パレードの終わり


 その日は、昼にユークとマルセイユまで食事をしに出かけ、バスに乗って戻ってくると夕方のエクスアンプロヴァンスの街ではちょうどカーニバルのパレードが始まったところだった。
 
 そういえば、前日頃から噴水広場のあたりに櫓のようなものが組まれたり、パレードの時間や広場への車の進入禁止を知らせる貼り紙のようなものを見ていた気がした。何が書かれているかフランス語で正しくなどどうせ理解できないのであまりきちんと見ていなかった。
 
 今、ミラボー通りには人が溢れ、子どもたちはこぞってハロウィンのような仮装をしている。柔らかそうな髪をきゅっとポニーテイルに結んだユニコーンの女の子や、スパイダーマンらしき少年たちもいた。
 大人のピエロたちが固まった笑顔でそこらじゅうを練り歩き、カラフルな紙吹雪の詰まったビニール袋のパックを次々と人々に売っている。人混みの中で、陽気な音楽と大きな操り人形(カメレオンや鳥、ピノキオみたいに目の据わった巨大な人形たち)がいくつもいくつもゆっくりと目の前を通り過ぎて行った。
  
 人形たちを操縦している人々は笑顔を浮かべつつも真剣そのものの表情をしていた。人形たちは彼らの微細な操作の度に瞬きをしたり、片手を上げたり首を左右にゆっくりと振ったりした。彼らはまるで本当に呼吸をしているかのようだった。
 隣で父親に勢いよく肩車をされて歓声を上げた少女が、高いところから袋の中の紙吹雪を盛大にばらまいた。彼女の笑顔がスローモーションのようにくっきりと見えた。
 
 今年の春はいつもよりも風が冷たく、黙って屋外で立ち続けていると体が勝手に震え出すほど寒かった。それでも私はなかなか歩きはじめることができずに、音楽に合わせて踊ったり歌ったりしながら少しずつ遠のいていく人々と大きな操り人形たちの鮮やかな行進をユークの隣に立って手をつないで見つめていた。
 
 パレードの終わりというのは、どんな国のどんな規模のものも見ていると次第に頭が少しぼんやりとしてきて寂しくなる。見届けるのは好きだけれど、参加したいとは思わない。あれは一度中に入ってしまったらもう戻って来られなくなりそうなくらい美しくて儚げな列だ。
 
「一度ホテルの部屋に戻る? それとももう少し散歩する?」とユークが言った。
「どこかでワインを飲みたい」
と私は答えた。体にまとわりついたままのパレードの空気を、その余韻をどこかで全部飲み込んでしまいたくなった。
 
 
 お腹の中にパレードを抱えるというのはなかなか悪くない。
「じゃあ、どこかカフェに寄ろうか」とユークが言い、少し考えてから人々が向かったのとは別の方へと歩き出した。
 


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