老いを受け入れるのは誰か ――2020年6月21日


 日曜日に父の大腸内視鏡検査に立ち会った。

 以前同じクリニックでわたしが検査を受けて大腸ポリープを見つけてから、家族全員がお世話になっている。
 8年前に父が胃の内視鏡検査でリンパ腫を早期発見したのもこのクリニックだった。

 わたしと妻と3人で車に乗り込み、クリニックに向けて出発する。
 朝から下剤を飲み何度もトイレに行き、少し疲れぎみの父。
 自粛解除になった街は、以前のようにショッピングセンターへ向かう車の渋滞が出来ていた。

 久しぶりに街に出た父。そしてすっかり歩く速度が遅くなってしまった姿を目の当たりにしてわたしは戸惑っていた。
 コロナウイルスの感染が深刻になるにつれて、父はずっと習慣にしていたゴルフの練習場通いと街歩きをやめてしまった。その影響はたった数か月でこんなに簡単に現れるものかと思った。

 父は明らかに老けていた。
 かばんから保険証や診察券を出すのも時間がかかるようになったし、トイレに入ってもなかなか出てこない。
 ひとつのことに集中してしまうと、ほかのことがおろそかになってしまうことが顕著になっていた。
 妻が言うには、最近、食事もたくさん食べられなくなったと父から聞いたそうだ。

 検査を無事終え、ポリープを1つ摘出した。
 先生から説明を受け、子どものように素直に聞き入る父をわたしは横で見つめる。
 その姿勢は昔とすっかり変わってしまっていた。

 クリニックを出て、いつも通りのコースとなっている、父の好物のとんかつを食べに店に入った。
 かなりのボリュームのとんかつメニューを頼む父を見てひと安心する。

 全員のテーブルに料理が来た。
 父がほおばるとんかつはなかなか量が減らない。
 ゆっくり目の妻が食べ終えても終わらなかった。

 穏やかな表情をしながら黙々と食事を続ける父を眺めながら、微笑ましいというよりも、すっかり老けてしまった父をどこか受け入れられないでいる自分に気づいた。
 不安と、いらだちと、悲しみ。
 そのようにしか受け止めることができない自分がとても許せずにいる。

 

 


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