私が旅に出る理由:前編


 日が沈みかけている夕暮れ時、ベランダで煙草の煙をくゆらせている。
 隣にある幼稚園で、思い思いの遊びに興じ、疲れた園児たちが、親の迎えを待っている。そんな、どこか物寂しい時間が、好きだ。事件などとはとうてい無縁であろうこの場所で、私は、これから始まる大きな旅と、これまで踏みしめてきた道に想いを馳せていた。

 思い返せば2年前、私は焦っていた。大学1年生のとき、早稲田大学の探検部に入部した。きっかけは、UMAと山が好きで、何か面白そうだったという、いかにも単純なものである。
 大学生活で初めて迎える長期休暇であるゴールデンウィークに、探検部の新歓合宿は行われた。内容は、伊豆諸島のうちのひとつである神津島で、サバイバル生活をするというもの。そして、ただ単にサバイバル生活をするのではなく、自分の荷物をザックに入れて背負い、チームに分かれて、山や谷や藪の中に隠れているポインターを探し出し、ポイントラリー形式で順位を競い合うという、想像を絶するほど過酷なものだ。
 その合宿を終えた新入部員の半分は、そこで探検部を去ってしまう。しかし、その事実が負けず嫌いの私を燃えさせることとなり、新歓合宿を終えた私は、探検部を決して辞めまいと誓った。

探検部新歓合宿でのワンシーン。顔が笑っていない。

探検部新歓合宿でのワンシーン。顔が笑っていない。(左)

 暫くして、新入部員は次々と自分の中心となる活動を定めていった。しかし私は、これといってやりたいことがなく、たまに山を登ったり、キャンプをする程度だった。そして、他にも所属していた活動は、次々と辞めていった。

 探検部では、積極的に活動することがステータスにもなる。そんな中、冗談を言ってみたり、飲み会で騒ぐくらいしか存在価値を見出すことができない自分が、歯痒くて堪らなかった。そこで、周りがビックリすることをしてやろうと考え、なにかないかと探していたときに、私の心を惹きつけたのが、カナダの極北からアラスカに流れる、全長3700キロにもなる雄大なユーコン川だった。そこを単独で下ったら、探検部だけではなく、周りの人たちまでもが、自分を羨望の眼差しで見るだろうと思った。
 私は貯金の全額である30万円をはたき、20歳の誕生日から4日後の9月6日を出発日とし、旅に出ることを決めた。

 もともとカヌーに関心がなかった僕は、カヌーなど当然未経験で、ユーコン川を下っていれば、自然と上手くなるだろうなどと甘い考えを持っていた。ユーコン川を単独で下ることの危険性など毛頭にもなく、それほど軽い気持ちで決めたことだった。
 出発日の2日前、当時の彼女とのデート途中に、現地のカヌーレンタルショップのおじさんから日本に電話がかかってきて、「死ぬからやめてくれ」と真剣に止められた。それでも危機感の足りない私は半信半疑だったが、大人しく、出発前日に一日だけ奥多摩でカヌー訓練をすることにした。
 奥多摩のインストラクターのおっさんに爆笑され、一緒にいた人たちからも笑われた。そして、人生初のカヌーは、思ったよりも難しかった。いま思うと、未経験で行っていたら、確実にお陀仏になっていた。

 私の旅の計画は、ホワイトホースという小さな町からスタートし、400キロ先のドーソンという町にゴールするというものだった。ユーコン川にたどり着くには、ホワイトホースから、車を2時間ほど走らせなければならない。川下りの前の三日間を、食料や必要なものを町で調達するための準備期間とした。
 成田からバンクーバーを経由し、ホワイトホースに到着したとき、日はすでに沈んでいた。宿などどうにかなるだろうと考えていた私は、町に2軒のユースホステルがあることを知り、足を運んだ。今考えると無理もないが、2軒とも部屋に空きがなく、「Lead Dog」というホステルの庭に、翌日部屋が空くまで、テントを張ることになった。

 そこに、タカさんという日本人がいた。
 タカさんは一人で世界中をまわっている最中で、中間地点であるカナダに来るまで、すでに4年の歳月を費やしている、長期旅行者だった。
 穏和で、気取ることもないタカさんに親しみが湧き、出発まで毎晩語り明かし、タカさんの巡ってきた国々の話を聞き、数々の写真を見せてもらった。そこには、私の知らない様々な世界があった。それまで、世界中を旅するということなど考えてもみなかったが、それも良いなと思い始めていた。

 出発直前になって、はじめて緊張感というものが感じられてきた。大自然に身を投げ捨てるには、相当な勇気を要する。なにせ、例え自分が溺れようが、グリズリーに襲われようが、誰にも知られることはなく、ひっそりと死んでゆくのだから。私は「ええい、ままよっ!」と、期待と不安を共に胸に抱き、1隻のカナディアンカヌーに乗り込んだ。

 

 

ユーコン川下りへ、いざ出発。


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