旅に出て8か月、いま思うこと。


 時の流れというのははやいもので、ぼくが意気揚々と旅に出発したのは、もう8か月以上も前のことである。

 おそらく2015年で文章を書くのはこれが最後だろうから、ここで、旅に出た当時と現在との”変化”について書くことにする。

 「その前に香港で止まっている紀行文をさっさと更新しろ」などという文句は、今回ばかりはそっと胸にしまっておいてほしい。
ぼく自身この問題で胸を痛めすぎた結果、インドネシアでデング熱をもらって、現在入院治療中なのである。まあこれは全くの別問題であるが。

 まず、この旅は当初、世界放浪と謳っていた。期間は約1年。ルートは大雑把にアジア、中東、アフリカ、ヨーロッパ、北米、南米と考えていた。

 それがいまはどうだろう。8か月が過ぎてもまだアジアにいるではないか。
 これでは詐欺にもほどがある。
 いや、我ながらあんまりだと思う。
 まさかこんなことになろうとは、最盛期の細木数子でも予想できなかっただろう。

 というのもひとえに、アジアが”充実”していたからである。
 充実という言葉にはいろんなニュアンスが含まれているのだけれど、ひらたく言えば「2、3か月で飛ばしちまうのは勿体ねえ」と感じたのだ。

 旅立つ前まで、アジアは韓国しか行ったことなかった。
 中国はなんとなく怖いイメージがあったし、東南アジアなんて国名も位置もごちゃ混ぜで、みんなそこら辺を裸足で歩いているようなイメージだった。

 とにかく意味不明なイメージしかなかったのだ。
 しかしながら、実際にその土地に足を踏み入れるたび、ぼくはイメージとのギャップに驚くというよりは、それまで名前という土台しかなかった国という高層ビルが、がしゃんがしゃんと音を立てて高速で建ち上がっていくようだった。

 日本という島国で育ったぼくにとって、異郷の地がユーラシアという巨大な大陸で繋がっているというのが不思議で仕方なかった。
 ぼくはその不思議の埋め合わせ作業をするように、その感覚をじっくり体に染み込ませるように、気付くと陸路での移動が当たり前になっていた。

 などとかっこつけてみたが、単純に飛行機が面倒くさいし高いというのもある。

 そんな感じでのらりくらりと旅を続け4か月が経つ頃、これからの旅を一度逆算して考えてみた。
 この旅で絶対に成し遂げたかった目標として、インドへ陸路で渡るというのがあった。
 そのためにはミャンマーからインドの金魚の糞みたいな三角地帯に入らなければならないし、その後ネパールに渡ってエベレストトレッキングをするというのも外せないものだった。

 となると、どうやらどこかに行くのを削らなければならないぞ。
 それならば、ヨーロッパはいくつか行ったことがあるので今回はやめにしよう、ということでその場は一応の解決に至った。

 しかしミャンマーに着いてから、陸路でインドへ入るには許可書を取得せねばならず、許可書の発行には1か月かかることを知った。
 ううむ、どうしたものか。
 といっても背に腹はかえられないので、大人しくミャンマーをじっくり観光することにした。

 そして念願のインド入国を果たしたはいいものの、やはりインドはでかい。
 でかすぎるぞ、インド。
 ということで気付けばインドで2か月を使っていた。
 それでもまだインドの上半分しか行けておらず、去るときはとても名残惜しかった。

 この時点で中東、アフリカへ行くのは諦めた。

 それに加えてネパールという国がそれまた居心地のいい場所だった。
 エベレストトレッキングは2週間を要し、カトマンズとポカラはそれぞれ一週間ずつ滞在していたので、計1か月。

 ある夜ぼくはカトマンズのシーシャバーで、無名のバンドの生演奏を聴きながら、エベレストビールを飲んでいた。
 そこでは旅中に出会った気の合う仲間たちと、珍しく、将来どうするかみたいな話をしていた。

 ぼくは考えた。
 考えに考えた結果、ぼくはとてつもなく学びたくなった。
 日本で大学ともう一つ、専門学校に通おうと決心したのだ。
 そこですぐさまインターネットを立ち上げ、受験日を調べてみると、願書の受け付けが1月中旬からだと知った。

 知る人ぞ知るが、ぼくは男の中の男である。
 ぼくの勇姿をみて心震わせた男たちは数知れないが、いくぶんシャイなのか、あまりその感動を伝えてくれることはない。
 とにかく決断のときがくれば、判断を下すのは一瞬だ。
 ぼくは受験のために、1月中旬に日本に帰国することに決めた。

 そうすると、旅ができる残りの期間は1か月半程度しかなくなってしまった。
 すこぶる中途半端な長さだ。
 そこでワイルドさに定評のあるぼくが下した決断は、最後までアジアを旅するというものだった。

 実をいえば南米を旅するのが一番の楽しみだったのだが、アジアを旅するだけでもこれだけ時間のかかるやつが南米を旅するとなれば、たったの1か月半で満足するどころか、あまりの短さに場内はたちまち大ブーイングが鳴り響くだろうと判断したのだ。
 べつに旅はいつでも行けるし、というかそういうスタンスで生きているであろう自分への期待も込めて、南米やアフリカは、個別で時間をとって行こうという結論に至った。

 ということで、残りの期間は陸路で行きそびれたインドネシアとフィリピン、ボルネオ島のマレーシアらへんを巡ることにした。

 そして現在、ぼくはボルネオ島のマレーシアのコタキナバルというところへ、キナバル山という有名な山を登りにきたのだが、どういう訳か入院している。

 まったく、旅の終盤にさしかかってからというもの、理不尽なことが一気に畳み掛けてくる。
 いや、よくよく考えてみたら、この旅は理不尽なことだらけだった。
 というか理不尽なことしかなかったのではないか。
 なんだかだんだん腹が立ってきたぞ。

 そんなことは置いといて、ぼくの旅はトラブルやハプニングだらけであり、ぼくはそれに逆らわず、身を委ねてきた。
 その結果がいまの状態なわけだが、ぼくは全く後悔していない。
 むしろこんな自分が微笑ましく、愛おしくなってしまうくらいだ。

 みなさんにもぜひ、自分を好きになる生き方をしてほしいと思う。
 それでは、よいお年を。


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