またひとつ、自分の知らない土地に足を踏み入れる。その事実を頭の中で反芻したとき、いつも私は、例えどんなに気分が滅入っていても、体の奥底からふつふつとエネルギーが湧いてくるように、胸の高鳴りを抑えることができなくなる。それは今回も同じであった。
私は機内の窓から見える、果てしなく続く雲海を眺めながら、いささか感傷的になっていた。これからの旅にパートナーはいない。旅で出会って一時的に行動を共にするような仲間はできるかもしれないが、そういうことではない。全て自分で選択し、決定する。その道程では予想だにしないことも多々起こるだろう。幸運なこともあるかもしれないし、不運なこともあるかもしれない。もしかしたら途中で旅をやめてしまいたくなるかもしれない。
けれども、私はその全てを受け入れようと思った。良いことも悪いこともひっくるめて、旅なのだ。いや、それは人生も同じではないか。そんなことを考えていると、飛行機が大陸に向かって急降下していることに気がついた。さあ、これから長い旅がはじまる。誰に縛られることもない、自分だけの旅が。
空港から足を踏み出した途端、体中が熱気に包まれたような感じがした。空気は湿気を含んでジメジメしており、歩くだけで顔が汗ばんでくる。案内板を見るところによると、香港の中心地へは地下鉄メトロとバスのどちらかでいけるようだ。しかしメトロで行く場合は二回も乗り換えをする羽目になる上に、バスよりも値段が高いということなので、私はバスに乗ることにした。
バスターミナルにはいくつもの出発所があったが、香港の中心地である九龍地区に向かうバス停にだけは長蛇の列ができていたため、一目でわかった。九龍地区行きのバスは他のバスよりも頻繁に出ているようだが、一台のバスには列に並んでいる人の五分の一程度しか乗り込むことはできず、多くの客は雑談をしたり、携帯を眺めながら自分の順番を待っている。驚いたのは、その客たちの多様さである。まず中国人はさることながら、それと同じくらいにインド人と思わしき人々がいる。それに続いて欧米人や、ごく少数のバックパッカー。服装も普段着からビジネスマン風のスーツ姿、民族衣装に身を包んだ一家もいる。香港は実に国際色豊かな国だなと感じた。
列がしばらく進んだとき、私はバスの運賃の支払い方がわからなかったので、前に立っていたインド人の男に、運賃はいつ払えばいいのかと訊ねることにした。すると、向こうの切符売り場で買うんだと教えてもらった。私の後ろにはすでに多くの人が並んでおり、切符を買うために列を外れると再び並び直さなければならない。よほどそのインド人の男に、切符を買ってくるから荷物を見ていてくれと頼みたかったが、何かトラブルが起こってからでは遅いと思い直し、仕方なく重いザックを背負って切符売り場に向かうことにした。
切符売り場で切符を買うとき、私は九龍の読み方がわからないことに気づき、はじめてここが異国の地であることを意識した。咄嗟にポケットに入れていたペンとメモ帳を出し、漢字で書いてみせると向こうも理解してくれ、思わず日本に生まれたことに感謝した。バスはじきに出発し、私は目まぐるしく変化する香港の景色を眺め続けていた。空港の周辺は未だ開発途中であるらしく、土の上に立つ建設中のビルとショベルカーがやたら目に付いた。少し進むと、昔からそこに在ったのだろう薄汚れた高層マンションが、山を背後に携えて建ち並んでいる。次第にビルが現れはじめ、橋を渡ると街は途端に姿を変えた。そこには有名ブランド店や大型デパート、多種多様な飲食店が所狭しと並んでいる。それらの建物からは中国語で書かれたカラフルな大型看板が横にドカドカと飛び出しており、次々とバスの頭上を通過していく。まさに、何でもござれといった具合だ。まさしくここが香港の中心地、九龍だった。
街のど真ん中に尖沙咀というバス停があり、私はそこで降りた。宿の目星はついていなかったが、香港には重慶大厦という安宿が密集している有名なマンションがあるというので、とりあえずそこに行けばいいだろうと考えていた。ザックを下ろして煙草を吸いながら辺りを見回す。香港は土地こそ狭いが多くの人が行き交い、活気と喧噪に満ちた街であった。さあ行こうと思い辺りをフラフラしていると、インド人の男が宿を探しているのか、ここに泊まれと声をかけてきた。男の差し出したカードを見てみると、その宿は重慶大厦の中にあることがわかったのでとりあえず連れて行ってもらうことにしたのだが、なんとほんの数メートル歩いたところに重慶大厦はあった。自分の土地勘のなさを案じながら入り口をくぐった瞬間、まるで別世界かのような光景が広がっており、思わず息を呑んだ。
インド料理の匂いが立ちこめている屋内には多くの両替屋が並び、その合間を縫うように雑多に電気屋や飲食店が乱立している。中にいる人は、宿泊者や観光客を除くとほぼ全員がインド人だった。私は香港の街並みに見慣れる前にインド人の溜まり場のような場所にきてしまい、目まぐるしい環境の変化について行くのに精一杯だったが、なんだか不思議と気持ちが落ち着くのを感じた。
