牧場の奥さんであるタミーが、
「あんた、どこまで行く気なの?」
と心配した。
「ワイオミング州のシャイアンまで行けないものですかね」
「そこは州の南部でしょ。そこまで行かなくても、訪ねるべき場所を教えてあげるわよ」
その夏、僕はおよそ十五年勤めた広告会社を辞めて、カナダの牧場でカウボーイとして働いていた。「牧場」、「カウボーイ」という言葉の響きからは、なんだかのんびりとした生活を想像されるかもしれないが、とんでもない。
僕は毎日必死だったと、いま振り返る。わけのわからない機械や道具を使って、わけのわからない仕事を覚える毎日。牛と馬と羊と犬猫との生活。
その業務内容と、出会った男たちとの交流は、旅と思索社から来春刊行予定の著作に譲る。
この連載では、二つの国にまたがる三つの州を巡った2600キロのロードトリップについてご紹介したい。
僕がいた牧場はカナダの中央部サスカチュワン州の東部にあった。休暇を得て、そこから陸路で国境を越えてアメリカ合衆国のモンタナ州へ。さらに南下してワイオミング州を周る旅を計画した。初めは四日間くらいの想定だったが、僕が甘かったようだ。旅は結局六日間になった。
僕はタミーの助言を容れて、カナダ随一のカウタウンだというサスカチュワン州西部のメイプル・クリーク、そしてモンタナ州ビリングス、そしてワイオミング州コーディーを目的地に設定した。
「カウタウン」という言葉がある。語義として言うと、「アメリカやカナダの、牛を売買する市場がある町」ということだ。背景をもう少し説明すると、カウボーイというのはかつて、1860年代から80年代あたりの話だが、北米大陸を横断する鉄道が西部に延伸してくると、駅に設けられた売買拠点に向けて、何百マイルも牛の群れを追って旅をした。それは「ロング・ドライヴ」とか「キャトル(牛)・ドライヴ」と呼ばれ、現在のように牧場からトレイラーに積み込めば済むことではなかった。
それは過酷であり、時に危険であり、同時に自由であるものだった。埃まみれ、垢だらけになって駅までたどり着くと、早速家畜を売り払い、その代金からの取り分を握りしめては仲間たちと町へと繰り出したのだ。シャツを新調し、ブーツを買い求め、髪やヒゲを整え、腹を満たす。あとは、飲む打つ買うのお馴染みのパターンだ。西部劇の映画でドラマチックに描かれたような粗暴で愉快な人間模様がそこにはあったはずである。
メイプル・クリークは、19世紀の終わり頃に町としてのかたちが形成され、やがてカナダのカウタウンとして機能した。アメリカのグレイトノーザン鉄道が開通するまでは、モンタナ州の牛をシカゴへ輸送する起点となった。
僕は出発の日の朝、牧場で67頭のステア(去勢された雄牛)がトレイラーに積まれて売却されていくのを見送ると、カナダを横断するトランス・カナダ一号線をひたすら西へと真っ直ぐ走った。かつてのロング・ドライヴは割愛して、現代のロング・ドライヴに出たわけだ。牧場から借りたフォードのセダンに乗って、途中の町で買ったカントリーミュージックのCDをひたすら聴いた。
僕を旅に送り出すにあたり、牧場は「この自動車は、私たちがこのショータ・マエダに貸したものに間違いありません」という一筆をメモに書いてくれた。僕はそれを登録証と一緒にダッシュボードに入れていた。
同じサスカチュワン州なのに、牧場からメイプル・クリークまでは530キロ離れている。東京-大阪間と同程度だ。地図での現在地は遅々として目的地に近付いていかないのだが、ただただ一号線を西へ向かえばいいので、知らない道を走る不安は小さかった。
途中のスウィフト・カレントという町で休憩して、地元の歴史博物館に寄った。
1870年に、原住民族とカナダ政府との間の条約により、この一帯の管轄権がハドソンベイ・カンパニー(巨大交易会社)から政府へ移行したこと、1880年代にイギリスやアメリカから移住してきた牧畜業従事者(つまりカウボーイたち)により牛や羊の畜産が始められたこと、1906年から07年の寒波で家畜が凍死して大打撃を受けたこと、1916年から20年の干ばつで農家も困窮したこと、1952年にこの土地からオイルが出ることが発見されたことなどが紹介されていた。
この厳しいプレイリー(大平原)の自然から冷遇され、また恩恵を受けて、生き抜いてきた人々の苦労が偲ばれる思いがした。
夕方にメイプル・クリークの町に到着した。そこここにカウボーイをモチーフにしたデザインが見られ、そこがカウタウンであることを知らせていたが、車ですぐに一周できるような小さな町だった。人口は二千人強だという。
運の悪いことに、僕が訪れた時にはヴィジターセンターも閉まっていて、博物館も改装中で閉館していた。だから、町の雰囲気だけを楽しんで、ホテルにチェックインをすることにした。
そこは1885年に建てられたという、歴史あるホテルだった。フロントデスクに行って、係の男に予約があることを告げると、彼は僕を一瞥して言った。
「日本人か?」
僕は一瞬落胆した。
「日本人はよく来るんですか?」
そう思ったからだ。こんな、僕からしたら地の果てのようなカウタウンに?
彼は小さく肩をすくめると笑って言った。
「いや、君が二人目くらいじゃないか?」
僕のパスポートを確認して、部屋のキーを選びながら彼は訊いてきた。
「君の部屋は、階下にレストラン・バーがある。もしかしたら夜うるさいかもしれないけど、構わないか?」
僕は答えた。
「まったく問題ありません」
騒音はむしろ歓迎だった。だって、そうだろう? あの頃のカウボーイたちも、夜な夜なバーで騒いで、腰や背中に感じる旅の疲れと、心に湧く任務完遂の高揚を、喉を灼く琥珀色の液体に映して味わっていたはずなのだから。
(つづく)