春の鹿に導かれて、歩く♪ ~鹿教湯温泉


遠く、八ヶ岳をのぞむ中央自動車道です♪

遠く、八ヶ岳をのぞむ中央自動車道です♪

 二十四節気の「啓蟄」の日もとうに過ぎ、もうすぐ「春分」なのだが、コロさんもわたしも冬衣のままだ。 
 「今年の冬は寒かったね」
 「ラニーニャの影響だって」
 青空のもとに白く縁どられた八ヶ岳を眺めながら、中央自動車道を進む。あと2週間もすれば、東京では桜が開花するとは信じられない、ぴりっとした寒さだった。
八ヶ岳PAの入り口、たくさんの木製の手作りのシカさんたち♪

八ヶ岳PAの入り口、たくさんの木製の手作りのシカさんたち♪

 途中、八ヶ岳PAで休憩をする。おや、木で出来たたくさんのシカたちのお出迎え。これから向かう温泉にぴったり。わたしたちが本日向かうのは、「鹿教湯(かけゆ)温泉」。シカと縁の深い湯治場なのだった。

 お宿に入る前に、まずは腹ごしらえ。鹿教湯温泉入口付近にある、国道沿いのお蕎麦屋さん「奈賀井」。一度ふらりと入って以来、ここのお蕎麦に魅了されて、幾度目かの訪問になる。
 「うーん、発芽粗挽そばにしようかな」とコロさん。
 「わたしは、韃靼そば……あ、挽きぐるみそばも!」

お蕎麦屋さん「奈賀井」の屋内。テーブル席もあります。

お蕎麦屋さん「奈賀井」の屋内。テーブル席もあります。

左から、名物「発芽粗挽そば」「韃靼そば」「挽きぐるみそば」。

左から、名物「発芽粗挽そば」「韃靼そば」
「挽きぐるみそば」。

 こんなに頼んで大丈夫だろうかという不安もどこへやら、蕎麦はスルスルと胃袋に納められ、蕎麦湯も堪能して、あとは冬のタヌキのように立派なおなかをした二人の生き物が至福の吐息をつくのみであった。

源泉湧出跡に飾られた、シカと猟師さんの絵♪

源泉湧出跡に飾られた、シカと猟師さんの絵♪

遊歩道のお山の上からパチリ。鹿教湯温泉全景。(2014年秋に撮影)

遊歩道のお山の上からパチリ。鹿教湯温泉全景。
(2014年秋に撮影)

 鹿教湯温泉。動物に導かれて開湯に至った温泉地は、全国津々浦々にあるけれど、ここぐらい「読んで字のごとし」という温泉地もないだろうと思う。800年以上の歴史があるらしいが、まさに「鹿が教えてくれたお湯」伝説が残る。正確には、文殊菩薩の化身であるシカが、信心深い猟師に効能豊かな湯のありかを教えた……という話。
 現在、規模様々の22軒のお宿がある鹿教湯温泉は、国民保養温泉地として指定されている。リハビリテーションのための施設や病院もあり、静かな山間地域なのだが、不思議な活気を感じる場である。

つるや旅館の表口です♪

つるや旅館の表口です♪

車いすでもスムーズに移動ができるスロープなど、バリアフリー設計が徹底!

車いすでもスムーズに移動ができるスロープなど、バリアフリー設計が徹底!

渓流沿いの静かなお部屋。10畳に広縁、ウオッシュレットのトイレ付きです。

渓流沿いの静かなお部屋。10畳に広縁、ウオッシュレットのトイレ付きです。


 「ごめんくださーい」。つるや旅館の裏口に到着。広いロビーの横には、長いスロープ。
 館内を車椅子で移動できるようになっているほか、ご高齢の方も安心できるように段差が極力少ないなど、バリアフリー設計に工夫が凝らされた造りになっている。感じのいい女性スタッフに、お風呂から近い渓流沿いのお部屋を案内される。もう何度かお世話になっているお宿なので、詳しい説明は不要。お茶をいれて、広縁でまずは一服。

 窓の外では、木々が春の準備を始めている。一見ガランとした景色のように見えるけれど、目を凝らすと枝先に小さな芽。固くておとなしそうな芽の中に、春に向けて爆発的なエネルギーが蓄えられているんだろうな。植物、おそるべし……。
 と、すばしこい灰色の生きものが、さーっと木の幹を移動するのが見えた。「キツツキだ!」昨年の沢渡温泉で出会ったアオゲラよりずっと小さい、コゲラ。「虫探しかな」。
 コゲラの動きに見とれていると、突如目の前に現れたのはカケス。あれ? 何かくわえている?どんぐりのように見える。カケスはちらりとこちらを見たあと、鮮やかな弧を描いて飛び立っていった。

すばしこい、コゲラさん、お尻をパチリ♪

すばしこい、コゲラさん、お尻をパチリ♪

啄木鳥の作成した穴と思われます!?

啄木鳥の作成した穴と思われます!?

