百日紅の記憶


 門をくぐるとその庭で最初に目に入るのは、白い花が咲き誇る一本の百日紅(さるすべり)だった。

 百日紅といえば、鮮やかな紅色や淡いピンクの花を見かけることが多いので、白い花をつけた百日紅というのは珍しいなと思った。くしゅくしゅといくつも咲いた丸い花は可愛らしく、幹は「猿でも滑って落ちてしまうほどつるつるしているから」という名前の由来がよくわかるようななめらかさだった。

 私とユークはその夏、宝塚市の逆瀬川にあるユークの亡くなった祖母の家に来ていた。子どもの頃は、毎年のように同じ年頃のいとこたちが集まってそれは賑やかな夏休みを過ごしていたのだという。その家はしばらく誰も住んでいないとは思えないほどおっとりとした雰囲気を残していて、それはこの百日紅のおかげでもあるのだろうかと考えているうちにユークは玄関のドアを開け、

「そうそう、懐かしいなぁ」

と言いながら一切ためらうことなく靴を脱いだ。
 彼にとってこの家は、何年も来ていなくても出迎えてくれる人がもういないのだとしても、いつでも懐かしく暖かい場所なのだと思うと不思議な気持ちがした。
 私たちが来ることになっていたので近くに住む叔母夫婦により、玄関にはスリッパが二足用意されていた。人が住まなくなった家というのはあっという間にあちこちがくたびれて植物ばかりが妙に勢いを増していくものなのに、この家は全然そうではなかった。きっと頻繁に掃除をしたり片付けたり、話したり、懐かしんだり、お茶を飲んだりというようなことを祖母が亡くなった後も家族が当たり前のようにしてきたのだろう。
 現に今回、わざわざ新幹線と阪急電車を乗り継いでここまで来たのは「誰も使わなくなった車を引き取りに行き、その車で福井の県立恐竜博物館まで行ってから東京へ帰る」ためだったのだけれど、ユークは家を訪れることを一番楽しみにしていた。

 廊下の先のリビングと和室からは庭がよく見え、目を細めると、縁側に座りこんで遊ぶ幼い頃のユークや妹やいとこたちがそこに見えるような気がした。二階には長い廊下に沿っていくつかの部屋があり、書斎にたくさんの書物とアルバムがあったのでそのうちの何冊かを見せてもらった。
 私は、よその家族のアルバムを見るのが好きだ。誕生日や記念日やクリスマスやお正月の写真を見るのはもちろん楽しいし、なんでもない日に本当にただ一瞬を切り取っただけの写真も好きだ。「こっち向いて」という声が聞こえてくるような一枚も、愛しさが溢れてつい夢中でシャッターを切ったような一枚も、なんだかわからない変なポーズをとっている子どもたちの一枚もみんな、いい。

 そんな中にユークの祖父の学生時代の写真があり、五、六人の学生たちが制服姿で微笑むその白黒写真の中に私は一度も会ったことのないユークの祖父をすぐに見つけた。その人はあまりにもユークと瓜二つだったのだ。今まで、映画やドラマを見ていて両親や祖父母などの若い頃のシーンを一人の俳優が演じているのを見ると、そんなに似ているはずないじゃないか、と思っていたけれど、実際にこれだけ似ている人間が二人いるのならまったくもって可能だと思った。少し首を傾げるようにして笑う様子が本当によく似ていた。

 その祖父と、彼が愛した家族たちが暮らした家をユークが今も大切に思うというのはとても自然なことだった。夜、和室に布団を敷いて寝ていると、天井で何かがぱさぱさぱさと、丸く円を描くようにして歩く音が聞こえた。不思議と何も怖くなく、その静かで軽い音を聞いているうちにいつの間にか眠ってしまった。

 諸般の事情により、庭の百日紅は今はもうない。
 けれどいつか私も白い花の咲く百日紅と暮らしたい。


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