酒の飲み方いまいちど ――編集ダイアリー2020年6月5日


 一昨日の打ち合わせのあと、久しぶりに神保町の中華料理店で関係者3名と酒を飲んだら、なんだか自粛生活で溜まっていたものが一気に放出されたらしく、終電を過ぎてタクシーで自宅に戻り、猫にも相手にされずリビングのジュータンで大の字になったまま朝を迎えていた。

 久しぶりにしこたま飲んでしまった自分を反省する。
 コロナ流行以降、家で軽く酒を飲むくらいの機会しかなくなったせいで、酒のまわりも早かった気がする。
 午後を過ぎてようやくアルコールが抜け、徐々に前向きに行動する気力が出てきた。

 酒を飲むといえば、旅と思索社を設立してから、さまざまな人と酒を飲む機会が一気に増えた。
 多田欣也さんの本「二十世紀酒場」の編集を通して、酒場めぐりに喜びを見出してからは、はしご酒が当たり前のルーティンになった。
 仲間と楽しく飲み語り、もう少しだけ……というタイミングで自分を諭して大人しく家に帰っていたら、心に残る思い出にもなっているだろう。でも、店を重ねれば酒量は上がり、楽しかったひと時の記憶まで吹っ飛ばす。
 翌朝、どんな話をしたか断片的にしか浮かんでこず、苦々しい思いをすることが増えていった。

 そんな習慣もコロナという思わぬ出来事が断ち切ることになった。

 はじめのうちはまっすぐ家に帰る方法をすっかり忘れていて驚いたものだったが、すぐに慣れてしまった。
 外飲みの代わりに始まった家飲みも、スタートはまあいいのだが、だらだらと続く感じがしてどうしても気持ち悪い(外ではだらだらとはしご酒してるくせに)。
 そして、緊急事態宣言がとりあえず解除された今、もう少し外で自由に飲めるかな? と思っていたらやたらセンシティブになってしまった自分がいるのだった。
 コロナウイルスの感染リスクもそうだが、外で飲むことに対する周りの視線が気になってしまっているのだ。

 日ごろの憂さを晴らすための酒場めぐりが今ではストレスになりかねないというのは、心中複雑だ。
 同じ思いをしている人が多いとすれば、やはり酒場の復活までにはまだ先が遠いということだ。再び東京アラートなる警告も出された今、こればかりは仕方がないのかもしれないのだが。
 
 そう言いながら、酔っぱらってしまった自分……。
 そしてすっかりおとなしくなってしまい、当分は控えておこうと思ってしまう自分が、なによりも世の中の変化を表していると思うと忸怩たる思いがする。

 新しい生活様式の中で、酒場の生き残る策を考えるなら、意外にも昔の大衆酒場のようなコの字カウンターでの一人酒はいいのかもしれない。
 「ひとりでもひとりじゃない」
 口でいうほどたやすくはないかもしれないが、そんな思いで一人酒を愉しく味わう飲み方ができるようになれば、酒場との付き合いも時代に合ったいい姿に変化していくのかもしれない。

 しかし、紹興酒5本は飲みすぎだった……。

 

 


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