5月2日からひと晩、元書店本部の方とともに小淵沢に居を構えるお知り合いの方のところにお世話になり、酒と食事と会話を楽しんだ。久しぶりの高原地帯。新緑と澄んだ空を見ていると、すっかり都会の忙しさを忘れてしまう――。
翌日の帰路は思ったより早めに出立することになった。
あずさに乗り、甲府着のアナウンスを聞いて、ふと、久しぶりに放浪の虫が騒ぎだす。
同行の方に丁重に説明して途中下車。
なんとなく行きたいところは決まっていた。気持ちは南に向いている感じだった。
いろいろ考えて、甲府駅のみどりの窓口に並び、横浜まで通しの乗車券を1枚購入。こうして買えば乗車距離が200キロ以上となって有効期間は3日になり、途中下車もできる。
もし、今日のうちに自宅へ戻れなければどこかで宿を取ればいい。
そう思うと、久しぶりにこんな開放的な気持ちになれたのはいつ以来だろう――。
電車は13時24分に発車する身延線の富士行きの鈍行に乗ることに決めた。
初めて乗る身延線は、甲府から富士川の流れに沿って静岡県富士市まで延びる、距離およそ90キロの電化ローカル線。3時間余りの旅だ。
発車まで少し時間があるので、市内を少し散策してみる。
甲府市内はやはり盆地性の気候だからなのか、かなり暑い。日陰を求めてアーケード街に入ってみるが、人通りは少ない。こいのぼりが気持ちよさそうに泳いでいた。
勘を頼りにめぼしいところを歩き回る。やはり甲府もほかの地方都市同様、商店街は人気が少ない。
駅に帰る途中で、舞鶴城へ立ち寄る。城は現存しないが、石垣が天守台部分まで残っている。重いバッグを背負いながら、カップルに負けじと大きな石段を必死に登っていく。汗がじわりじわりと額に伝ってくる。
天守台部分から望む甲府市内の風景は、やはり山に囲まれた盆地地形の特徴がよく表れている。西に甲斐駒ヶ岳と、まだ雪化粧をした南アルプスが顔をのぞかせていた。
駅前を散策しながら、発車20分前くらいに身延線のホームに来てみると、もうベンチにはかなりの人が座っている。座るのをあきらめて乗降位置に並んでいると、にわかにみんな慌てて並び始める。幼い兄弟を連れた母親が、座れなかったらどうしようと子どもと心配そうに話している。
そして電車到着。ゴールデンウィークの混雑で、われ先にと車内になだれ込む乗客。私はその勢いで押し込まれ、たまたま座ることができた。
向かいの客は先ほどの家族連れのかわいい兄弟だった。母親ははじめ座れなかったが、数駅目でわたしの隣に座っていた主婦が降り、ボックス席はわたしと家族連れになった。
聞けば甲府市内の実家を訪問して沼津に戻るとのこと。普段は特急を使うのだが、下の子の運賃を安く上げようと鈍行にして失敗したと苦笑する。
どちらへと聞かれ、横浜までと言うと、その小さい彼が「横浜に行くの? 僕たちも?」と言って目を輝かせ、大人たちの笑いを誘った。
時間とともに乗客はどんどん減っていく。
社交辞令的な会話もひと通り済んでしまったのと、道連れのアルコールが心地よい眠りを誘って、ボックス席は線路を走る音と、兄弟が遊ぶゲームのボタンを押す音だけになった。
身延駅を過ぎて徐々に車窓の景色が開けてきた。不意に山の切れ目から姿をのぞかせたのは雪解けの進む富士山の大きな姿だった。
富士山は車窓の右に左にその位置を変え、その姿はさらに雄大になってくる。普段見慣れている地元の人たちも、それぞれ声を上げながら食い入るように眺めたり、写真を撮ったりしている。
気がつくと、車内には不思議な連帯感が広がっていた。
富士山をぼんやり見つめながら、気がつけば間もなく終点のアナウンス。近くて遠い3時間の旅だった。
子どもたちとお母さんに別れを告げる。
「お気をつけて」というお母さんの言葉。一期一会の旅の出会いにあらためて感謝する。
それにしても、ようやく伸ばせた足腰が気持ちいい。
さて、この後はどこへ行こうか。
(後編に続く)