鮮やかなカケス。

鮮やかなカケス。
 

 窓の外の小さな劇場見物はいったん終了し、お風呂へそれぞれ向かう。コロさんはお気に入りの貸し切りの家族湯へ、わたしは下の階の薬師の湯(女湯)へ。

貸し切りの家族湯のひとつ。窓を開ければ気持ちのいい風♪

貸し切りの家族湯のひとつ。
窓を開ければ気持ちのいい風♪

「薬師の湯」の女湯です。

「薬師の湯」の女湯です。
 

女湯の露天風呂。野鳥の声を聴きながら湯浴み♪

女湯の露天風呂。野鳥の声を聴きながら湯浴み♪

 つるや旅館は、大きなお風呂が5つ(男女別の薬師の湯、文殊の女湯、文殊の湯内風呂と野天湯)、貸し切りの小さなお風呂が2つあり、すべてが源泉かけ流しで、飲泉もできる。弱アルカリ性の穏やかで滑らかなお湯だ。備え付けのコップで湯口からゆっくりお湯を飲むと、かすかに苦味が感じられる。ここのお湯は、神経痛やリウマチ、運動機能障害等によく効き、飲めば胃腸が元気になるという。
 ぬるめのお湯に長めに浸かっていると、心身のこわばりがどんどんほどけて、この世に悪いことなんて何もないような気持ちになっていくのだった。

 お風呂からあがり、湯上り処のサンルームでぼんやりしていると、コロさんがさっぱりとした顔をしてやってきた。
 「明るいうちに散歩いこう」
 「いこういこう」

 そう、鹿教湯温泉は「歩く温泉地」でもあるのだ。歩きやすい服装にスニーカーのご高齢の方々が、それぞれのペースで歩く姿をあちこちで見かける。
 リハビリセンターに入所されている方たちは、療法士さんといっしょに楽しそうに歩いている。遊歩道も整備されているので、安全にウオーキングができる。そして四季折々の風景や野鳥たちに見守られているという安らかさ。

鹿教湯温泉にはいくつも味わい深い橋が……。これは「五台橋」、現世と神の世界を結ぶ橋。

鹿教湯温泉にはいくつも味わい深い橋が……。
これは「五台橋」、現世と神の世界を結ぶ橋。

道中、木の札には、みんなのお願い事が……。

道中、木の札には、
みんなのお願い事が……。
 
 

歴史ある薬師堂。中には、仁王様の対の像も納められています。

歴史ある薬師堂。
中には、仁王様の対の像も納められています。
 

鹿教湯温泉は、マンホールも、シカ♪ 親子です!

鹿教湯温泉は、マンホールも、シカ♪ 親子です!

 コロさんとわたしは、のんびり歩く。文殊堂にお薬師さんにご挨拶。途中、飲泉場のシカさんにもご挨拶。マンホールにもシカの親子がいるし、お菓子屋さんの看板にもシカ。
 至る所に、無言のシカたちがそっと寄り添う。
 「そういえば秋に来たときに、コロさん、シカの声を聴いたんだよね?」
 「うん、フィーっていう笛のような声だったなあ」。

お部屋でのんびり夕ご飯♪

お部屋でのんびり夕ご飯♪

夜の「文殊の湯」の女湯。

夜の「文殊の湯」の女湯。

 散歩の後は、お部屋での夕ご飯。茶碗蒸し、天ぷら、焼き魚、野菜とお魚のお鍋や煮物等を、お酒とともにテレビのニュースを見ながらゆっくりいただく。
 「今夜こそは、ムササビに会いたいね」(つるや旅館では運がいいと野生のムササビに会える宿なのだ)など言いながら、心地よくてうとうとしてしまう。はっと気づいたらもう深夜だった。誰もいないお風呂に出かけ、見えないムササビの姿や聞こえないシカの声に思いを馳せる。今この瞬間にも、彼等には彼等の暮らしがあり、命があることを想う。

つるや旅館の向かい、文殊堂の鐘。

つるや旅館の向かい、文殊堂の鐘。

 目覚めると、もう午前7時を過ぎていた。文殊堂の鐘の音が聞こえたような気がした。
 コロさんはすでに起きて、広縁で窓の外を眺めている。
 「ムクさん、もう皆起きて散歩してるよ」と、コロさんが指さす先には、対岸の遊歩道にすでに十数名の高齢の方々がにぎやかに散策をしているのだった。
 「朝湯して、食前のウオーキングなのかな」
 「鹿教湯では、歩くことが湯治の大事なメニューなんだよ、きっと」

食事処でいただく、たっぷりの朝ごはん♪

食事処でいただく、たっぷりの朝ごはん♪

 朝ご飯は食事処でとるのだが、周りを見渡してもほぼ皆完食だ。よく食べ、よく歩き、よく眠ることは、ヒトという生きものにとって基本のキなのかも。健やかであることがとても有難いことを、人生の先輩たちはよくご存知なのだろうな。「よく呑み」、、ばかりがダントツ1等賞の自分は、ちょっと穴に入りたくなる。

春に向かう佐久・春日温泉地区の景色、そして雄大な山々。

春に向かう佐久・春日温泉地区の景色、そして雄大な山々。

つぶらな瞳が可愛らしい、アトリさん。

つぶらな瞳が可愛らしい、アトリさん。

喉元の桃色が可憐なウソの群れ。

喉元の桃色が可憐なウソの群れ。

 「せっかく長野まで来ているのだし」と、少しまた遠出。寄り道しながら、佐久方面へ向かう。まだ風景は茶色のグラデーションなのに、春がすぐそばまで来ていることをみんな知っている。木も草たちも野鳥も、ヒトたちも。道路をトラクターがのんびりと走る。
 細い山道に入り、少し散歩。「おやおや、またシカ!?」。雄雌つがいのシカの像がそこにはあった。その下の筒から流れ出る水は、妙に温かい。「これ、温泉じゃないの?」
 そこは春日温泉の源泉公園なのだった。「鹿教湯からシカさんがついてきているのかも」と言いながら、誰もいない小さな公園で空を仰ぐ。
「春日といえば、春日大社の神さまのお遣いはシカだったね」
「春鹿っていう日本酒もあるし」
「?!」

春日温泉。「春の日」のシカたち♪

春日温泉。「春の日」のシカたち♪


 鹿の声は、秋の季語とされるけど、春の鹿は、文字通りに春の季語。
「思ひわすれ思ひ出す日ぞ春の鹿」(千代尼の句)。春霞の向こうにそっと草をはむ、千年前のシカが、幻のように浮かんで見えた。


同じ連載記事