004 リナ・ボ・バルディと悠久のイス


 腰まである長い髪を太い三つ編みにして、肌をこんがり焼いた女性が、見晴らしの良い高台のテーブルベンチに座って、くつろいでいる。
 テーブルの上には、デザイナーがかつて手掛けた作品と、当時の展示会の様子を写した写真が引き伸ばされて散乱している。ご自由にどうぞ、見てください。と、いうわけだ。
 風に舞い上がった砂を払いながら一枚、一枚、手にとっていたわたしに、いかにもイマドキの若者らしい青年が自分の手もとの写真を差しだしてくれる。
 イタリア、ローマ出身のリナ・ボ・バルディ(Lina Bo Bardi)がこれほど優雅な美しい女性だったとは知らなかった。

 頭ほどもある大きな巻貝の向こうで仕立ての良い黒のセーターを着たリナが成功者の余裕をかもし出すみたいに、ちょっと男っぽい、ちょっと背中を丸めた姿勢で、おそらくテーブルに肘をついて、たばこを吸っている。
 いや、もしかしたら、ただ灰を落としているだけかもしれない。いずれにせよ、ひどくキザっぽい格好であるのはたしかで、そのうえ、たばこを持っていない方の手には、細い棒状のものを持ち、口もとへ当てている。まるで女の子が食べきったアイスクリームに満足しきれずに、甘味の染みた棒をなめているみたいに。

 建築家であり家具デザイナー、ジャーナリストでもあるリナは32歳のときに美術評論家のピエトロ・マリア・バルディと結婚し、ブラジルへ渡った。
 1992年に没するまで、ブラジルで活動した。日本へは二度、1973年と78年に来日したことがある。1回目は京都へ、2回目は東京を中心に鎌倉と日光をまわった。建築家らしい旅の日程であること、今のわたしと同じ年齢であることがそう思わせたのかもしれない、わたしはすっかり彼女に親しみを覚えてしまう。

 リナの建築の魅力はなんといっても、生まれ育ったイタリアの近代建築と、もう一つの故郷ともいえるブラジルで出合った素材を組み合わせた、というより溶けあわせたといったほうがより近い表現かもしれない、力強くてやさしい、そしていつまで経っても新しくて古い、モダンな作品であること。

 

 

 赤土、藁、植物や木材への造詣が深かったリナは、合板ではなくブラジル産の無垢材を採用した家具を製作したことがある。それが、代表作ともいえるGirafa Chair。直訳するなら、キリンのイス。ニューヨークの近代美術館(MoMA)の永久収蔵品に含まれている、なんて説明を読むと急に堅苦しく思われてくるけれど、明るい日差しを浴びて、一本の楡の木みたいに佇んでいるのを見ると、リナの作品が自然に根付いて生みだされたということに頷ける。まるで地面から生えてきたのが、たまたま、このイスだったといわんばかりに、イスは自然にそこにある。

 

 

 展覧会は鎌倉の円覚寺でひらかれた。ここはリナがかつて訪れた地だ。
 二度の来日。リナが日本に強く惹かれていたことはまちがいない。それでなければ、何処へでも自由に旅することのできる身分の人間は、同じ国へ2度は赴かないはずだから。
 わたしの考えでは、一度目は好奇心、二度目はなにかを確かめるために。事実、日本の伝統的な木造建築と建具に興味があったと読んだことがある。この旅行が創作活動に影響を与えたことは確かで、二度目に来日した際には、当時設計中だった公共施設〈SESCポンペイア文化センター〉の窓のデザインを直線から雲形へ、つまり曲線を用いた形状へと変更している。円覚寺で見た園路を敷地内の歩道に取り入れることもした。

〝わたしたちは誰しもみな日常生活のなかで小さな芸術を表現している〟 (リナ・ボ・バルディ)

 休日で、天気がよくて、そんな日は時間の感覚を失ってしまう。これは心地の良い喪失感だから慎んで受け入れたい。
 円覚寺の垣根の脇、階段の段差、建物の裏、境内のあちらこちらにリナのイスが点在している。土木作業用の粗末な仕事台や汚れた車両、周囲に散らばった花とちぐはぐに、リナのイスのある空間だけが切り離されたみたいに沈黙している。長い路を歩いてきた旅人が、ほっと一息ついているみたいに。

 

 

 

 

 邪魔をしないように、そうと前を通りすぎて後ろをふり向くと、旅人はまだそこにいた。ここからまた、長い時間を歩いていくのだろう。
 


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