Level.2


 海外旅行、とくに女子旅で行く海外が好きになったのは、一緒に行った友達のことも好きだからだと思う。第二言語習得にベトナム語を選んで、ベトナムに留学した、彼女のチョイスも好きだ。

「ゴルちゃんがベトナム留学していたなんて、知らなかったよ」
 すっかり気持ちもゆるんで、悪路を走行するタクシーに揺られて言った。
 あの頃、20年くらい前のノイバイ空港から旧市街地へ続く道は、大きな看板がポツンポツンとある感じが、関越道に少し似ていた。
 新潟に帰省する時の風景にほんの少しだけ似ているから、ちょっとだけ安心する。

「うん、試験で外国語のテストがあって、ベトナム語なら英語より競争率低いと思ったんだ」
 彼女は、幼少のみぎりですでに、小学校の事務員さんになりたいという夢があったそうで、そのために留学していたとのことだった。彼女の理想の仕事は、生きていけるだけの生活の糧を必要最低限得ることができ、だけど趣味の時間と体力を十分にとることができる仕事、と小学校の時分には明確に定めていたそう。そう心に決めて世の中を見たところ、校内にいる事務員さんを有力候補に見つけたとのことだった。すでに知己。
 よほど大事にしてる趣味があるのだろう。
「ゴルちゃんの趣味ってなに?」
「ファミコン。スーパーファミコンもあるよ」
 もう一度驚いた。夢と目標が小学生の視点で定まっている。わたしは浅はかだった。
 てっきり将来に焦点を合わせ、理想の生活の実現を計画・準備していたのかと思ったが、むしろ、小学生時代がすでに理想の生活と定めて、将来をそっちに合わせていた。たまごが先か、にわとりが先か。斬新な人生設計に、一人で神妙にうなずきながら前を向いた。

 運転手さんは、もくもくと運転している。クラクションがひっきりなしに鳴っている。車窓から外を見ると、曲芸でもしているような乗り方のたくさんのバイクに、タクシーは囲まれていた。
「ゴルちゃん、バイクに囲まれてる!」
「うん、バイクが多いからねぇ」
 右側を並走している5人乗りのバイク。お父さん、お母さん、子ども3人が乗っている。左側からは、サーフボードみたいに家の玄関ドアを小脇に抱えて乗っているバイクが、スーっと追い上げてきた。後方には、鶏くらいの鳥が10羽ほども入っている大きな籠を、担い棒でふた籠かつぎ、器用に乗っている人。このバイクは一台でハマー並みの車幅を使っている。でかい看板をねぶた祭みたいに運んでいるバイク。某引っ越しやさんの『らくらく単身パック』くらいの荷物をくくりつけているバイク。バイク好き芸人・BKB(バイク、Kawasaki、バイク)さんも、ここまでのバイクのポテンシャルを見たことがあっただろうか。おそらく本田さんも知らないはずだ。
 言い忘れていたが、バイクと言っても、排気量のでかいバイクのことではない。この国でバイクと言ったら、すべてカブのことである。そして、どのバイクもけたたましいクラクションをずっと鳴らしまくっている。そうである。ここでは、危ない時にクラクションを鳴らすのではなく、「みんな、ぶつからないでね~」と存在アピールのためにクラクションをずっと鳴らす。クマよけの鈴だ。

 

 

 道路沿いに目を向けると、細長い建物が連なっている。建設中の1軒は空中ブランコみたいに不安定な足場で、レンガを積んでいる。
「わわわ、もう全体的にあぶなーーーい!」
おののくわたしにゴルちゃんは、完全にホームに帰ってきた顏で、
「ふつう、ふつう」
と言った。
 ハノイの旧市街地に着く前に、この国のバイタリティの洗礼をもう受けてしまったわたしは、<ここに来たからには、これからなにが起ころうとも、なんでもドンと構えよう>と思った。

 タクシーを降りる時に、2万ドン(ベトナムの通貨)くらいぼったくられた。
 抗議しようとしたが、ゴルちゃんに
「100円、200円でケンカしないでいい。チップの渡し方が変わってると思えばいい」
と制された。当時のベトナムドンのレートだと、たしかにチップくらいの値段だった。うん、すぐあわてるな、ドンと構えよう。とわたしは、姿勢を直した。

