音声入力はパンイチの味方 ――編集ダイアリー2020年6月1日


 もう6月だ。
 今日も深夜までのバスの仕事が終わりひと眠りする。

 そして、目が覚めた。
 熱いコーヒーを入れ、机上のパソコンと対峙しながら連載の草案を書く――嘘である。
 実はスマホ片手に音声入力で作っている。

 ほんとうにたまたまだったのだ。
 まどろみながら、ふと、iPhoneの音声入力で文章書いてみたらどうだろうと思いついた。
 そうしたら、なんとこんなにも手軽に、とても正確に文章が変換できるではないか!!
 驚きである。

 句読点も「まる」と言えば「。」、「てん」といえば「、」に変換してくれる。
「かいぎょう」と入れれば改行までしてくれる。

 こんな便利な機能をわたしは今まで放っておいたのだろう。
 確かに黎明期の音声入力はひどいものだった。言葉を認識させる前に自分の声を学習させる必要があった。それでも正しく変換できない。いちど試してみて、あまりのひどさに遠ざけてきた記憶があるから近づかなかったのかもしれない。
 でも、意外にも音声入力の素晴らしさを取り上げるライターさんや編集者の声を聞かないのだが、それはわたしが単に物を知らないだけだろうか。

 ところで、普段手書きやパソコンで文章を作る場合と、音声で文章を作るのとは、自分の頭の中の処理がどうやら違うようだ。
 手書きやパソコンでは、心の声を発すると、脳がそれをまとまりのある言葉と流れに編集してから手を通してアウトプットされる感じだが、音声では声に出したものがそのまま文字になる。
 心の声のときはつたないものでもよかったが、言葉がそのまま文章になる場合は、発するときにはすでに頭の中で流れのある文章ができていなければならない。
 なんだか変な緊張感を覚えるのだった。

 この方法で文章を作るのは、これまでとはまた違った脳みその使い方ができるのではないかという期待もある。
 自分の発したままをストレートに言葉にできるし、なにより文が出来上がる時間がほんとに早い! キーボードで完全なブラインドタッチができないわたしにとって、この音声入力の技術は素晴らしい相棒になれそうな予感がする。

 でも、この方法で人様に読まれる文章書いていると、とても罪悪感を覚えてしまうのはなぜだろう。
 パンツ一丁でベッドに寝転がりながら、スマホで文章を作っているからだろうか。

 いや、すみません……、これができるのも音声入力の魅力ではあるのだが。
 「パンイチ」が透けて見える文章にならないよう注意したい。
 でも、ライターさんがこの方法を信奉していることをあまり聞かないのは、仕事として、書き手として、文章をしたためる時の心構えというか、たたずまいに難があるからなのかもしれない。

 そして、音声入力に集中する際は、iPhoneにずっと喋りかけている変な奴、と怪しまれないようにも注意したい。
 今、うちの猫が「あいつ何やってるんだ」と怪訝そうにわたしを遠巻きに眺め、1階のリビングに逃げていった。

 いやあ、しかし、今日は記念日的な発見だ。こんなに音声入力が便利で使えるものになっているとは全く思わなかった。浦島太郎だ。

 この喜びは文章を書くことで表していきたい。
 どんどん書くぞ!
 パンツ一丁で!
 (そこはあらためたいと思います)

 

 


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