夜をさまよう人 01 非常事態宣言


 4月7日、「非常事態宣言」が出された。
 危機感を持って成り行きを見守っていた人も、そうでない人も、「いよいよだな」という特別な思いを感じたはずだ。

 繁華街は当日こそ普段と変わらない光景をニュースで映し出していたが、実感はなかった。
 宣言から2日経った9日正午前、湯島の事務所へ向かう途中で乗ったガラガラの丸ノ内線で「宣言」の重みを目の当たりにしたのだった。

 わたしの事務所での業務は今のところ通常ではある。けれども、お手伝いしている版元では、月刊誌の部数を決めるための「部決」という取次交渉業務が、取次からの要請でメールでのやり取りに変更された。
 ちょうどその版元では、わたしからの提案でPCの入れ替えを進めていて、自宅や外出先からファイルのやり取りが簡単にできるようになりつつある。
 時々、ネットでコロナウイルス関連のニュースをチェックしながら設定作業を進める。設定変更やバックアップが終わると、事務所を出ようと思っていた時間を2時間近くも過ぎていた。

 21時半。外は冷たい小雨模様。
 いつもなら、ソトノミストこと大塚親徳と「Tabistory.jp」の打ち合わせと称して池袋辺りで飲んでいる時間だ。
だが、それもなくなった。

 本郷三丁目の駅まで、人通りの減った本郷通りを歩きながら、寄る辺の街・池袋がいまどうしているのか知りたくなった。
 ガラガラの丸ノ内線に乗り、池袋まで足を延ばす。

 

 

 目にした池袋の街はこれまで見たことのない、寂しい風景だった。
雨で濡れた路面に映る街の明りが余計に冷たく悲しげに見せる。

 自然とわたしのホームグラウンドである東口に足が向く。
 心配しながらジュンク堂書店脇の一方通行へ入った。通りの奥に「みつぼ」黄色い看板が光っているのを見てほっとした。
 店をのぞくと、カウンターに2人ほどのサラリーマンと、4人ほどの若いグループ客がいるだけだった。
 わたしは、こんな時だからこそ、マカロニサラダお任せの串盛にチューハイを1杯だけ飲んで帰ろう、そう思っていた。
 でも、その一歩を踏み出せない自分がいる。
 ふと、妻や同居する年老いた父の顔が頭に浮かんだ。

 申し訳ない気持ちで店を通り過ぎて東口五差路に向かっていく。
 客引きがすっかり消えた街。しかし彼らへの注意を促す案内放送だけが場違いのようにスピーカーから大きな音を放っていた。

 

 

 東口五差路に立つと、終電に乗り遅れたような錯覚を覚える。
まだ22時過ぎだというのに、交差点は人をよけながら歩く必要がなかった。

 東口の「美久仁小路」の入り口。
 横丁の多くの店は看板の電気を落としてはいるが、店には客の気配がする。しかしいつもの賑やかさとは違い、どの店もひっそりと息を殺しているかのようだった。

 通りの中間にある行きつけの「ふくろ」。ガラス越しに見えたのは、普段は厨房に入ったきりの大将がカウンターで手持無沙汰にしている姿だった。
 ここでもわたしは何もできず、ただ通り過ぎることしかできなかった。

 

 

 いつも若者があふれていた「サンシャイン60通り」の人影が消えた通りを歩きながら、この世界は果たして元のように復活できるのだろうかと不安な思いが込み上げる。
 誰も経験したことのないウイルス感染の恐怖が現実となった今、わたしたちが確実に生きながらえるためにできることなど、ほとんどないことが分かってきた。
 それでも「自分は死なないだろう」と思っている自分のエゴとは、いったいなんなのだろうか。

 

 

 池袋駅の下を東西へと貫くトンネルを抜け北口に出ると、閑散とした光景が広がっていた。
 西口交番そば、たくさんの人が来るべき人を待ち続けたこの場所に、今はもう誰もいない。

「お客さん今日はいかがですか?」
 西一番街の通りで客引きに声を掛けられた。
 いつもなら無視して足早に通り過ぎたい客引き。今日は数えるほどしかいない。
 おそるおそるわたしから声を掛けてみた。
「こんな状況になって、お客さんなんか来ないでしょう?」

 客引きの1人が答えた。
「だから、必死になってやっているんですよ」
 ふざけたでもなく、あしらうでもなく、その声は真剣だった。

 客引きと別れ、わたしの視線は路地の角に向いていた。
 池袋演芸場の隣にあった「桝本屋酒店」がなくなってしまった今、西池袋で唯一のカクウチとなった「三兵酒店」だ。
 明かりが灯っているのを確認して安心する。
 再び現れた客引きから離れて遠巻きに店をのぞくと、入り口左側の隅に、隠れて飲むように客が1人いるだけだった。

 東口から西口までひと回り終わったころには、いつもと同じようにちょうど酔いも回って、そろそろ最後の電車を気にするのと同じ時間になっていた。
 駅の広場で立ち止まり、もう一度どこかのれんをくぐろうかどうか思い悩んだ。
 少しでも店が元気になればと思って。

 でも、今のわたしにはその勇気が持てなかった。
 言いようのない気持ちを抑えて再び地下鉄に滑り込む。

 

 

 ガラガラになった副都心線の座席に座り、窓を全開にして少し生暖かい風を全身に受けながら、昔の地下鉄はこんなに騒々しかったんだっけな、と感傷的になった。
 そして酒場を元気にするどころか、いつも元気をもらっていたのは自分の方だったと、はたと気づいて吐いた重く深いため息も、電車のモーター音と風にかき消されてしまった。


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