「上野(かみつけ)の草津の湯より 沢渡の湯に越ゆる路 名も寂し暮坂峠」。酒仙歌人とも称される若山牧水の詩「枯野の旅」の中の一節である。大正11年、牧水は3週間以上、上州の地を旅し、歌を詠み、友と時を過ごし、酒を飲み、湯に浸かり「みなかみ紀行」を書いている。牧水、この時37歳。(20世紀初頭の37歳って、今から考えられないぐらい大人だったんだろうなと思う)沢渡温泉に彼が投宿したのは、10月20日のことだった。
平成28年の12月。冬枯れの景色のなか、風に舞う落ち葉を踏みながら、コロさんとわたしは、100年近く前に牧水が歩いたであろう沢渡温泉のひっそりとした道を歩いていた(舗装はされているけれど)。
民家の軒先に、大根たちがきれいに吊るされて日光浴をしていたり。無人の野菜販売所では、お芋やかぶが礼儀正しく並んでいたり。裏道で出会った柴犬も、凛とした目でこちらを見るばかりで無言、無音である。
湯治場として、800年の歴史があるという沢渡温泉は、群馬県の中之条町にある。現在は、11軒のお宿がある沢渡温泉。わたしたちも、数度目の訪問になる。その居心地の良さですっかりファンになってしまった、宮田屋旅館に今回もお世話になります。
そして、南向きの明るい和室からは、遠く山々を見渡すことができる。時折、小さな野鳥たちが、窓の向こうを横切るのが見える。
ツピーツピー、フィチー、という澄んだ声に、時折、ジジッジーなどの低い声も交じる。よく見ると、カラたちの群れだ。シジュウカラ、コガラ、ヤマガラ等のカラ類は、秋から冬にかけて、違う種類で群れをつくる。
「よく見ると、みんな微妙に違うね」「あの小さい子は、コガラじゃないかなあ」「それにしても動きが細かい……」。
目を凝らして、飛び回る小鳥たちを見ていると、静寂のなか、つい時間を忘れてしまいそうだ。明るいうちにお風呂にいかないと! あわてて、支度をする。 沢渡温泉のお湯は、「一浴玉の肌」といわれるらしい。昔から「草津温泉の上がり湯、なおし湯」とも呼ばれており、強酸性の草津温泉で荒れた肌をここで治す効果もあるという。身体を沈めると、そのお湯のなめらかさに引き込まれそうになる。おとなしいのに魔性のお湯なのである。
男女別の大浴場は、広くて明るい内湯、そして山に臨む露天風呂から成る。内湯は、熱めのお湯と少しぬるめのお湯の2槽になっており、好みのほうのお湯でゆっくり温まり、その後に露天風呂へ移ると、冷たい空気が気持ちよい。じっとしていると、すぐそばに名前も分からない小さな野鳥が飛んできた。首をかしげて、こちらを見ている。野鳥図鑑を持ってくればよかったな、とちょっぴり後悔……。
大浴場以外にも、お外の小屋にある貸し切り露天風呂、無料で何度でも入ることができる貸し切りの内湯があり、それぞれ違う味わい深さを堪能できる。
お風呂上がりに部屋に戻っても、テレビをつける気分にもならず、窓の外の景色に見入っていた。風もなく、じっとしている木々。
「あれ? なんだろう。大きめの鳥があっちの林から飛んできたよ」不意にコロさんが、声をあげた。ジェージェーというしゃがれたような低い声、翼の一部に鮮やかな青が見えた。「あ、カケスだ!」お久しぶりのカケスさん。
古くは樫鳥とも呼ばれていた。牧水の「みなかみ紀行」でも樫鳥ことカケスが登場するのだっけ……。
鳥たちもねぐらに帰る夕暮れ。人間たちは、これから活発化するのだった。ご飯とお酒の至福の時間である。わたしたちは、食事処にいそいそと向い、幸せな湯気と向かい合っていた。