 

 

 降りたらすぐ、果物売りのおばあちゃんが、マンゴーだったかな? ひと切れくれたので、パクっと食べたら「買え買え!」と追いかけてきた。ぼこぼこの道路をスーツケースをガラガラひきずりながら、全力で1キロ近く逃げただろうか。しつこかった。何ブロックも進んだら、ホテルを探してたゴルちゃんがやっと後方でもたつく私に気づいて、語気強く、ベトナム語でおばあちゃんに何か言って、果物売りのおばあちゃんはあきらめて帰っていった。
 ノーと言えない日本人と自分は違うと思いたかったけど、まんまそうだった。日本にいる時はふわーっとしていると思ったゴルちゃんは、こんなに断固とした断りができる人だった。そして、今更ながら、とんでもないハードモードのゲームを始めてしまったと思った。
 レベル1からもうギリギリだ。今だって、マンゴーひと切れで、身ぐるみはがされるところだった。イエスとノーだけはベトナム語を覚えておこうと、もっかい地球の歩き方を開いた。
 ゴルちゃんという心強い仲間がいるけど、弱気ではこのゲームはクリアできない。
 うん、あわてるな。ドンと構えよう。

 

 

 あらためて街並みを見渡す。
 旧市街地は、町全体が駄菓子屋みたいにごちゃごちゃしててかわいかった。湿度も気温も高いから、植物は生い茂ってて元気だ。並木道も建物の隙間もじゃんじゃん割って生えてる。たまにアスファルトが負けて、道路が盛り上がってる。
 ホアンキエム湖の近くの、セントジョセフ教会にそう遠くない、ミニホテルへ昼過ぎにチェックインできた。
 わたしはやっとひと息ついた。

 夕食はゴルちゃんの現地の友達とみんなで食べるとのことだった。

 数時間後、わたしはベトナム人に囲まれていた。

 複雑に入り乱れる路地裏の一軒家の2階のゴザを敷いたリビングみたいなところに、現地の友達と車座に座った。
「ここは、誰かの家なの?」
 ゴルちゃんにたずねると、ここらへんで人気のごはん屋さんとのことだった。わたしは、「アイム、ハナエ、コーミーハナ」
 みたいな自己紹介をしたりして、ベトナム語で盛り上がる現地の友達たちとなんとかコミュニケーションしようとしていると、ほどなくお料理が出てきた。

 

 

 お盆にでかい葉っぱを敷いた上に、焼いたソーセージみたいなものとか、くだものとかハーブの盛り合わせが出てきた。車座の真ん中に置かれてみんなで手を伸ばして食べる。端に盛ってある塩と唐辛子をちょっとつけたりしながら、手でワイルドに食べる。ソーセージはかじったら甘ずっぱかった。
「なにこれ! おいしい! この甘ずっぱいソーセージおいしい!」初めて食べる味、初めての食べ方だったけど、なにしろおいしかった。
「ゴルちゃん、おいしいってベトナム語でなんて言うの?」
「ンゴン、だよ。とてもおいしかったら、ラットンゴン」
「ラットンゴン」は、ウォーターを覚えた時のヘレンケラーのように、わたしの体に染み渡った。
「ラットンゴン!」と言ったら、現地の友達たちもニコニコした。
 8、9割方、話はわからなかったが、ソーセージはおいしいし、ラットンゴンを連発しながらいっぱい食べ、現地の友達たちがニコニコ笑うという、いい循環でなごやかな時間が過ぎた。

