香港にきてから5日が経った。香港は世界有数の大都市であり、物価も高いのでどちらかというとバックパッカー向けの街ではない。ましてや予算80万円で出てきた極貧バックパッカーならなおさらだ。ひとりの極貧バックパッカーは、大したこともしていないのにただ金だけが減っていくという意味のわからない状況にモヤモヤしていた。
このモヤモヤを打破するためにはどうしようか、750円もする担々麺をすすりながら考えた。そして150円もするジャスミンティーで喉を潤しながら、ひらめいた。そうだ、マカオへいこう!
僕がいる本島からフェリーに乗れば、マカオに行くことができる。マカオはポルトガルの植民地時代の西洋風な街並みが美しいことで知られていると同時に、「東洋のラスベガス」と呼ばれるほどのカジノスポットでもある。もしカジノで勝てば、香港で無駄に搾り取られた金を取り返すことができる。いや、むしろおつりがくるのではないか。よもやフィーバーなんてすれば、これからは豪遊しながら贅沢な旅ができるぞ。ぐふふふふ。なーんてことをひと通り妄想したあと、僕はさっそくマカオへ向かうために店を飛び出した。
ふらふらと海沿いを歩きながらマカオ行きのフェリー乗り場を探していると、街中でも一際目立っている金ピカの建物がそうだとわかった。150香港ドルを支払いチケットを購入する。出発は17時だ。
フェリーは定刻通りに出発した。乗客は明らかにカジノに直行する金持ちそうなおじさん、普段からマカオに住んでいるだろうおばさんや子連れのママとかがいた。と、その中に日本人ぽいおじさんを見つけた。身なりから推測するところ、若い頃はやんちゃしながらも世界を飛び回る敏腕商社マンとして活躍し、部長から管理職を経て天下りした現在は株や土地を転がしながら余生をどう過ごそうかという贅沢な悩みを抱えているブルジョアのような感じではなく、ごく普通なおじさんだった。イオンで買ったポロシャツとチノパンを履いている感じ。そんなおじさんがマカオでギャンブルをするのかと興味が湧いたので話しかけることにした。
そのおじさんは平野さんといった。聞くところによると平野さんは大富豪というわけではなく、会社を定年退職したのちに趣味として毎年マカオにカジノをしにくるそうだ。大金は賭けないが、ささやかながら楽しんでいるらしい。そうこう話しているうちにフェリーはマカオに到着し、平野さんがオススメだというリスボアというカジノに連れて行ってもらうことになった。
マカオは正式名称を中華人民共和国マカオ特別行政区という。特別行政区とは、本国とは異なった独自の法律が適用されるなど、大幅な自治権を持つ地域のことである。香港と同じくマカオは中国であって中国でないようなもので、マカオの地に足を踏み入れるためには再度パスポートを提示しなければならない。僕は入国? 審査を済ませてゲートを通り抜けた。
マカオのフェリー乗り場から直通の地下道を抜けるとバス停に出る。バス停にはカジノが併設されている豪華なホテルの送迎バスがたくさん停まっており、カジノをする客は無料で乗れるという仕組みになっている。僕と平野さんも流れに逆らわずぞろぞろとバスに乗り込んだ。
バスに揺られていると、石畳の道に立ち並ぶ宝石店や高級ブランド店をびゅんびゅんと通り過ぎる。なるほど、ここでカジノで勝利したドリーマーを興奮冷めやらぬうちに取り込もうというわけだな。まったく、欲望に満ち満ちたとんでもねえ所だぜ。と、自然とカッコをつけてしまっている自分に気付いた。ふう、はやくもマカオの雰囲気に飲み込まれるところだったぜ。
到着したリスボアは予想通り、とんでもなく豪華なところだった。大きなガラス扉をくぐるとまばゆく輝く巨大なシャンデリアが待ち構えており、いくつもの高級ブランド店が併設されていた。そこを悠々と歩く僕の格好は、アウトドア用のパーカーと長ズボン。ラフすぎるにも程があるというものだ。しかも未成年だと思われ、入り口でパスポートの提示を求められてしまった。晴れて僕は大衆の面前で辱めを受け、幸先の悪いスタートとなった。
ところがどっこい僕は器の大きな男なので、そんな小さいことは気にしない。デキる大人の男には余裕があるのだ。プレイするゲームはすでに心の中で決まっていた。それは僕の旅のバイブルでもある「深夜特急」で沢木さんが散々に苦しめられた『大小』というゲームだ。思わず手に汗握ってしまう巧みな記述に魅了された僕は、マカオに行く機会があれば必ずプレイするとかねてから誓っていた。
僕はこれから果たして「深夜特急」を超えるほどのハラハラドキドキ大活劇を繰り広げることになるのだろうか。そんなことを考えながら、ゆっくりと巨大な欲望が渦巻くサーカスへと足を踏み入れた。