先日、些細なことで妻とけんかをした。
少し疲れが出て、寝室で仮眠を取るつもりがすっかり熟睡してしまい、気がつけば仕事部屋の明かりをつけたままにしていたのだ。
それを妻がようやく就寝する際に、すでにひと眠りしたわたしに嫌味を言ってよこしたのだ。
それが気に入らなかった。
おもむろに布団を出て、風呂に入り、着替えて仕事に行く準備を始めた。午前2時。
仕事は8時半からなのだけれど。
リビングのソファで寝ようかと思ったが、それすらしゃくに障る。
出かけようとすると妻が起きてきた。わたしは、
「取材に行ってくる」
と適当なことを言い放って車に乗り込んだ。
さて、どこに行こうか。
取材のあてなどない。
コロナウイルスの影響でほかに車の気配がない幹線道路を走りながら、妻への怒りと同時に、こんなことをしている自分へといらだちが募る。
朝まではだいぶ時間がある。とにかくひと眠りしよう、最適な場所はないかと、頭の中で思い巡らす。
コンビニの駐車場、広い道路際のパーキングレーン、駅のロータリー……。
いずれも昼間はならともかく、真夜中に眠るとなると、落ち着かないし身の不安も若干頭をよぎる。
やがて、いい場所を思いついた。
高速道路のパーキングエリアである。
ちょうど、家の近くを東京・世田谷区野毛の環状8号線から、横浜・保土ヶ谷区の首都高速神奈川2号三ッ沢線までを南北につなぐ、通称「第3京浜」と呼ばれる有料道路がある。家からいちばん近いインターにはパーキングエリアが併設されていて、利用してからそのまま高速を降りることもできる。
トイレもあるし、次の仕事にも都合がよいし、なにより外部から人間が立ち入らないのが安心――ということでわざわざ自宅から離れたところのインターまで行き、そこから第3京浜に乗った。
自宅にから近いので、利用することがほとんどないパーキングエリア。
その光景は、わたしが思っていたよりも違っていた。
車などほとんどいないだろうという予想を裏切り、かなりの台数の車が停まっている。
しかもトラックよりも乗用車の方が圧倒的に多い。
さらに気になるのは、通常、昼間のパーキングエリアだと、どうしてもトイレや建物に近い区画の方に停めがちだが、多くの車が逆にそこから離れた場所に集中しているのだ。
しかも、中には日よけのシェードを設置したり、タオルを窓に挟んだりして、外部から見えないようにしている車両がかなりある。
やっぱり考えることは同じか……と、妙に感心して観察していたのだが、あることに気づいた。
当然、この時間にパーキングで休憩するということは県外からの長距離移動車かと思いきや、そうではなかった。
横浜、品川、多摩、川崎……その多くが地元ナンバーなのである。
勝手な想像が浮かぶ。
わたしのような夫婦喧嘩か、家族不和か、締め出しか……。
車を降りて、トイレに向かう。
わずかにエンジンの低い音が響くだけのパーキングエリア。立ち寄る車と出ていく車が数台。
用を済ませ、停まっている車を少し離れて何気なく観察してみる。だんだん目が慣れてくると、シートが倒れていているのが分かる。スマホの画面の光が、起きているドライバーをかすかに映し出す車もある。
奥に駐車する車ほど、タオルやカーテンで目隠しされていて、中をうかがい知ることはできなかった。
自車に戻り、シートを倒す。
寝返りを打てないのがつらい。靴を履いているのが急にうっとうしくなった。靴を脱ぎ、その足を靴の上に載せるけれど、なんとなく据わりが悪いし、気分がよくない。
「よし、これからは車はサンダルを用意しておこう」
次回のことを考えている自分にあきれる。
なんとなく落ち着かない気持ちをこらえて目をつぶる。しばらくすると、眠りについていた。
やはり車での仮眠は体の節々が痛くてつらい。
シートを起こし、ベッドのように広く座席をフラットにできるワゴン車ならもう少し快適だろうが、とても熟睡などできないな……と思いながら辺りを見回すと、わたしと同じようにシートを戻して車の中でじっとしている人影が見えた。
ルームミラー越しに、わたしの車の後方に停まっていたワゴン車のシェードが取り外され、湿気ですっかり曇った内側の窓を拭く年配の男性が目に入った。
男性はすべての窓の曇りをさっとタオルで拭き上げると、歯ブラシ片手に車から降りて歯を磨き始め、しばらく経つとわたしの車を通り過ぎてトイレに消えていった。
なにもかもが手際よい。わたしが感心しているうちに食堂が開店し、パーキングエリアに入ってくる車両が増えだす。
さっきの男性が、すっきりした表情で戻ってくると、エンジンをかけて車を発進させた。
これからどこかへ出かけるのだろうと目で追うと、予想とは反対側の、ほとんど利用者がいない手前奥のパーキングスペースへUターンするように車を移動させた。しばらく振り返って見ていたが、それっきり動く様子はない。
ひとつの仮説を立ててみた。
「ここで暮らしている?」
一時の仮の宿ではなくて、ここに住んでいるかもしれない人がいるという事実。
わたしは停まっている車を見回した。
もしかすると、かなりの台数の車がこの場所に夜な夜な集まり、朝が明けるまで過ごしているのかもしれないと思うと、ぎりぎりの生活を送る人びとの一端を垣間見るようで複雑な思いがした。
決していいことだとは思えないが、こういう暮らし方ができるだけ、彼らにはまだ猶予があると思うと安堵する。
その日の夜、日が変わり再び夜中の2時。
夕方からのバス乗務が終わり、高速で家路に向かう途中でふと気になり、パーキングに再び立ち寄った。
予想していたとおり、昨夜と同じ風景が広がっていた。
その多くが見覚えていた車だった。