画面の中だけの考え ――編集ダイアリー2020年7月12日


 最近、申込書とメモと簡単なコメント以外、手書きで全く文章を書かなくなった自分に気づいて驚いている。

 文章は書いている。このダイアリーも奇跡的に続いているくらいだから。
 しかし、手書きで文書をまとめ上げるという発想がすっかり消えてしまっている自分に、ふと気づいたのだ。

 文章なんかスマホやパソコンで書けるからでしょう?
 その通りなのだが、最近それらで書く文章と、手書きで書く文章は頭の使い方も違うし、想像力の広がり方も違うかもしれないと実感するようになった。

 手書きは基本、一発勝負的なところがある。
 紙に書く文章は形に残る。消したり、直しを入れたりはできるけれども、量が多ければ書き直すしかない。だからそのときそのときが真剣勝負である。
 まずは考えて、それを紙に落とし込む。だから紙に書く前に頭の中である程度まとまった文章ができ上がっているはずなのだ。
 一方、スマホやパソコンではとにかく書き始める。
 気にいらなかったら簡単に消せばいい。文章の一部をほかの部分に手軽に移動できるし、表現を取っ替えひっかえしながらああでもない、こうでもないと画面上でこねくり回すことができる。

 果たして、それはいいことなのか。
 連日文章書き修行中の身の上だからなのか、最近こういった文章の作り方にとても閉塞感を覚えるようになっている。頭打ちとでもいえようか。
 とにかく書き出すというやり方がどうもいけないようだ。わたしのような凡庸な人間は、書いているうちにその発想やネタが同じところに収束してくる。
 今まさにそれがわたし自身の指先で起こっているのだ!

 ちょっと別件で懸案があり、アイデア出しに普段から使っている「Evernote」という、電子メモのようなノートのようなアプリで作業していたのだが、全く何も考えられなくなって、「えいやっ!」と大学ノートに手書きしてみたら、意外にスラスラ出てきて驚いてしまった。

 パソコンやスマホを使えば手間が減る分、想像力が高まると思っていたが、もしかしたらそうではないのかもしれない。
 重箱の隅をつつくようなディテールを追求するような精度と深度を増す作業にはいいのかもしれないが、枠にとらわれない自由な発想を得ようとしたら、どうも紙に書く方がわたしには向いているようだ。
 うまく説明できないが、画面の枠以上の世界をパソコンやスマホは持ちえない、そんな感覚だ。

 今までは、紙に書く時間と手間のことばかり考えていたけれど、その手間を惜しまないところに、パソコンやスマホ以上に得られる何かがあるように思えて今は仕方がない。
 どうしよう。

 

 


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