いま、わたしの枕元には、紺色の布に包まれた大きな四角形の物体がある。大好きなヌイグルミたちに寄り添われて。それは、やすらかでおとなしい。撫でても、語り掛けても、反応はない。
でも、都度、優しい気配がつたわってくる。……コロさん(夫)のお骨だ。
しっかりと握っているコロさんの手が、指先からゆっくりと冷たくなっていくのを、時間をかけて全身で味わった。これが死なのか。これが愛する夫の死なのか、と。
「Tabistory」に連載させていただいてきて、はや4年。最初の回は、2015年6月20日。実は、この当時、コロさんはすでに抗がん剤治療を始めて1年以上経っていた。
2013年末に、持病だったガンが肺に多発転移を起こし、手術も不能、完治は無理、と言われてから、さんざんドクターショッピングをしたあげく、低用量抗がん剤治療という、少し特殊な(体に優しい)化学療法にたどりつき、お世話になってきたのだった。
その頃から、わたしたちは、「悔いのないように」大好きな旅と温泉に出かける。
温泉も、ガンに効能のあるところや、健康増進効果のあるところを選んで行っていた。泉質だったり、かけ流しだったり、源泉だったり、こだわりを持っていた。
昨年末に、2度目の骨転移が発覚し、ピンポイントで放射線を照射してもらい、1月にはさいごの温泉を堪能することができた。山梨県の石和温泉だ。
すでに、酸素ボンベを手放すことができなくなっていたため、高地(千メートルを超えるようなところ)の温泉は無理、さらに何か起きてもすぐ近くに病院があるところ、都内に帰ってこられるところ……という選択肢が続いた。昨年秋にも、奥多摩~山梨の温泉を積極的に攻めていたのは、そういう理由。 温泉は、いつもわたしたちを温かく包んでくれてきた。そして、コロさんは、いつもわたしをとことん大事にし、愛してくれた。
「今日も愛してるよ、ムクさん!」
と笑顔でアクセルを踏む、コロさんの横顔を、わたしは一生忘れない。
この連載でも書かせていただいた、新潟の十日町エリア~越後妻有~で開催されている「大地の芸術祭」。3年に1度の大きなアートのお祭りだが、常設されている作品も多い。
このなかで、わたしが大好きな作品がある。 台湾のジミー・リャオという絵本作家の「Kiss & Goodbye」。小さな無人駅のそばに、ぽつんと設置されているそれは、わたしの心を完全につかんでいた。
この作品は、ジミー氏の「幸せのきっぷ」という絵本から、3次元に飛び出した作品だ。
「幸せのきっぷ」は、「大地の芸術祭」のJR飯山線アートプロジェクトから生まれた絵本であり、両親を亡くした小さな男の子が愛犬と旅をする、幻想的で美しい、そして言葉少ない物語なのを、あとで知った(絵本の方をあとから読んだ)。
あの日、ふたりっきりで、この作品~Kiss & Goodbye~を眺めていた。曇天のもとで、すべてが静まり返ったなかで。
記憶。幸せで、今はとことん残酷で、やるせない記憶の数々。
いつか立ち直れる日がきたら(くるのだろうか)、コロさんと巡った温泉の数々に再訪する機会もあるのかな。今は考えられないけれど。
当たり前の日常というものは、それ自体が奇跡のようなものだと感じる。ましてや、パートナーとの楽しい時間なんて、奇跡をすら突き抜けていると。
今わたしは、コロさんの声のしない、コロさんの体温がない部屋で、ひとりでお酒を飲んでいる。自分が撮影したコロさんの写真が、山のようにあるので、それを眺めたりもする。元気なときのコロさんをもう一度見つめる。出会う。
コロさん、コロさん。ほんとうにありがとう。
そして、今日も愛してるよ、コロさん。
明日も愛してる、明後日も、これからも、ずっとずーっとだよ。
いつか、とびきりの笑顔で再会できますように。心から……心から、祈っている。
これで、連載は終了です。
今まで読んでくださってありがとうございました。