 たくさん食べたので、ちょっとお手洗いに行きたくなった。
場所はどこか聞くと、ゴルちゃんもわからず、現地の友達は1階だと言ってるとのことだった。わたしは階下へ降りていった。
 キッチンやお茶の間みたいなところがあって、スタッフだか、ここに住んでる家族かどうかよくわからない人が、野菜をぶったたいていた。
 早くお手洗いも行きたかったし、とにかく勇気を出して「ハ、ハロー」というと、「ジー」と返ってきた。瞬時に英語が通じないと悟った。
 突然のイベント発生である。なごやかな時間をすごしていて、すっかり油断していた。いま自分は、ハードモードのゲームの真っ最中だった。
 今かろうじてできることは、「イエス」か「ノー」をベトナム語で言えることと、身振り手振りだけだった。それだけでタイムリミットのある中、<お手洗いに行きたい>ということを相手に伝えないといけなかった。条件は完全にジェスチャーゲームと同じだった。
 でも、想像してみてほしい。「ゴリラ」「ぞうさん」なら簡単に正解できそうだが、「お手洗いに行きたい」は、かなりの難易度だ。
 最初なるべく上品に、食べたものが消化器を通り体外へ出るというのを手で表現したが、相手はお料理を出すお皿にまた料理を盛り付けるジェスチャーで、おそらく「追加注文? もっと食べたいの?」って言う感じ(これも違うかもしれないけど)で聞いてきたので、「ホンホン!(違う違う)」と私は首を振った。
 続いて便器の形を手で表し、トイレットペーパーを巻くしぐさをしたが、笑われただけだった。埒が明かない。もれないうちに、早く「ヴァン(はい)」って言いたかった。
 ジェスチャーゲームはオーディエンスがいて初めてエンタメだが、こんなに追い込まれて真剣にやらなくてはいけないとは、なかなかの苦行である。

 あっちもジェスチャーこっちもジェスチャーである。
 バベルの塔の建設が、頓挫してしまったのも無理はない。
 食べる動作は、おかわりと思われるので、体外排出の部分だけなんとか伝えようとするも、これはあちらの回答さえ導き出せず、最後の切り札でお手洗いの座り方を何種類かしようとしたところで、奥から出てきた人が、「トイレ?」と返してきた。
 普通にトイレという単語は一緒だったのである。わたしは念願の「ヴァン(はい)」を言った。
 野菜を叩いて回答してくれてたスタッフが爆笑し、離れのトイレの前まで案内してくれた。
 安堵してお手洗いのドアを開けると、薄暗いただのくさい小屋だった。
 まず便器がない。紙もない。よく見ると壁沿いに溝がある。
 単発イベントと思いきや、連続イベントだったのである。でも、これについては予備知識があった。海外情報などで「日本はトイレ大国。海外のトイレ事情はよくない。穴だけのところもあるし、川でするところもあるし、まだまだいろいろある」的なものを読んだことがあった。ガイドブックにもトイレのことは書いてあった。
 うん、あわてるな。ドンと構えよう。
 お手洗いひとつに躊躇しているようじゃ、冒険しにきた意味がないぞ。せっかくあのジェスチャーゲームという苦行をこえてたどり着いた場所じゃないか。郷に入れば郷に従え。従うどころが鼻歌歌って同化してみせよう。

 わたしが覚悟を決めて溝めがけてしゃがもうかという その瞬間、一人のベトナム人男性が入ってきて悲鳴を上げそうになった。向こうも「オゾ!! ホンホン!!」明らかにオタオタと焦っている。そして奥を一生懸命指さしてる。
「ホンホン(違う違う)?……」
 薄暗くてよく見えなかったが、壁と同系色の扉があり、開けると便器もトイレットペーパーもあった。女性用のトイレはそっちだった。わたしは、羞恥心がインフレを起こし、飽和状態になった。落ち着いてゆっくりと、日本語で「ありがとう」と手を合わせた。
 やっと用をすませ、湿ってバームクーヘンみたいになってるトイレットペーパーを丁寧にはがして使い、みんなのいる卓に戻った。

「はなえちゃん、ずいぶん時間かかったね」
「うん。……ゴルちゃん、ありがとうってベトナム語でなんて言うの?」
「カモン、だよ」
カモンも脳に深くインプットされた。
これからはどの国に行っても、現地語で「トイレどこですか?」も絶対覚えておこうと思った。

これが、「滑稽の先に、成長がある」と知った出来事のひとつである。

(次回、Level.3~サパ編に突入します)


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