一人目の客引きは一泊を150香港ドルと言い、それから頑なに値段を下げようとしないので交渉は決裂した。次に声をかけてきたインド人の男にも同じように150香港ドルだと言われたが、交渉の末に、他の客にはこの事を絶対に言わないでくれという条件付きで、90香港ドルに値切ることができた。宿の名前はマハラジャ・ランジートといった、やはりインド色を全面に押し出した宿であった。香港は宿が高いことで有名であり、シングルでエアコンが付いていてこの値段なら、まあ良いほうだろうと思った。
しかし部屋に入って扉を閉めようとすると、扉の立て付けが悪いせいでどうしてもつっかえてしまう。従業員を呼ぶと、修理するから少し待っていてくれと違う部屋で待たされることになった。そこで大人しく待っていると、部屋を見にきた他の客に私を指さし、ほら、あいつは150ドルで泊まるぞとカマをかけていたので、俺は果たしてこの宿に泊まって大丈夫だろうかと少し不安になったが、従業員は水を持ってきてくれたり、通り過ぎるたびに挨拶をしてくれたりしたので、どうやら根っからの悪い奴らではなさそうだった。
部屋に入って一休みしていると空腹に耐えられなくなったので、どこかに食べに行くことにした。受付の男に、何でもいいから安く食べられるところはないかと訊ねると、重慶大厦の中に25香港ドルでたべられる店があるという。重慶大厦は一つのマンションだが、その中で更に4つほどの棟に分けられており、それぞれにエレベーターが備えられている。私の宿とは別の棟の11階にその店があるというので向かうと、そこはプラスチックのテーブルが2、3個置かれているだけで、本当に店なのか疑いたくなるほどに簡素なものだった。
重慶大厦で働いているのであろうインド人の男が数人で雑談をしており、私の姿を見ると、飯を食いにきたのかと聞かれた。そうだと言うと、まあ座れといって空いている席に移され、何を食うんだと聞かれたので何でもいいと答えた。料理が出てくる間は、一般の観光客がここに食べにくるのが相当珍しいのか、どこからきたのか、香港にくるのははじめてか、と質問責めにあうことになった。
矢継ぎ早に投げかけられる質問に片っ端から答えていると、料理はすぐに出てきた。どうやらあらかじめ金属トレイに作り置きされていたおかずを盛りつけただけらしい。予想はしていたが、やはりチャパティ、カレー、ビリヤニという、これでもかというくらいに王道のインド料理だった。インド人たちは、日本から一人で来た物珍しい私の一挙手一投足を横目でチラチラと伺っている。テーブルにはスプーンやフォークなどが備え付けられていなかったので、彼らは普段手で食べているのだろう。それならばと思い、私が手で食べ始めると、周りからおおっという歓声が湧き起こった。
私はどうだと思いながら調子に乗って食べ続けていたが、ビリヤニはぱらぱらした米であるために、なかなか上手く食べることができない。私が苦戦しているのを見かねた一人が、ビリヤニはこうやって指で押し潰してまとめて食べるんだと実演してくれた。私はひどく腹が減っていたためにどんなものを食べても美味しかったが、その温かさについ嬉しくなり、旅ではじめての食事を満ち足りた気分で食べることができた。私が食べ終えると一人の男が握手を求めてきた。右手を差し出してきたので、食べ終えたばかりの手で握手すると、それはさすがに嫌だったのだろう、すぐに手を洗っていて少し悲しくなった。
インド人たちにまた来ると約束し宿に戻ると、疲れていたのか、気付いたら眠りに落ちていた。日が暮れてから目が覚め、明日からどうしようかなどと考えていると、香港の地図を持っていないことに気が付いた。深夜特急の沢木耕太郎は、格式高いことで有名なペニンシュラ・ホテルで香港の地図をタダで手に入れたという。ただし深夜特急は約40年も前の話なので、現在も同じことができるかはわからなかったが、私は運試しも兼ねてペニンシュラ・ホテルに行ってみることにした。
重慶大厦を出て左に進み、ビクトリア・ハーバーのある突き当たりを右に曲がるとすぐそこに、ペニンシュラ・ホテルはあった。まず目に入るのが大きな噴水であり、それを取り囲むような形でホテルが建っている。1928年に建てられたその巨体は、香港の歴史を見守ってきたという気高い誇りを持っているかのようだった。入り口付近には何台ものロールス・ロイスが停めてあり、果たして貧乏バックパッカーの私なんかがここに来てよいのだろうかと怖じ気付きそうになった。しかし、つまみ出されたらしょうがないと腹を括り、勇み足で入り口に向かった。
入り口には小綺麗なドアマンが立っていたが、すまし顔で通ると何も言われなかった。ドアをくぐると、中にはいかにも高級そうなカフェが併設されており、クラシック音楽が鳴り響いていた。あまりフラフラしていては怪しまれると思い、エレベーターの傍の案内カウンターを見つけると、そこに直行した。案内カウンターの受付嬢に地図はないかと訊ねると、あると言った。厚紙に金文字で刻字されてある、高級感を漂わせた折りたたみ地図をくれた。
私は礼を言ったあと向かいにあったソファに腰を下ろし、地図を広げた。隣にはドレスに身を包んだ華やかな黒髪の女性が座っていたためあまり集中できなかったが、いつかこのホテルに泊まってみたいなと感じさせるような心地よさがあった。ふと、40年前の沢木耕太郎もこんな気持ちだったのだろうかと思った。もしかしたら私が座っているのと同じ場所に座っていたかもしれない。その瞬間、一気に時間が巻き戻されるような、不思議な感覚を味わった。なんとなく、この旅は良いものになるだろうなという予感がした。