「アメリカとの国境」と聞いて、何を連想するだろうか。
僕だったら、高いフェンスとその向こうにあるギラギラした町。酒瓶や娼婦やネオンライト。
それはいつか何かの映画で見た風景か、小説で得た想像の断片である。大抵は麻薬がらみのギャングもの、もしくはカウボーイの物語で、そこでの国境とは、メキシコとアメリカとの境界線を描いたものだ。
これから僕が横切ろうとしているカナダとアメリカの国境というのは、およそ何のイメージもないかもしれない。僕は朝にホテルをチェックアウトすると、「カナダ随一のカウタウン」、メイプル・クリークの町を出て、アメリカ国境へ向けてフォードの白いセダンを走らせた。
先述のようなメキシコとの国境のイメージから、なにかしらの町があって、両替とか休憩とか軽食とかできるのかと思い込んでいたが、アメリカ国境へはなんにもない荒野が十数キロに渡り広がっていた。ポート・オブ・クライマックスという名前の場所なのだが、何がクライマックスなのか、隆起も窪みも樹木すらもない、ウラ淋しい乾いた大地だった。そこに一本の道だけが伸びていて、その先に建物が見えてきた。
ゲイトの前で車を止めると、入国管理事務所のドライヴスルーのような窓から男性係官が顔を出した。パスポートを渡して話すと、「中へ来てくれ」と言う。カナダ人ならそのままハンコついて通すのかもしれないが、日本人がこんなところに来るというのはなかなかないのだろう。
胸に「ウィリー」という名札を付けた彼は、にこやかに応対してくれた。
「カウボーイ文化の取材のためにワイオミングまで? そりゃいいね」
僕はカウボーイハットをかぶっていた。なるべく親米派な感じで、速やかに入国させてくれるよう紳士的な態度で臨む。奥には女性係官がもう一人いて、僕が屋内まで入ってきていることに気付いていなかったようだ。
「ジャップひとり?」
と、こちらを見もせずにウィリーに訊いてきた。
僕は一瞬耳を疑ったのだが、確かに”Just one Jap?”と彼女は言ったのだ。
“Yes, JUST ONE Jap”と言い返したら笑いにできたろうかともあとになって思ったのだが、結局その場では聞こえなかったふりをした。別にいいし。白人が寄り集まれば黒人の悪口を言うものだし、僕らだって冬でもTシャツと短パンで歩いている白人を嘲笑して話したりはする。
牧場の奥さんであるタミーは、メイプル・クリークを僕に説明する際に、
「ここらあたりとは全然ちがうから!」
と言ったのだが、サスカチュワン州東部の牧場も、西部のメイプル・クリークも地形が描く自然の風景に関しては、大きな差はないように思えた。広い広いプレイリー(大平原)がのっぺりと横たわっていて、空ばかりが大きかった。
しかし、アメリカ国境を越えてモンタナ州に入るとそれは一変した。谷や山が地球のダイナミックな造形を表現していて、心拍数が上がるほどの興奮を覚えた。別の惑星に降り立ったような恐怖もあった。
目の前の道路が空へ向かってグググッと丘を昇っていく。彼方の平たい頂上に、スカッと彫刻刀でも入れたようなV字の切れ込みがあり、道路はそこへ吸い込まれていく。その丘を越えると、また同じように切れ込みのある丘が現れる。
かなりの傾斜でも最短距離で真っ直ぐに登らされる。クルーズコントロールで時速70マイル(約112キロ)に設定していたエンジンがしんどそうに唸り声を上げる。てっぺんに到達すると、眼前には大きな谷が広がり、下り坂のハイウェイは右にカーブして褐色の岩山の向こうに消える。
そしてまた、地平線の先まで走って、次の地平線にため息をつくような気持ちで立ち向かう。
腹も減るのだが、町がない。やっと見つけたガス・ステイションで給油して、ATMからUSドルを引き出した。午後になってたどり着いた町にはマクドナルドすらもなく、一軒あるレストランは閉まっていた。おそらく農家か牧場ばかりで、外食をするということがないのだろう。仕方ないのでスーパーマーケットでトルティヤチップスとドクターペッパーだけ買って、運転しながらボリボリかじった。結局、700キロも走って、陽が落ちる寸前にモンタナ州ビリングスという街に到着するまでファストフードの店は見なかった。
