狭いって? 余計なお世話だ!


 日本という国は案外大きく、本州などはかなり大きな島といえる。
 そこで、じゃあ面積はいくらなんだとか、世界で何番目なんだ? とか、そんなことまで気にしないのがお気楽の収集家たるゆえんなのである。なんとなくそういう気がするのであるから仕方ないのである。

 街を少し離れると広い、かなり広い、田園地帯や畑が広がる。山の面積もかなり果てしなく続いているような気がする。
 そんな田舎で育った私は、田んぼの中にポツンとある農家や、街にある大きな商家、お屋敷なども見て育ってきた。
 土地が安いのであるから、けっこうみんな大きな家に住んでいる。かといって田舎がみんなそうなのかといえば、そうでもなく、ちゃんと長屋もアパートもあるわけで、小さな家もいっぱいあり、狭いところで育ってきた人はいくらでもいるのだ。

 私の家は農家と商売もしていたので、まぁ、ごく普通の一軒家で育ってきたのかなと思っている。しかし、そう広くもない家なのに自分の居る場所は、狭い所でなくては落ち着かない性質だった。
 押し入れや部屋の隅っこが大好きで、何かに包まれていなくては安心できなかったのだろう。もしかするとそれは母親などにずっと抱かれていたいという、甘えん坊の気持ちそのものだったのかもしれない。
 その狭い限られた空間を自分だけの世界にし、その狭さの中でいろいろな世界を想像し、行ってみたいという願望を持ち、目を閉じても心は広い世界に向けて、いろいろ夢想するのが好きだったのである。

 したがって、街を散策していて、狭い家、お店などを見つけると、嬉しくなってしまうのだ。狭いであろう家の中は、暖かく一家団らんの美しい日本の一般家庭の幸せな風景が想像できるのである。
 家族間の断絶などありはしない、いやでも家族全員の声が聞こえる、顔が見える。触りたくなくても自然に触れ合いが生まれる。みんなと関わり合わなくては生きてゆけないのだ。そしてそこには誰にも語られることのない、消え去ってしまうだけの多くのドラマも生まれただろう。
 しかし、ご当人たちにとっては煩わしく、うっとうしく、息苦しく思っているのかもしれない。しかしそれはそれ、私など他人には関係ないので、勝手に想像するのである。これもまた幼年時代からのくせなのである。

 狭い家と言っても基準を設けないと、比べるものによって狭い広い、小さい大きいなどは人それぞれであるから困る。私の基準は、狭い家は道路側の間口一軒半以下、つまり2.4メートル以下であること。しかし測るわけではないので、アバウトである。そこには玄関というか入口があることである(薄っぺらな家もあるので、玄関のある方で判断する)。
 お店の場合はかなり狭いところは呑兵衛横丁などに行けばたくさんあるのできりがないから、何となく生活感があることが重要になり、一軒家であることが望ましい……というようなことを頭に入れていただきたい。

 

 

 台東区は駒形で見つけましたが、ほんとうに失礼ですが、かわいいお宅です。
 一軒のサッシの玄関と上にひさしがあって、トタン部分は玄関サッシより小さくなっています。一階建てのお宅ですが、住んでいるのでしょうか? 奥には深ーくなっているのだと思います。ママチャリがガラスに透けて見えます。こういう生活感が大好きです。

 

 

 

 京島で撮影しました。狭い入り組んだ路地の多い京島ですから、長屋をはじめ、こういった狭い家も多く見られます。
 シャッター部分の幅は二階部分と比べると一間はないのでかなり狭い。シャッター部分は店舗かもしれません。右のドアを開けるとたぶん階段、二階の居住部につながるのではないでしょうか?

 

 

 

 ここは新宿区は市ヶ谷、この家の並びにはこのくらいの大きさのお宅が並んでいました。これこそ一間半、奥行きは分かりません。

 

 

 

 品川の先、青物横丁のお宅です。街の名前も最高、一間半に満たない間口です。二階の窓に出ているエアコンが大きく見えます。こうしてそれぞれ工夫して住んでいるのです。

 

 

 

 浅草は鳥越です。店舗のようで、倉庫のようでもあります。
 奥行きはあまりありません。玄関サッシの上に不思議な丸いもの……排煙装置でしょうか?

 

 

 

 千葉県船橋市。商店街の一角、お店でしょう?
 でも、長年ここで商売をしてきた歴史を感じさせる、何となく風格さえある建物です。

 

 

 

 東京に戻って浜松町です。これは見事ですね! 一間です。奥に行って左に折れた建物かもしれませんが、そんなことは考えずに、この存在感を楽しんでいただきたいですね。こういうのを見ると、都会で隣との境目数センチでいさかいが起こるというのもうなずけます。

 

 

 

 日本橋小伝馬町。一間半の看板建築です。いちおう、切妻(後ろに方屋根ですから違うかもしれません)の日本建築の道路側だけ洋風のビルに見えるように、壁を直立させ、狭い土地の有効利用をしているようです。

 

 

 

 どーんと飛んで、古い街並みの残る名古屋の中村区です。紳士服の仕立て屋さんです。狭い面積でもできる職人さんのお店の代表格ですね? やはり看板建築になっています。奥に細長くなっていると思います。ここでたくさんの命が生まれ、育ち、ドラマが生まれてきたのだと思います。

 

 

 

 浅草の観音様の近く、小さな商店が並ぶ賑やかな街です。骨董品屋さんが好きなので、思わず撮ってしまいました。二階部分は生活空間なのかどうかは解りません。
 街には商売用のお店だけで、生活は別の街で、という方々も多いと聞いています。でもここがそれぞれの生活の拠点であることは間違いないと思います。扱う品物の単価が高ければ、狭くてもちゃんとご商売が成り立つんでしょうね?

 

 

 

 四国は香川の丸亀市。飲食店はこの一軒だけ紹介せさせていただきます。
 隣が駐車場になってしまったために目立ってしまいました。このくらいのお店が並んでいたような気がします。間口一軒のお店、二階には洗濯物が……ガスのボンベさえ店の前に置かなくてはならなくなったんでしょう。世の中は少しずつ変わって行くんですね。

 

 

 

 最後はこれも名古屋の中村区。引き戸のサッシですが、これは一間もありませんね? さらに大きなビルにはさまれて、自分もビル風にしていますので、細長く感じます。印刷屋さんですが、営業だけなのでしょうか? 坪当たりの売り上げ単価は高いと思います。電気のメーターさえ大きく見えます。

 
 まぁ、狭くて大変ですね? とか言うのは余計なお世話でありまして。そこはそれぞれの立派な我が家であり、幸せを育んでいるマイホーム、お店なのである。
 マンションやアパートのワンルームの部屋に住む人も数限りない。小さかろうが一国一城の主である。自分の土地に住んでいるだから(違うかもしれませんが)、住めば都なのである。
 貸家、まして高層マンションのあんな高いところはまっぴら御免とお思いになる方々もたくさんいるでしょう。それはそれ、幸せであればいいのです。上を見ればきりがない、下を見てもきりがない……。とにかく、ここがいいから住み続けるのである。
 私の狭いところに潜り込むと落ち着くという気持ちも、幼い時から変わっていない。
 


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