Level.3


 海外旅行、とくに女子で行く海外旅行が好きになったのは、最初に一緒に行った友達もその旅も好きだったからだと思う。
 第二言語習得でベトナム語を選んで、ベトナムに留学した、ゴルちゃんのチョイスも好きだ。2人でハノイに到着してから怒涛の毎日だが、今回からサパ編。少数民族の村に行く準備。

 

 

 ハノイに到着して2、3日もたつと、バイクの群れが走る道路も渡れるようになった。
迷子になって、1人で半日さまよったりした甲斐もあって、滞在しているホテルから地元のスーパーまでの道のりも覚えられた。
 1人で行った買い物初日は、それこそ ロケハンのいない『はじめてのおつかい』爆誕だった。本家のほうも、本人は守ってくれるロケハンの存在に気づいていないのだから、心細さは同じだろう。

 スーパーは入り方からすでに違う。
 当時、入口には遊園地のアトラクションのように回転するバーを1人ずつ押して入るゲートがあり、警備員も万引き防止のためか、厳重に出入りをチェックしていた。出る時は出口の長テーブルで待機している警備員に、レシートと買い物袋を見せてから解放される。空港の入国審査のように。
 日本では、出口で買ったものを見せる検査などないし、ベトナムの警察官の制服も知らないから、てっきり警察だと思った。

 不愛想にあっちが何か言った。でもまったくわからない。
「連行します」にしか聞こえなかった。万引きと思われたらどうしよう。そう思ったら、震えた。
 西野カナが「会いたくて会いたくて」震えるよりも、おそらく俄然震えていただろう。「弁護士を呼んでくれ!」そんなベトナム語も知らないし、弁護士がこういう場面で役に立つのかも知らない。何を言っても通じないとあきらめたのか、警備員はわたしの握りしめた手を押さえた。「ホン!(ちがう!)」と叫びかけたが、手からレシートをむしり取り、買い物したものを確認したら、「行け」みたいな感じであっけなく解放された。恐れていた連行もされなかったし、取り調べもされなかった。
 必要以上におびえた自分を恥じた。
 おそらく『しょげないでよBABY』の曲がかかる場面だと思う。

 次の日はスーパーに行かなかった。それでもちょっと小腹が減った。
 泊っているミニホテルの目の前で、カットした果物や野菜を露店で売っていたので見に行った。カットしたパパイヤやチクチクとしたとげの生えたような果物とか、どれも熟れてて甘そうだった。身振り手振りで購入し、食べたらパパイヤの漬物だった。ベトナムでは、すべてがこちらの予想を通りには 行かなかった。わたしの常識は、ここではまったく通じない。どうしようかな、おやつも手に入れられない。
 トボトボと 道行く人の流れのままに セント・ヨセフ教会に入ってしまった。

 

 

 キリスト教の信者ではなかったので、教会に入るのは初めてだった。
 内装や天井の装飾が美しかった。もっと見ていたいとたくさん並んでいる椅子に座ったら、ちょうど牧師さんがみんなにお話を始めた。ベトナム語でまったくわからなかったが、お話が終わると、牧師さんが手に水差しを持ちながら、みんなにクッキーを配った。流れのままにわたしもクッキーをもらう列に加わった。

 日本のお寺では説法を聞いても、最中とか饅頭とか配られたことはない。そればかりか、座禅中、居眠りなんてしようものなら、ペシ! である。修行をがんばったんだから、座禅が終わったらアフターパーティーをするとか、検討の余地があると思う。
 教会はクッキーに飲み物までくれるなんて、さすがである。教会はなんてやさしいところだろう。慈悲深い。これぞアガペーである。
 感心している間に、私の番が来た。ニコニコ微笑みかける牧師さんが小さめのクッキーをくれた。見ず知らずの、しかも言葉が通じないから説教さえわかっていないわたしにも、みんなと同じように接し、クッキーを差し出してくれた。なんて無上の愛。ありがとう。おやつに飢えていたわたしは、深々とあたまを下げた。

 チョロチョロチョロチョロ。
 牧師さんが、わたしのあたまに水をかけた。 
 文字通り、洗礼だった。気づかないうちに洗礼を受けたという人は、いい大人ではあまりいないだろう。おはずかしいかぎりである。自分の世間知らずもたいがいだ。赤ちゃんのうちに洗礼を受ける人も、きっと受けてる時は何も知らないだろう。いったん言葉の通じない海外に出たら、何歳になっても赤子同然だなと、身をもって自覚した。
 こうして、絶賛『はじめてのおつかい』も、洗礼もえて徳が高くなった。挫折しても挫折しても、スーパーの門をくぐって、これだと思う未知のスナックと飲料をドキドキとワクワクと一緒に、不屈の精神で抱えて帰ってきた。なんどでもなんどでも!

