02. 劇場~ワンダーランドからワンダフルワールドへ~


 

 

「Home」を考える連載を書いている者として、考えたいことがありました。
 若き日から縁があってこの新世界・西成を歩き、考える者として、スルーしてはいけないような気がしました。
ということで連載第3回(でも02)となる今回は「番外編」。
 私の言葉で、思うことを書かせて下さい。

 きっかけは、1冊の雑誌でした。
 ある夜、ちょっと呑みに出た帰り(※緊急事態前)、駅の売店のラックに目が行きました。タイトルには≪新世界・西成ワンダーランド≫。とりあえず手に取りお金を払って持ち帰り目を通しました。
 きらきらと明るい、昭和レトロにサブカルチャー発見的な内容。お洒落でおもろいこの街へGO! なノリ。ぱらぱらとめくりました。読まずに置いておきました。「好かん」。
 投げたりはしませんよ。捨てもしない。明日読もう。

 翌日1ページ1ページ丁寧にちゃんと読みました。気持ちがどんどん溢れてきた。
「なんか嫌やなあ」「これ、ええんかなあ」「考えてまうなあ」
 その後、知りました。
 「ワンダーランド」という呼び名、いや、企画が、大阪市と大手広告代理店による「新今宮エリアブランド向上事業」「西成特区構想」だということを。さらに知りました。
 企画のPR文として書かれたライターさんのエッセイが、ネット上で炎上したということを。内容は「西成でホームレスのおっちゃんとデートをした」。
 読んでみた。「うーん」。

 

 

 雑誌には、私が若い頃から行きつけというとオーバーだけれど、この地にある旅芝居・大衆演劇の劇場通いからの縁で、10年位行かせてもらっている西成の酒場も載っていました。
店の紹介記事ではありません。
「珍看板・レトロスポット発見」みたいなコーナーでした。茶化されたような文言と共に、我が愛着のあるあの看板の写真が載っていました。
 この連載「Home」の第1回ならぬ第0回(ページへ)で書いた、あのお好み焼き酒場です。この連載を始めるにあたり、まず書きたいと思い、想い出語りと共に取り上げました。
 正直、いい気分はしませんでした。
 でもこれは私の「主観」。私の行きつけの店が、ってだけやもんね。

 という断りはさておくとしても思いました。
 ああ、きっと。この雑誌や企画をきっかけとしてカメラを持った人や「映え」や「人と違う場所」を好む人たちなどが来るんやろなあ。
「スーパー玉出」のネオンなどをばしゃばしゃと撮るんやろう。で、自意識だだ漏れな加工をして「映える」風にSNSに載せ「いいね」をもらうんやろう。
 SNSが体の一部で自意識の一部となっているこの時代には、当たり前のようなことです。私が「なんか嫌やなあ」って思うだけで。
 でも、これは全然ダメなことでは全くない。 むしろ、「いいこと」なのだと思います。
 なぜなら素敵な「きっかけ」です。

 

 

 この街に興味を持つこと、 他の人にも興味を持ってもらえることに繋がる「きっかけ」となること。
 コロナ禍になってよく使われるあのワード「経済を回す」「経済が回る」、ほんにそれなんやろう。

 でも私は気になってしまったのです。
 雑誌を作った人たちは、エッセイを書いた人は、SNSで「好きな場面やショットを切り取って加工して」発信する人たちは、どこまでの考えを持って伝えたのかな? 伝えようとしているのかなあ? って。
 どこまでの責任と覚悟や、この街や、この街に住む人への気遣いや想像力、敬意を持って、って。
 だから私は、悪いことだとは思わないけれど、引っかかったのもあるんやと思います。

 観光地化している新世界。そして、西成。特に、西成。
 事実として日雇い労働者の街であり、今は福祉の街、時代は昭和から令和へと変わり、さまざまなことは変化してきてはいるが、悪い意味(だけ)ではなく「グレー」な地、いろんな意味で「他の街にいられなくなった人たち」が(も)辿り着く場所であることは事実です。
 歩いてみて、目に見えてわかること、肌で感じる空気でわかることはたくさんあります。
 でも、目に見えずわからないこともたくさんあります。

