新しい仕事用のスニーカーを買った。
今履いているスニーカーは2年前のたしか10月に買ったものだ。
ケーブルテレビの契約特典でもらった商品券で新調したのだった。
わたしはあまりたくさんの靴を履かない。
数えてみると、 普段仕事で履くスニーカーと、履きなれたぼろぼろのスニーカー、そしてバス運転用の革靴。
あと持っているのは、サンダルと雪用スパイクが付いた革靴、昔、興味本位で買い、ほとんど履いていないワークブーツくらいだ。
仕事履きのスニーカーはバスの仕事がある以外はほぼ毎日履いているから、靴底がだんだんと擦れてきて、とうとう穴が開き、ちょっとの雨でも水が靴の中に入り込んでくるようになった。
中敷きを入れてだましだまし履いていたのだが、思い切って新調することにした。
少し疲れ気味には見えるけれど、毎日簡単な手入れだけは欠かさなかったので外観はきれいで少々もったいない気もするのだが、未練はない。
もう一足のぼろぼろのスニーカーも 同じように底から水が入ってくる。
プラスティック部分の色も変色してしまった。中敷きもつるつるになってしまって、内側の布地は破けて毛玉ができ、ときどきスポンジまで飛びだしてくる。
それでも買い替える気が起きない。
今から16年前、妻と出かけた町田の靴屋さんで一目ぼれをして買った、スエードを使った緑色のスニーカー。
自分のサイズがなくて一度はあきらめかけたのだけれど、お店の人が別の店から取り寄せてくれたのだった。
うれしくて休みの日はどこへ行くにも履いた。思い出の場所には必ずこのスニーカーの足跡があった。
東日本大震災直後、月580時間の命を削る編集ルームの勤務からようやく解放され、そこで得た給料を使わせてもらって単身アメリカを横断することになった時に選んだのも、このスニーカーだった。
新しい靴を買うよりも、履きなれたものの方があちこち歩き回るには最適だろう、そんな判断だった。
それは正しかった。3週間近くの旅の間、ひたすらに歩き回ったわたしの足は靴ずれ一つ起こさず、世界の一端をくまなく見ることができたのだった。
時が経ち、暮らしも世の中も変わった。うれしくて履き込んだ時代はとっくに終わり、少しゆがんだ緑のスニーカーはたまの出番を待つのみとなった。
ぼろのスニーカーを捨てられないのは、どうも愛着があるからだけではない。
消えかけた記憶の一端をこの緑色の靴にとどめておきたい、そんな思いからなのだろうか。