出発までの一週間は、とても濃密な時間だった。様々な友人たちが、私の門出を激励し、祝ってくれた。
大学の友人たち、旅を通して知り合った友人たち、学生団体の友人たち、バイト先のオーナー、そこの常連客たち、旅と思索社の人たち、寮の皆、親戚、家族。別に餞別をくれた友人もいた。
こんなにも多くの人たちが自分を気にかけてくれているというのは、気恥ずかしくもあったが、素直に嬉しかった。ありふれた日常の中では、こうも大切な人たちの存在を思い知らされることなんて、滅多にあるものではない。自分はこんなにも周りに恵まれていたのだと、日本を出て行くときに気づいてしまうというのは、なんとも皮肉なことである。
出発には、成田空港まで、寮の皆が見送りにきてくれることになっていた。寮のある茗荷谷から成田空港までは近くないし、そんなに大袈裟に送り出されるほどのことではないと思っていたのだが、皆の好意を受け取り、感謝することにした。だが、それは見事に杞憂に終わってしまった。出発前夜に寮で盛大な宴会を開き、そこで皆、見事に酔い潰れてしまったのだ。私もつい気持ちよくなり、酩酊し、いつのまにか深い眠りに落ちていた。
朝になると、大丈夫ですか、という後輩の声に起こされた。
二日酔いで激しく痛む頭に、俺は大丈夫だと無理矢理言い聞かせる。まあ、こんなもんかと心の中で苦笑しながら、最後の身支度をさっさと済ませ、記念写真を撮ってもらい、重いザックを背負って駆け足で寮を出た。
結局、ひとりきりでの慌ただしい出発となってしまったが、それがなんだか自分らしいなと妙に納得し、とても清々しい気分になった。
閑静な住宅街である茗荷谷の住人たちは、体の前後に大きなザックを背負う私に、なんだコイツはと、好奇の目を向ける。電車に乗ると、さらに注目される。スーツ姿のサラリーマンは、心なしか、羨ましそうな目でこちらを見ている気がする。それが、私には何とも言えない快感だった。ユーコン川下りの出発の時も、こんな感じだったな。
俺はデカいことをやってやるぞ。二年前の感情を、ふと思い出す。
しかし、今回の旅は、一筋縄ではいかない、壮絶な旅になるだろう。そして、何にも縛られることのない、こんなにも自由な旅は、多分、一生できないだろう。この気持ちを、しっかり胸にしまっておこうと思った。
こうして私は、最初の目的地である、韓国へと向かった。