 

 

 私はこれらをこの地にある旅芝居・大衆演劇の芝居小屋へ通うことで、役者さんが通っていたことから件の居酒屋と縁が出来、いろいろな人と出会い、通うようになって、知ることができました。
 大学を出て社会生活を過ごしてきたという狭い世界で生きていた無知な私が、決して綺麗事では片づけられないこと体験できなかったことを、この店で皆から聴かせてもらったり、目の前で見たりすることで知りました。
 私の、若くないけど若き日の大事な1パーツだと思っています、「Home」です。
 それでも私はこの街に住む者でもない「ヨソモノ」です。
 物を書く人間として、常にそこは頭に置いておき、決して「観察者」じゃなく居たい、と考えています。
 時に失敗はすれども、考えながら、考えて考えてを繰り返しながら。

 めっちゃ「同族嫌悪」であることも自覚しています。
 でもね、この地や、この地の小さなお店たちに、例えばサブカル大好きさんや昭和レトロ大好きウォッチャーや、 観光者が、ずかずかとどかどかと足を踏み入れたり、さらには悪意なくカメラを持って、または「利用しようと」カメラを向けることで、常連さんたちが入れなく入りにくくなったり、此処を本当に「Home」としている人が、居心地の悪さや違和感を感じたりすることがあったら……、って。
 いや、この街の人はそんなに心が狭くもないし、弱くもないかもしれない、うん、弱くない。
 さらに新しい人若い人知らない人と交流できることはきっと楽しい。とても喜んでくれる。
 でも、でも……。

 私は考えすぎでしょうか。
 なおかつ、縁があってこの街を知れた、のに、「外」の人間の、身勝手な考えでしょうか。
 うん、考えすぎてしまう私より、キラキラPOP発信だろうと、ワンダーランドだろうと、なにかをやった方がいいのでしょう。
 でもやっぱり、いろんなことを知らずに、考えたり想像したりせずに、「Welcome to 楽しいワンダーランド」という発信の仕方は、私にはどうも無責任に思えてしまうのです。
 勿論、そういった暗い面やイメージを変えようとしての企画なのは重々わかっています。
 一観光客やSNS発信者はともかく、市や、日本を代表する巨大広告代理店は(私もここからの下請け仕事をしてきた身ではありますが)「ワンダーランド」の前に、まず、もっと、することがあるのではないかなあ。

 そう、この街には、本当にいろいろな人がいる。
「他の場所にいられなくなった人たち」も。
 ああ、言葉にすると本当に軽い。軽すぎる。
 でも、≪来たらだいたい、なんとかなる≫。きっと、そんな「、」な軽い言葉じゃない。
「ここでしか生きられない人たち」が居る街だ。
 私にだって、わかったようなふりしているけど、まだ全然わからないくらいの。
 彼ら彼女らの「Home」であり、
「キラキラ」「エモい」なんてちょっと耳障りのいい、
 でもあきらかに「こちらの一方的な楽しさ・気持ちよさ」で、「ちょろっと寄って」利用して「いいね」や「美談」のネタにする……。
 この街のことや、ここにしかいられない人たちのことを知らず、知ろうともせずにのそれは、なんだか「上から」で無責任、無関心を通り越し「自分(と自分たち)だけ」なんやないかなあ。
 いわんや、キラキラしたりさせたりして本質をコーティングしてしまうのは。

