呂の中、行き帰りの電車の中、仕事の合間、夜中にトイレで目が覚めたついで、etc……。
 気持ちが切り替わることで、余計にアイデアが生まれる気もしてきた。
 ちょうど盛り上がってきていい感じになっているときに書く作業を中断するのがもったいないと思っていたが、気づけば、使える時間の中で一気に書き進めることさえできるようになってきたのである。

 だから、せっかく書いた文章は途中で無駄にせず、きちんとまとめようという意地も出てくる。始めはまとまらなくても、何とか力業で最後まで書き上げてしまえるようになった。まあ、出来栄えはともかくとして。
 
 この継続は今後どのような力をさらに育んでくれるのか。とても楽しみだ。
 が、ここまで書いて、明日記事がストップしたらどうしようか。

 

 


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