私が旅に出る理由:後編


 一週間にも及ぶ川下りは、良くも悪くも、私の期待を遙かに超えるものだった。ワンメートルを超えるサーモンが下を泳ぎ、カワウソの親子が気持ちよさそうに水浴びをし、ハクトウワシが私を尻目に飛び回り、ムース、リス、オオカミが物珍しそうにこちらを眺めていた。見渡す限りの大自然は、私の心に溜まっていたドロドロを、洗い流してくれるようだった。

ユーコン川の風景。

ユーコン川の風景。

 事件は、川下りをはじめて3日後に突然起こった。相変わらずザップザップとカヌーを漕いでいると、向かいの森から、なにやらデカくて黒い塊が動き出した。私は、それが何か一目でわかった。それは、ユーコン川のヘビー級王者、グリズリーだ。

 ユーコン川で川下りをする際には、グリズリーに襲われたときに使用する、緊急用のベアスプレーが必携である。念のために準備したものの、まさか自分が本当に使うことになろうとは想像もしていなかったため、ザックの底から急いでベアスプレーを探し出し、それを掴んだ私の右手は、すでに汗でびっしょりだった。
 グリズリーは私を暫く睨みつけ、森に去っていくかと思いきや、何を間違え餌と認識したのか、川を泳いでこちらに向かってきた。走馬燈こそ見えなかったが、その瞬間は、まさにこの世の終わりのような絶望感を味わった。

 結局、幸運にも川底が深いエリアだったため、グリズリーは諦め、引き返していった。
 私は今までに感じたことのない高揚感を覚えたと同時に、自分はとんでもない場所にきたものだ、しかし、ここで死ぬようならそれまでの人生だったのだ、と腹を括ることにした。

グリズリーの足跡。数回は目撃。

グリズリーの足跡。数回は目撃。

 そんな私は、またグリズリーに襲われるのではないかと神経質になり、テントの中で震える夜を過ごしていた。テントに付けた鈴が鳴るたびに怯え、外にグリズリーがいないかと、テントから顔を出していた。そんなことを何回も繰り返していると、空に突然、うねるような光のカーテンが現れだした。
 そのカーテンは、どんどん大きくなっていく。動きは想像していたものよりずっと速い。光のカーテンは数を増し、幾層にも折り重なって、とうとう夜空いっぱいに広がった。そして、あるときに爆発するように消えてゆく。この不思議な光景を、僕は放心状態で眺めていた。
 それが、人生で初めてみるオーロラだった。オーロラこそ、自分の目で見てこそ、心から美しいと言える。

 出発から一週間が経つ頃、ようやく私の旅にも終わりが見えてきた。最後の試練とでもいうかのように、枯れ木を突き抜け、強い風が吹き付けてきた。吹きすさぶ風、加速する川の流れ。
 気を抜けばカヌー転覆の危機の中、私は奥多摩で習ったテクニックを最大限に活かした。収まったと思ったら襲いかかってくる突風との闘いは、3時間にも及んだ。ゴールを目前にして、これでもかと酷使した手足はまさに棒のようになり、私は疲れ果てた。しかし、あれだけ孤独と闘ってきた川下りも、いざ終わりを迎えるとなると、寂しくなるものである。
 そうして私は、広大なユーコンの大自然に向かって雄叫びを上げながら、無事ユーコン川を下り切った。ちなみに、私より数日先に別ルートで出発したはずのタカさんは、私が到着した数時間後に、無事到着した。

とてつとなく広い、ユーコンの空。

とてつとなく広い、ユーコンの空。

 川下りを終え、ホステルで知り合った友人たちと数日を過ごすと、ついに帰国の日がやってきた。
 タカさんは、もう少しホワイトホースに残ると言った。私の旅はそこで終わるが、タカさんの旅は、まだ終わらない。なんとなく、後ろ髪を引かれるような気持ちで日本に帰った。

 それからは、世界中をこの目で見てみたいという気持ちが、日を増すごとに膨らんでいった。
 ついに私は、大学を休学して、世界中を旅することを決めた。
 学生自治の寮に身を置いている私は、寮生の皆に時間をかけて熱意を伝え、ついに、1年間という期限付きで寮を空けさせてもらうという許可を得ることができた。

 そして、大学を半年間休学し、4つのバイトを掛け持ちして旅の資金稼ぎに精を出した。友人たちが学校に通っている中で、朝から晩まで働き続けるのは、肉体的にも精神的にも辛いものがあったが、旅に出たいという強い想いと、恋人や仲間の存在が、私を支えてくれていた。
 結局というもの、私の無計画さゆえに、大した金額は貯まらなかったが、世界中を旅する心構えみたいなものは、十分すぎるほどにできていた。

 待ち焦がれた出発日は、ついに4月18日に決まった。


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