洗濯物との対話 ――編集ダイアリー2020年7月26日


 久しぶりに何もない日曜日を過ごした。

 やることがあったとすれば、妻も父も外出してしまったのでわたしが洗濯物を干すことくらいだったろうか。

 コロナの前は妻は仕事で早朝に出かけ、父も近所の仲間たちとの交流で朝から不在ということがよくあったので、わたしが洗濯して干す役を任されていた。

 しかし、コロナウイルスで父が思うように外出できなくなり、わたし自身はするべきことが増えてからは、その役を自然と父や妻に引き受けてもらうようになっていた。
 わたしが最後に洗濯物を干したのはいつなのか、それすら思い出せない。でも、かれこれ3か月以上は父が主に干しているはずだ。

 久しぶりに洗濯機から洗濯物をカゴに取り出そうとして、わたしのなりのルールを思い出せなくなっていることに気づいた。

 干す順番や干し方を考え洗濯物を取り出しカゴに入れる。ずっと同じやり方ではなくて、毎日少しずつアップデートされてきたノウハウの細かい部分が思い出せなくなっている。
 気持ちよく効率的に作業するために編み出していた自分なりの方法、それが記憶の彼方に飛んでいった。
 そんなことどうでもいいのでは? と思う人もいるかもしれないが、限られた時間の中で働くすべての者は意識しなくとも自然と同じことを考えているはずだ。

 時折り思い出しながら作業するうち、持続する大切さを思い知らされる。
 繰り返すことで身体の中に手順が染み込んでいき、気がつけば自分なりの世界観が作りあげられていく。
 洗濯物を取り出し、干すくらいのことでもそうして習熟していたのだ。

 そんなことを気にするのはほかでもなく、自分の思い入れがある仕事ですら予期せぬことで携わることが減ってしまい、同じようなことが起こりうるということである。
 そのためには毎日でなくてもいいから、何かしら続けることが自分の力を発揮するためにはなによりも必要なのだなあと、タオルを一枚一枚ハンガーに洗濯ばさみで留め、最後に両手でぴしっと形を整えながら考えた。

 今日もまた室内干しだ。

 

 


同じ連載記事