 同じくもうひとつの連載「女ふたり酒場旅」を書かせて頂いているからこそ、思うことです。
 新世界や西成のさまざまなこの地の酒場を巡り、いろんなことを知りました。
 でも常に葛藤があるのも本音です。今更ですが。
「私たちがここに来ていいのだろうか」
「利用しているのではないか」
とある1軒の酒場で女将さんに言われたことがあります。
 まるで「西成の主」みたいな高齢の女将さんでした。
「どっから来たんや?」と訊かれて互いに答えると、心の中を見透かされたように。
「(西成は)昔は怖い場所やった。でもな、今はもうちゃうんや。いろいろ見て行ったらええ。見学したらええ」
 胸がいっぱいになりました。常に葛藤があったからこそ。
「この街の人はな、みんな優しい。昔は酔って暴れる人もおったけどな、みんな、さみしいんや。さみしいだけや。せやから、いろんなとこ行って、自分の目で見なさい」
 泣きそうになった。いや、泣きました。
 きっと、たぶん、この街の人たちは、私たちが知らなさすぎるくらい、しんどかったり、人には言えないことや、「ここに今居る理由」のある人も多いのだろう。
 本当に、我々が「他人事」としてきた間、どうしようもないほどの「自分事」として。

 

 

 だから、いつも決めていました、正しいのかはわからないけれど。せめて「もっと知ろう」、そこから始めたい。
 そして「通い続けよう」「関わり続けよう」、と。
 義務じゃない、「関わり続けたい」のです、この街と人と、って。
 ヨソモノ。家がある。家があってごめん。
 なんかそれも違う。それも上からや。
「私はこの人たちと一緒にはなれないなりきれないんやな」
「この人たちの苦労やしんどさの芯をわかることは出来ないのかもしれない」
 でも、他人事じゃなくて、関わり続けたい。
 それは、大きな大きなことを言うと、西成だけじゃなくて。
 もっといろんな、大きなことに当てはまるような気がしています。
 ああ、話が大きすぎて、漠然としていますね。

 今回のワンダーランド絡みのPR記事の炎上。
 皆、それぞれの立場からいろんな意見があるでしょう。
 ただ、ひとつ、思うことは、このライターさんには「悪気はなかった」と思うのです。悪気がなかったから、なら、いいってことも勿論ないと思うけれど。
 でも、きっと心から感動し、記したエッセイなのではないか。ただ、ちょっと、あまりに、ごめんなさい、この言葉を使わせてください。
 やはり、ちょっと、配慮と敬意が足りなかったのではないかなあ。SNS、ネットに書くことの影響力を。いわんや「PR記事」にも関わらず。

 彼女の名前には見覚えがありました。昨年夏に「バズった」note記事です。御自身の体験を元にした、若者との心あたたまるエピソードをエッセイにされていた。
 偶然目にし、読んで、「いいな」と思いました。プロフィール欄を見、気になりお名前などを検索などもしてみました。すると、いわゆる一般人ではなくNPOとして就職や行政に関わる仕事もし、SNSでそういったエッセイを発信している方だと知りました。
 知った瞬間、先程の「いいな」が私の心の中でちょっと、本当にちょっと曇ったことは事実です。今回のワンダーランドPRエッセイも同じような感じ方した人も、居るのではないか?
 読んだ後「あ、PR文なんや。依頼されて書いたんや。ああ、そうか」「自分のお金を使って、じゃないんや」って。
 そこから違和感や嫌悪感を感じた人も多いのかもしれないなあ、と思ったりもしました。
 さらに彼女は、もしかしたら、そういった「ちょっと関わっている」人だからこそ、見えなくなったり気付かなくなってしまっていることもあったのかもしれない。
 ましてや、ネットという場で例えば「バズる」経験をしたり、「いいね」の数が増えたりしてしまうことで、麻痺ではないけれど、見えなくなるものが多くなってしまうのかもしれない。
 これは彼女のように「関わっている」人もだし、そうではなく我々皆、皆にも言えるでしょう。
 それは西成の話だけのことではありません。
 だから冒頭にも書いたけれど、我々は、SNSが身近になりすぎた今だからこそ、発信することにもっと気遣いや配慮やを持つべきだと、私はずっと思っています。誰にとっても他人事ではありません。
 さらに、SNSに関して、もうひとつ。
 例えば、彼女の書いたこの記事を「どうなん?」と思っても指1本やクリック1つで「攻撃する」というのも、何かが違うのではないかなあ、とも思うのです。
 ネットという安全な場所から。皆で吊るし上げるように。
 彼女同様、また彼女以上にこの地に関わったりする方は、読んでいろいろ意見があるかもしれない、それを「意見」として発信することはともかくとしても、SNSで脊髄反射的に「攻撃」をしたり、また騒動になっているのを面白がるように「炎上」させることは、違うと思うのです。
 少なくとも彼女は足を運び「自分の視点」で伝えようと書かれたのだから。

