プロレスが、好きなのである。
と言うと驚かれることが多い。
そうだろうなあ、と思う。
本性はなるべく見せないように生きているから。
自分の中にはいつも2人の自分が居る。
1人目は「誰かをいつも絶対に嫌な気持ちにさせたくない」自分。
もう1人目は常に何にでも誰にも「シバくぞ」「いてまうぞ」(大阪弁)と思っている自分。
常にどちらの自分のことも持て余している。
プロレスを観出した頃は思っていた。
「団体内で負ける選手って毎回決まってるやん。何が楽しくて出てるねやろ。私やったら絶対嫌や」
笑って返してくれたのは親しいプロレスライターだ。
「仕事ですからね(笑)」
そして、教えてくれた。
「負ける楽しさもあるんですよ」
あれからかもしれない、プロレスがちゃんと面白くなったのは。
笑い泣きと泣き笑いが増えたのは。
攻めと受け、受ける事、受ける側の大事さや力。
勝ち負けが決まるけれど、勝ち負けは決して全てじゃない。常にいつでも真剣勝負。
だからこそ客席で皆がここまで熱狂するのかもしれないな、
と気付いたのは、観始めて何年もしてからだったようにも思うのだけれど。
昨年、初めて聖地を訪れた。
ずっと行きたかった、「後楽園ホール」だ。
60年以上の歴史があり、2千人ほどの集客が出来るレジェンド・ホールは、ずっと西で観戦をしてきたプロレス好きには憧れの箱だった。
私的には「訪れたらゴール」の天竺的な場所でもあった。
まず立地に驚いた。
東京ドーム。遊園地、飲食店。ホール。ホテル。場外馬券場、イベントスペース。
日常の中の非日常。なんなんだ。大人の遊園地じゃないか。
気持ちを落ち着けるため会場に入る前に敷地内のカフェバー(現在は閉店)で一杯やることにした。
呑みながら店内の様子を眺めると、選手と同じ髪型の男性2人組がプロレス談義をしていた。
外に出て佇むと、会場へ向かう人たちがちらりほらり。
しかし〝正装〟の人の多いこと!
服装は選手やユニットの応援Tシャツ、
肩には選手のミニぬいぐるみ、
手には野球の応援でお馴染みの叩いて音を出すミニバット(カンフーバット)、
性別関係なく普通の格好の私の方が浮いていた気すらした。
わくわくしながら入ったビルの5階のホールは、若い頃に通っていた小劇場たちをほうふつとさせた。
ビルの中の会場、ハコの大きさ、物販の雰囲気。
ライブハウスの空気も思い出した。
しかし私のテンションが上がった状態はここまでだった。
小劇場のようにみっちりと席と席の間がつまった客席は勿論自由席ではない。
試合が始まる前も始まってからも真後ろの席のカップル客2組がうるさい。
私が一番苦手とする「観ながら蘊蓄を語り合う」客だ。
一見さんらしきグループもへらへらと笑っている。
ああ、聖地で観るにはやはり最前列がええんやろか?
いや、ちゃうねん。そうやけど、ちゃうねん。
この集中したいけど集中できない感じ、いろんな濃い皆がいる感じ、これが「場所」なんだ。聖地で思わされた、改めて。
その後、何度か訪れた。いろんなプロレス団体を観た。
後楽園ホールでは勿論、同敷地内の、東京ドームにも東京ドームシティホールにも行った。
私は試合の内容は勿論、プロレス会場の雰囲気が好きなのだと思う。
いろんな人のいる場、いろんなにおいすらする場が、嫌いじゃない。嬉しくなる。
ペンライトを振るおじさんも、
会場で挨拶をし合う団体常連ファンも、
女子トイレで選手についての色恋話や来ていない常連客の噂話をする客も、
皆、皆が、生き生きとしている。
知り合いのプロレスラー曰く、後楽園ホールには年間シート(※そんなものはない)のようにどの団体興行でもいつも同じ席にいる謎の客もいるらしい。
それもまた人生である。
行く度、客席の片隅で、試合を観ながら思いを馳せた。馳せざるをえない熱の中で。
皆、何を観に来ている? 何を求めてここに来ている?