「青春全部賭けたって勝てない? まつげくん、賭けてからいいなさい」の、ひるまない心である。この努力をもう少し違う方向に向けたら、ベトナム語を習得するとか、もう少し建設的なことになったかもしれないが、わたしは小腹を満たしたいだけだった。
 ゴールで涙ぐんで待っているお母さんはいなかったが、泊っているミニホテルの受付係は、見守っていてくれた。ベトナムではあまりお菓子を食べる習慣がないから、いつも「また買ったの? 若い娘さんが、そんなにお菓子ばっかりかいこんで」みたいなこと言われた(と思う)。

 余談だが、受付のその彼は英語ができた。よく見ると、片手の小指の爪を長く伸ばしていた。けっこうベトナムに来てから小指の爪を長く伸ばしている男性をよく見かけたので、「なんでですか?」ってたずねたら、「鼻ほじりやすいし耳もほじりやすいから、伸ばしています」ってきれいな英語で言われ、多角的なカルチャーショックを受けた。

 そうこうしてるうち、ベトナム語表記のコーナー案内やラベルから、飲料コーナーと思われる場所へ雰囲気だけで行き、ミネラルウォーターと思われるものを選べるまでに成長していた。化粧水と水の見分けもつかなかった初日とは雲泥の差である。
 徐々に慣れ、ついに現地でお気に入りのお菓子もできた。名前はわからないけど、おこげに、糸みたいに細くほぐしたカラカラの豚肉がのってる食べ物である。これはもう立派な快挙だった。自分的にはもう少し塩気が欲しかったが、塩の購入はまだ難易度が高い。
 前に一度店員さんに聞いたけど、「オーケー、オーケー」と言われながら、カラフルな袋や箱がいっぱい並んだ列に連れてこられた。いろんな国のお菓子コーナーだった。
 それから塩はまだ買ってない。これで塩の購入ができたら、もうバイヤーだろう。

 わたしが、買い物だけに甘んじていたわけではなかった。
 お気に入りのお菓子まで見つけて、気が大きくなっていたわたしは、地元のバスにも乗ってみた。
 英語の標識もなかったので、いまから考えると無謀にもほどがあったが、時々、日本の古いバスが市中を走っているのを見かけて、乗ってみたくなったのであった。
 日本から中古のバスを買い、行先の表示すら変えずそのまま使用して運行しているとゴルちゃんは言っていた。
 冒険気分でちょっと乗って、少し停留所を乗ってそのまま反対向きのバスに乗って帰ってくれば一本道を往復できると思った。無知ほどこわいものはない。
 おそるおそるバスのステップをあがると、バスの中はまだすいていて、座席に座れた。座ったらバスの車掌さんみたいな人がチケットを売りに来た。相場はよくわからなかったが、全然ぼったくられなかったのを覚えている。(当時。ベトナムは日本人価格があるかのように、どこも日本人は高く払わされた)ペラペラの定期券くらいの大きさの紙切れをもらって、バスは走り出した。
 次の停留所に行くと、少しバスが混んできた。席は全部埋まり、立っている人がチラホラ出てきたくらいだった。
 その次の停留所では、もっと混んできた。すると立ってる人は、座席の人に一礼をして座っている人の膝に座った。「あ、知り合いだったのかな?」と思ったが、周りを見ると、立っている人たちはぞくぞくと、座席の人の膝に座っていた。
 内心「えええーー! まじか!」と思った。
 ベトナムのローカルバスでは、車内が混雑してくると、座席の人の膝に座るのが普通らしかった。わたしの膝にも座るの? 座らないの? どっちなんだい? とドキドキしたが、あきらかにベトナム人じゃないわたしの膝には誰も座らなかった。膝に「異邦人」と書いてあるようだった。よかった。わたしは安心した。
 みんな仲良く座っているのに、外国人のわたしに遠慮していた。さっき安心したくせに、それもちょっとさみしくなった。勇気と語学力を持って「どうぞ」と言えればよかったのだが、両方自分にはなかったので、そわそわしながらも、わたしの両膝だけ空いたまま、バスは進んでいった。

 ちょっと座りやすいように膝を揃え、通路側へ出してみたりした。
「春日のココ、空いてますよ」
が言えないわたしは、せいいっぱい膝を差し出した。骨を感じさせない肉付きのいいふともも、と、その時、夫人と目が合った。わたしは、「どうぞ」という気持ちを込めて微笑み返した。夫人も微笑み返しわたしの膝はようやく主を得た。
 ハノイに受け入れられた瞬間であった。わたしは夫人が少しでも快適に座りやすいように、なるべく両膝を揃えて座面を広く安定させた。夫人の快適な『生きる椅子』になりきろうとした。
 江戸川乱歩もこの経験をしてから『人間椅子』を書いたら、作風かわっていたと思う。

 買い物したり洗礼受けたりバス乗ったりで、世間知らずのマイナスから始まっている経験値はすでに爆上がりだが、ベトナムはまだまださわりもさわり。

 一方、ゴルちゃんは水を得た魚のようだった。
 ゆっくりとどこかへ出かけていき、ルンルンと、おいしそうなものやかわいいものを買ってきたり、楽しく観光したりして夜帰ってきた。地元に帰ってきてみたいだった。