 あなたは知っていますか。この街に足を運んだことがありますか。
 ここに居る人、かかわる人、そんな声を聴いたり、拾おうとしたり、調べ、「自分事」として考えたり、他者のことを「想像」したことはありますか。何か、しましたか。ネットだけじゃなく。
 今回の件は、ひとつ、「良かったこと」を挙げるとするならば、私たち皆にそんな「知ること」のきっかけをくれたということは、とても、意味があったことなのではないでしょうか。

 あなたには帰る家がある。私にもある。でも、そうでない人もいる、そんな街。
 来るな、撮るな、書くな、じゃない。
「見世物」や「アトラクション」となることはあってはならないし、ワンダーランド企画やその他のことで、上っ面をきれいに浄化されたようで何も変わっていないどころか、「きれい」「楽しい」「なんでもあり(という言葉のなんと便利さ!)」で、汚いものや、理想とするそこにあってほしくないものは排除するようなことになるのは、絶対、あってはならないと私は思います。

 人生は映画やない。ワンダーランドやない。
 自分や、自分のまわり(の仲良しグループ)、自分とフォロワー……のことばかりだけに目がいきがちな時代だからこそ、皆が、この件をはじめとするさまざまなことに、好き嫌いじゃなく目を向け、決して他人事じゃなく考え、身近な利益や幸せだけじゃなく、同じ人間として、何ができるか。
 自分は、自分たちは、行政は、国は、何ができるか、すべきか。
 0から1から、ひとつひとつ、考えることが、ことも、大事なのではないか。
 こんなご時世だからこそ。
 SNSとのかかわり方を含め、考えています。
 今、この国で、この時代に。

 4月にこの原稿を書き、最後の調整から掲載というやりとりをしていたのが昨日~今日。
 この本当にちょうどのタイミングで、エッセイを書いたライターさんが炎上後自身と街とに向き合い、足と心と言葉で書いた記事をアップされました。
 なので、最後に少しだけ、追記として書き加えています。
 読むと、彼女は、この地に「住む」こと、関わり続けることを決断されたそうです。
 私も、関わり続けよう、書き続けよう。
 常に自問自答しながら、傍観者や、観察者じゃなく。
 2021年、東京オリンピック開会式の日に、強く思います。

 新今宮・西成が、
 いや、国が、世界が、
 おもしろ「ワンダーランド」じゃなく、
「皆、皆のHome」な「ワンダフルワールド」となるために、いや、皆でするために。
 見世物と観る人じゃない。
 皆がひとつになってひとつの舞台を作りあげる〝劇場〟のように。
 劇場では、舞台も客席も、皆が主役です。皆、皆が居てその場と時が出来上がる。
 そして、すべての人に光が当たる。

 

 

実はあの後、冒頭に書いた雑誌を私はもう1冊買いました。
「なんかなあ」「これ、ええんかなあ」「考えてまうなあ」
でもこの街を知らない人にとっては素敵な入門書じゃないかって思ったから。
1冊は、地方に住む友人にプレゼントをしました。
落ち着いたら共に行こうと約束をしています、いろんな話をしながら。

「女ふたり酒場旅」(ページへ)の相方こと「斎藤さん」は私にスーパー玉出のエコバッグをくれました。
「なんかお洒落って流行ってるらしくって。メルカリとかでめっちゃ高値なんですよ」
正直複雑な気持ちがしたのも事実。でもありがたく使っています。
街でもよく若い子が持っているのを見かけます。友人も羨ましがります。これ、ええね!

 

 


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