大人はいつも勝てはしない。勝ち続けるにはきっと優しすぎる人が多すぎる。
だから、客席で、リング上のレスラーたちに気持ちを託すんじゃないか。
嫌な敵がやっつけられたりはいい。
嫌な敵が勝ち誇る姿も見せつけられたりもする、それもいい。よくないけどいい。
今日も肉体たちが紡ぎ出す終わらないストーリーを見守り、応援し、投影し、陶酔する。
リングに立っているのは自分? もうひとりの自分?
きっとこの数時間だけは誰かのヒーローになれるのかもしれない。
60年前に建てられたビルの中のボウリング場から始まり、今も続く、後楽園ホール。
この場所もまたさまざまな人のHomeなのだと思う。
有名なあの階段にも行ってみた。
ホールへ向かう際、またホールから降りる際、エレベーターはあるも、この階段を通るファンは多い。
かつては開場待ち切符待ちのファンの並ぶ場所でもあったらしい。
その暇つぶしに書いたのであろう落書きが所狭しと並んでいる。
あの「プロレス王」鈴木みのるも若き観客時代にこの階段で待ち、「アントニオ鈴木」と書いたそうだ。
まさに歴史を感じさせるものばかりである。
レスラーに対しての応援メッセージだけじゃない。
見てみぬふりをして通り過ぎたいような悪口、噂、デマ、下ネタもひしめく。
きれいごと以上にたくさん、いや、ほとんどかもしれない。
私はプロレスファンの「語り」を聴くのが好きだ。
「鶴田とハンセンが好きやったなあ。知ってる?」
「大谷晋二郎。ZERO1の大谷が一番や」
「小島。コジコジカッター。小島嫌いな人って居ます?」
「俺の生き方は長州なんや」
「前田日明以外認めない」
「地方出身なんですけどね。地方興行に来る団体を観てたんです。デスマッチが好きだったんですよ」
「ワープロ(ワールドプロレスリング)と全日中継は毎週VHSに録画してた。90年代プロレスは学生時代の青春の一部です」
「馬場さんに憧れてプロレスラーを目指したかったんです。身長が足りなくて噺家になりました」
「ハヤブサのようになりたかった! で、プロレスラーになりました」
でも好きがあるから嫌いがある。
勝つ人がいるから負ける人がいて、負ける人がいるから勝つ人がいる。
夢と現実と、きれいときたないと、表と裏。皆、主役。主役なんだ。あなたはヒーロー。
多くの人の想いがこもったHomeは、清濁併せ呑む聖地だからこそ、愛おしいのだ。
リング上の戦いに熱狂し、フワァとした陶酔のままホールを出ると、顔にあたるのは現実へ明日へと戻る風かもしれない。
でもまたすぐに新しいシリーズが始まる、次なる敵が日々あらわれる、リングの上にも、現実にも。
ここに来た時間があるからこそ、明日もちょっと、がんばれる。
そこは誰かのヒーローになれる場所であり、皆が主役になれる場所、リングの上も、現実もだ。
私の推しは〝不沈艦〟〝ブレーキの壊れたダンプカー〟ことスタン・ハンセンである。
全く世代ではないが知人から借りた梶原一騎の『プロレススーパースター列伝』で知り、過去映像を観てドハマりをした。
今のレスラーも皆好きだ。でもやっぱハンセンは別格なのだ。
カウボーイハットをかぶり投げ縄を振り回して登場し、左手だけで相手を吹っ飛ばす。
ご存じ、ウエスタン・ラリアット。
ストレスがたまったら「ラリアット何十連発動画」を延々と観る、未だにだ。
ラリアット! ラリアットー!! 絶叫するアナウンサー。叫ぶ観客。
たくさんの落書きの中に居た。いつ誰が描いたかもわからないハンセンは笑っていた。