ビリングスはモンタナ州最大の都市で、14万人の人口は増え続けているという。
ダウンタウンのモーテルに部屋を取り、歩いてレストランを探した。やはり肉がいいだろう。ちょっと高そうだったが、ステーキレストランに入った。なにせ日中はトルティヤチップスしか食べていないのだから。
一人客のアジア人が、賑わっているレストランバーに足を踏み入れるのは勇気がいる。人種差別とかではなくて、楽しそうにお喋りに興じる周囲との対比で、孤独感が鮮明に感じられることがあるからだ。一人旅をする度に味わう。だからメシを食うのが面倒くさくなることもある。
こういう時はカウンターに座るに限る。僕は案内係にカウンターを指定して席をもらった。バーテンダー兼ウェイターはバリー君というザック・エフロン似のハンサムで、おそらく地元の大学生か何かではないだろうか。
彼は僕がステーキやバーボンを注文する度に、「パーフェクト!」とか、「グッド・チョイス!」などとコメントをくれるのが素敵だった。出てきた食べ物が数倍おいしそうに感じられる。カウンターの数席先に座る男性客と話をした。本当は直前までいた、スマホケースに“Bitch”と書いてある美女とお話ししてみたかったが、友人たちと適度に酩酊するとさっさと帰って行ってしまった。
ヒゲ面の男性客はモンタナ生まれだという。
「モンタナはよ、とにかく美しいんだ。さらに西へ行ってごらん。そりゃあもう……」
映画『リバー・ランズ・スルー・イット』はモンタナが舞台だ。陽光に輝く川や、大地を覆う森林など、大自然が人間のもどかしい愛情をやさしく包むような役割で描かれている。モンタナを出て東部の大学へ進み、シカゴ大から文学部教授の職を得た兄(クレイグ・シェイファー)が、モンタナに残り地元紙の記者をする弟(ブラッド・ピット)を都会へ誘う。新聞社だってシカゴの方が充実しているし、兄は弟が私生活にちょっとした問題を抱えているのを知っていて、それとなく差し向けたのだ。
“Oh, I’ll never leave Montana, brother.”
(あぁ、俺はモンタナを出ることはないよ、兄さん)
弟は、笑いつつも言下にそれを断る。さりげないが物語のテーマにも触れる重要な会話だ。
モンタナも屋内は禁煙なので、僕はレストランの外に出て煙草を点けた。隣にスーツを着たビジネスマンがやって来て「一本くれないか」と言う。それを吸う間、会話をした。彼はカリフォルニアから出張で来ているという。
「そうか、カウボーイ文化の取材で来たのか」
僕のこの特殊な用事は、アメリカ人にはウケがいい。
「では、わざわざジャパンから来た君に訊きたいのだが、アメリカの良いところと悪いところはどこだと思う?」
なかなか難しい質問に、僕はしばし黙考した。
「いや、正直に言ってくれよ」
「そうですね、良いところはなんでも大きくて広いところ。悪いところは、攻撃性です」
アメリカ人は嫌なことはハッキリ伝えるから、都会だとケンカをあちこちで見かける。
「攻撃性ね……。なるほど、日本人はこんなふうに図々しく見知らぬ人に煙草せびったりしないかね」
「しませんね。おかしな人だと思われるでしょう」
「ハハハ。でも、これがアメリカの良いところでもあるんだ。こうして気安く話かけて、しばらく会話して、またそれぞれの場所に別れるんだ」
僕はカウンターに戻ると、バーボンをもう一杯やって店を出た。
バリー君が僕の背中に言った。
「ショータ、カウボーイの本、うまくいくといいね」
ああ、僕もそう願うよ。日本で流行ることなどない、注目されることなどない、北米人の心の剛さと温かさを、カウボーイを通じて伝えたいと思うんだ。
(つづく)