宮田屋旅館のごはんは、すべて手作りで優しい味がする。そして、連泊の湯治客のために、量や品数を調整してくださったり、細やかな心配りがうれしい。わらび煮や、れんこんのきんぴら、湯葉やこんにゃくのお刺身。けんちん鍋、名物のリンゴのクリーム焼き。里芋の田楽、タケノコやいんげんの煮物。ぜんまいの卵とじ、花オクラ。今までここで食べたおいしい夕げを列挙するとキリがない。そして、個室~半個室での食事なので、周りに気兼ねなく食事をすることができるのもありがたい。一人で滞在される方も、家族も、わいわいと盛り上がる年配の方の同窓会も、遠慮は無用。時折沸き立つ笑い声を扉の向こうに聞きながら、コロさんもわたしも思わずにこにこしてしまうのだった(そしてお酒も進む……)。
深夜に、忍び足で大浴場に向かった、みんな寝静まり、誰もいない独泉状態。お湯に浸かった後は、夢も見ないほど深い眠りに落ちていった。
朝は、半分寝ぼけながら鈴の音を思わせる野鳥の声を聞いた。コロさんはすでに起きて、ゆっくりお茶を飲んでいる。「夜あんなに食べたのに、おなかがすいたね」と朝ごはんがすでに待ち遠しい。
お宿自慢の薬膳粥を筆頭に、ボリュームたっぷりの健康的な朝ごはんを目の前にし、今日の計画をたてる。どこかに観光に行くのではなく、沢渡の中のんびり散策をしようという話ですんなりと決まった。 標高700mに位置する沢渡温泉だけれど、今日はそんなに寒さを感じない。
地図を頼りに、ゆっくり歩く。カモシカの形のバス停の前では、二人のおじいちゃんが談笑中。1日8本、中之条駅と沢渡温泉の間を行き来するバスがある。大切なみんなの足。
沢渡温泉病院のほうに足を進めると、途中ずっと気になっていた大和屋さんというお店がある。「塩まくら」の看板がずっと気になっていた。「ちょっと入ってみようか」とコロさん。
店内は、昭和を彷彿させる懐かしいグッズやレコードが飾られ、衣料やお土産も所狭しと賑やかに並ぶ。購入した塩まくらは、健康にいいとお墨付き。お店のご主人は、温泉病院の元事務長さんだそう。なるほど、親切な品揃えは、そういうことだったのか。 さらにブラブラと歩くと、沢渡温泉共同浴場がある。すでに賑やかな入浴客の声が聞こえてくるのだが、この浴場の前にいる大きなネコさんに目が釘付けになるわたしたち。
「おおきい!」「ほんとだ、さらに限りなく球体に近い……」「おまけに強そうだね」「ボスさんかな」。
白地に薄茶のブチの彼は、よそ者のわたしたちには目もくれずに、他の方向を見ていた。別のネコさんが近くを横切ったのだ。お辞儀をして立ち去った。 昼には、「よしのや」というお蕎麦屋さんで、石臼で挽いたおいしいお蕎麦をいただく。
お腹いっぱいになり、すぐ裏の見晴らし公園へ。誰もいないね、と落ち葉を踏みながら歩く。ふと、何かの気配を感じ、振り向くと小柄なキジトラの若いネコさん発見。舞う落ち葉にじゃれついている。
時間に追われないということは、なんて贅沢で安らかなんだろう。このネコも、わたしたちも。また東京に戻れば、時間を気にして時計を見ながら過ごすのだとしても。今、ここには、分刻みの時計は存在しないのだ。ゆったりと空を見上げて、歩いて、深呼吸をして、ただ流れる時間を心身で味わうこと。今、そのことに集中できる幸せ。
公園の落葉した木々の中に、コロさんが何かを見つけた。「あれ? ムクさん、何かいるよ」コロさんの指さす方向を見ると、なんとキツツキ(啄木鳥)が。しきりに木の幹を突いている。虫を探しているのかな。
やがて、キツツキは飛び去り、キジネコも飼い主さんに呼ばれて去っていった。でも、コロさんもわたしもなかなか立ち去ることができなかった。冬が、追われない時間のなかでゆっくりと満ちていくのだった。それをいつまでも感じていたかった。
「立枯の木々しらじらと立つところたまたまにして啄木鳥の飛ぶ」(若山牧水)