「はなちゃん、そろそろ『サパ』に行こうか! 買い物天国だよ。かわいいものがいっぱい! ここから電車と車乗り継いで、歩いたら少数民族の村行けちゃうよ」
「えっ、そうなの?」
「屋台だって出るし、バックハーのマーケットなんか、そりゃもう、ほしいものだらけだよ。ぜったいはなちゃん好きそう!!」
「少数民族の村行けちゃうんだ!」
「うん、行けちゃう行けちゃう」

 サパはベトナムに誘われた時から、よく名前がでてきた地名のひとつだった。
 ベトナムは縦に細長くて『右向きのタツノオトシゴ』みたいな形の国土をしている。その後頭部あたりの位置にサパはある。高原地帯だ。
 たくさんの少数民族がいて、モン族、ザオ族、タイ族が大きく分けて5つの村に住んでいる。同じモン族の中にも、黒モン族、花モン族、白モン族、青モン族とまたわかれていて、たくさんの少数民族が棚田や観光や民芸品など生業に暮らしている地域だ。それぞれの民族は、民族衣装が違う。メインカラーがピンク色の花モン族の衣裳は、ひとめぼれのかわいさだった。

 少数民族の村に行く! 藤岡弘やインディジョーンズ博士ではない、私がだ。
 いまでこそ、少数民族の村へもパックのツアーなどあったり、行きやすくなった昨今だが、15、6年前は個人で現地ガイドなどを雇い手配するのが主流だった。
 それなのに、「ねね、温泉行きたくない?」みたいなノリで誘ってくるゴルちゃんはすごいなと思った。思えば、日本国内の旅行だって、友達としたことがなかった私が、気づいたらベトナムについてきているし、1人で異国の地でスーパーに行ったりしている。もしかしたら、次はジャングルに誘われるかもしれない。思えば遠くにきたもんだ。
 色とりどりの民族衣装、一面の美しい棚田。やさしい少数民族の村の人々。帰る時は、「いつでもまた帰っておいで」といっぱいハグとかされたりお土産をもらって、涙をしぼりだしながら「ありがとう! ぜったいまた来る!」と言いたい。
 心はすでに某テレビ局で昔放送していた『うるるん滞在記』にキャスティングされていた。『イッテQ』でもよき。どこでも行ってみたい、なんでもやってみたい! いまや、わたしの心の出演料は、吉本の新人よりも破格である。
「行こ行こ!」
 わたしが答えるより早く、ゴルちゃんはすでに手配の電話をかけてた。

 ゴルちゃん曰く、サパでは少数民族によるラブマーケットという催しがあって、屋台が出てお祭りみたいに賑わう。 男性側が好きな女性の前で歌を歌い、女性が歌で応えたらカップル成立という、ミュージカルみたいな婚活フェスがあるそうだ。

 ハノイからサパまでの道のりは、こんな感じらしい。
 ハノイからラオカイというところまで、寝台列車に乗ってひと晩。早朝到着するラオカイからワゴン車で2時間くらい乗るとサパに着く。
 そしてトレッキングで数時間、ちょっと山道を歩けば、少数民族の村、黒モン族の村に着く。
 日帰り温泉くらいの軽さで「イエス」と言ったが、少数民族の村に着くのにほぼ1日使う。なかなかの移動である。
 とにもかくにも、大きな荷物はホテルに預け、数日分の荷物だけバックパックにつめて、夜、ハノイを発つ。上野発でもなく、品川発でもなく、ハノイ発。
 夜行列車に乗るのは、品川から『ムーンライトながら』に乗ったとき以来だ。あの時も、たしか夜11時台くらいの出発で、早朝、大垣に着いたんだった。

 途中、ゴルちゃんの現地の友達の、「とにかく飴をたくさん持ってけ!」というなぞのアドバイスにも従順にしたがい、夜のハノイ駅に着いた。
 夜のハノイは静かな街並みだが、駅はなかなかの人出だった。
 駅の建物はエントランスや切符売り場のみで、ホームはすべて広い屋外の広場にあった。外灯は、オレンジ色の日本のトンネルの中でよくみる、あの色の光だった。

 出発時間が近づき、あわてて列車を探していると、オレンジの光で気分は逃亡者のようだった。
 なんていう列車の何号車だろうか切符を凝視したけど、オレンジ色の光だとぜんぜん字が読みづらいし、ごちゃごちゃ書いてある。解読できたらたぶん魔法陣でるなっていうレベルに感じたけど、魔法少女じゃないので読めなかった。ここでもやっぱりゴルちゃんはやすやすと指定の寝台車まで先導し、入るなり先にいた先客にベトナム語であいさつした。ベッドの上か下かを決め、てきぱきと整えてくれた。安定のゴルちゃん。やっぱり支持率ナンバーワンの書記長だ(「ハノイのきもち」Level.1 参照)。
 サパまで長時間の移動になるけども、この書記長についていけば こわいものなしだ。
 わたしはバックパックをベッドに下した。

 ベルが鳴って、列車が走り出す。オレンジのライトがだんだんと速く後ろに流れていく。とりあえず、本当にサパへ出発しちゃったぞ。本当に出発しちゃった。
 わたしは、ちょっと鼻息を荒くした。

 

 


同じ連載記事